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日本と軍事と米国に関するobsvのブックマーク (4)

  • 日本、板挟みではない 米中両にらみは危険な幻想  本社コメンテーター 秋田浩之 - 日本経済新聞

    台湾海峡で軍事の緊張が高まっている。よみがえってくるのは1996年3月、世界を震え上がらせた危機の記憶だ。大規模演習と称し、中国軍が台湾近海に次々とミサイルを撃ち込んだ。同月、初めて民主的な総統選をしようとする台湾を脅し、選挙を阻むためだ。中国国営のテレビからは連日、ミサイル発射の映像が流れる。当時、筆者が駐在していた北京は準戦時のような緊張に包まれた。ひとつ間違えば紛争となり、日にも戦火は及びかねない。邦人救出の備えもままならない日政府は、衝撃を受けた。【関連記事】・・「1週間、夜も寝られなかった」。橋龍太郎首相(当時)は、周囲にこう苦悩を漏らした。後年、橋氏に教訓を聞いた。自衛隊と米軍の連携を深め、あらゆるシナリオに備えておくことだ。彼はこう話し、「いざとなったら

    日本、板挟みではない 米中両にらみは危険な幻想  本社コメンテーター 秋田浩之 - 日本経済新聞
    obsv
    obsv 2021/04/27
    “「板挟み」や「踏み絵」という思考は、日本の現実を勘違いしている。日本は戦後、強い攻撃力を持たず、防衛を全面的に米軍に頼ってきた。この時点で中立ではあり得ず、米国陣営下で身を守る道を選んでいる。”
  • 「台湾有事」で不戦の誓いが吹っ飛ぶ? 運命の決断、誰が決めたのか | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)

    3月16日に行われた日米の外務・防衛閣僚協議(2プラス2)。発表された共同声明をみて、多くの専門家が驚きの声を上げた。「閣僚は、台湾海峡の平和と安定の重要性を強調した」という一文が入ったからだ。これは、日が今後、台湾を巡る有事に関与していくという宣言にあたる。かろうじて、「台湾」ではなく、「台湾海峡」としたのは、国際海峡だから、日にも関与する資格があるので、中国の批判はあたらないと言いたかったのだろう。 日米の国際政治学者は戦後、安全保障を巡って、様々な見解を戦わせてきた。いわゆる「日米のパーセプション・ギャップ」と言われた論争で、その代表例が台湾を日米安保条約の範囲に含めるのかどうかという議論だった。平和な時代には、日では「同盟による巻き込まれ論」が優勢で、「台湾を日米安保の範囲に含めるなど、とんでもない」という声が強かった。 1995年から96年にかけて起きた台湾海峡危機でも、ま

    「台湾有事」で不戦の誓いが吹っ飛ぶ? 運命の決断、誰が決めたのか | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)
    obsv
    obsv 2021/04/18
    左派は「平和主義」の名の下に安全保障に向き合うのを避け続け、十分な国民的議論が出来ずにここまできてしまった。台湾を見捨てて中国におもねるのか、戦争覚悟で米国につくのか。良いとこ取りの中立は不可能だ。
  • 米が問う日本の覚悟 共同声明、52年ぶり「台湾」明記 - 日本経済新聞

    バイデン米大統領は就任後初めて対面で会う首脳に菅義偉首相を選んだ。米中対立のさなか、日はどこまで米国とともに歩む意志があるのか。首脳会談は具体的なテーマをいくつも挙げ、日に覚悟を迫るものとなった。日米共同声明での52年ぶりの台湾問題への言及がそれを象徴する。バイデン氏は16日午後(日時間17日午前)、ホワイトハウスのローズガーデンで開いた共同記者会見で「我々は中国からの挑戦にともに対応し

    米が問う日本の覚悟 共同声明、52年ぶり「台湾」明記 - 日本経済新聞
    obsv
    obsv 2021/04/18
    “「日本に中国と相対するつもりがあるのか」。米ニューヨーク・タイムズ紙の会談前の指摘は、もはや米中両にらみといった曖昧さを許さないとの米側の切迫感を映す。”
  • 米軍に囲まれた「孤島」の民家 来客はパスポート必携:朝日新聞デジタル

    に住みながら自宅の周りは米国のルールが支配する。そんな場所が全国で唯一、横浜市内にある。米軍住宅に囲まれた「飛び地」で暮らす夫が、長年にわたって日常生活で制約を受けたとして、約1億1500万円の損害賠償を国に求める訴訟を横浜地裁に起こした。「私たちは日にも米国にも人権を守られていない」と訴える。 JR根岸線根岸駅の近く。かつて横浜競馬場があった根岸森林公園の西側に米海軍横須賀基地が管理する根岸住宅地区がある。横浜市の中区、磯子区、南区にまたがる約43万平方メートルの土地だ。その中の「飛び地」で暮らす佐治実さん(65)とみどりさん(62)が昨年暮れに提訴した。夫は自宅を「陸の孤島」と呼ぶ。 この土地は、みどりさんの祖父が所有していた。戦後の1947年、祖父の住宅が立つ土地など5世帯の居住部分を除き、周りの畑などを米国側が接収した。飛び地には現在、この一家を含む2世帯が暮らす。 今

    米軍に囲まれた「孤島」の民家 来客はパスポート必携:朝日新聞デジタル
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