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知能と批判に関するobsvのブックマーク (2)

  • 日本人の「地頭(じあたま)信仰」について

    この地頭信仰は異常だと思う。 特に受験産業などはこの信仰がベースにあるように思える。 たとえば、連立方程式や三角比などを使えば誰でも機械的に解ける問題を、つるかめ算や補助線などを使って小学校範囲内の知識で解くことが「賢い」とされるようだ。 大学入試に関しても、入試評論家とでも言うべき何の役に立ってるのかよく分からない人たちがいて、大学入試が易化すると学力低下がどうのこうのと嘆いている。 他にも、たとえばホワイトカラーの職業の入社面接で「自分を動物に喩えるなら」みたいなトンチの応酬が行われていて、それで合否が決まるのなんか、先進国では日くらいのものだろう。 彼らにの価値観には以下の2つの前提がある。 技巧的な問題や難しい問題を解ける人が「地頭がいい」 その「地頭のよさ」が、大学なり会社なりで何らかの役に立つ もちろんこれには何の科学的根拠も無い。 学校の入試ではそれまでの課程の勉強の習熟度

    日本人の「地頭(じあたま)信仰」について
    obsv
    obsv 2021/03/11
    日本の就活では職種を限定しないで採用するから、具体的なスキルで選別するのが難しい。そのために抽象的な「出来の良さ」を重視することになり地頭やコミュ力がありがたがられることになる。
  • 『頭がいい人=話し上手な人 ??』

    「頭がいい人」というと、「話が面白い人」とか、「論理的に話ができる人」とか、そういう風に答える人が多いと思います。 でも、僕が思うには、これは非常に語弊があります。 なぜなら、彼らの多くは、「頭が良い」というよりも「口が良い」と言った方が早いからです。 「頭がいい」と聞かれて、なぜ「話が・・・」という議論になるのでしょう。 これは雄弁術に長けてるか否かの話であって、古代ギリシアの哲学観で言うところの、ソフィスト的見解です。 ソフィストは、多少の議論の余地はあれど、政治ポストに任用されんがために、巧みな話術で説得して指導者を説得して自論を売り込んだ連中のことを言うのが通説です。 ですが、その面だけを取ってソフィストを「賢者だ」と言う主張は、なかなかされがたいものです。 つまるところ、人間というのは「話が上手い」ことだけで「頭の良さ」を相対化して測ることなど不可能なのではないでしょうか。 僕は

    『頭がいい人=話し上手な人 ??』
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