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社会と人間と価値観に関するobsvのブックマーク (8)

  • 「自分の市場価値」がついてまわる社会と、その疎外 - シロクマの屑籠

    「自分の市場価値を測ってみませんか」ってメールがドコモから届きやがったよ。自分の市場価値を測ってみませんかってキャリアからメールが届くんだぜ、すげえ世の中だな— p_shirokuma(熊代亨) (@twit_shirokuma) 2019年12月2日 この手のメールを受け取ったことは、一度や二度ではない。けれども今回、携帯キャリア会社からこのメールが届いたことにはちょっと驚いた。さんざん使っているPCのメアドに届くなら理解できるし、珍しくないことなのだけど、ほとんど使っていない携帯キャリアのメアドに「自分の市場価値を測ってみませんか」が届くということは……全国のあらゆる人間にこんなメールが送られているのだろうか。 人間の市場価値とは、どういうものか。 お金をどれだけ稼げるか、どれだけ人気者か、どれだけ他人に好ましい影響を与えられるか、等々によって現代人は他人を値踏みし、と同時に値踏みされ

    「自分の市場価値」がついてまわる社会と、その疎外 - シロクマの屑籠
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    obsv 2019/12/07
    身分制社会から新自由主義社会にジャンプしたのだとすると、逆に市民社会は日本に根付かなかったわけで、その辺りに日本人の意識の基底が見えてくると思う。
  • 「美意識が低い」日本の受験エリート達の末路

    現在、世界のエリートは必死になって「美意識」を鍛えています。グローバル企業が世界的に著名なアートスクールに幹部候補を送り込む、ニューヨークやロンドンの知的専門職が、早朝のギャラリートークに参加するのは、こけおどしの教養を身に付けるためではありません。彼らは極めて功利的な目的で、「美意識」を鍛えているのです。 なぜならば、これまでのような「分析」「論理」「理性」に軸足を置いた経営、いわばサイエンス重視の意思決定では、今日のように複雑で不安定な世界においてビジネスの舵取りをすることはできない、ということをよくわかっているからです。 「偏差値は高いが美意識は低い」エリートたち 一方、残念ながら現在の日企業の多くは、経営にかかわる人たちの美意識がほとんど問われません。すなわち、日のエリート組織の多くは「偏差値は高いが美意識は低い」という状態で、計測可能な指標だけをひたすら伸ばしていく、一種のゲ

    「美意識が低い」日本の受験エリート達の末路
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    obsv 2017/08/31
    "美意識"と言うべきか"倫理観"と言うべきか、或は"哲学"か"大義"か言葉に迷うが、要は世界の有り様への意識が低いと言うことかな。「あるべき姿」を持つキリスト教社会との差もあるのでは。
  • 寛容と不寛容の間ー仏教の智慧を科学する の記事書き起こし - ログミー

    寛容と不寛容の間ー仏教の智慧を科学する の記事書き起こし - ログミー
  • ナチュラルボーン上位カーストは決してピュアじゃない - 常夏島日記

    あんまり誰も信じてくれないと思うんですが、一応、私、以前のエントリで書いたとおり、いわゆる「高学歴の世界」の住人ですし、家族一同、「高学歴の世界」の住人です。そういう目で次のエントリを見て、ちょっと違和感を感じたので書きます。 ナチュラルボーン上位カーストの人とそうでない人 - インターネットの備忘録 昨日の愚痴の続き−はてな匿名ダイアリー これらのエントリ中では、「ナチュラルボーン上位カースト」(=「家柄もよくいい大学を出て大企業に就職したり留学したり起業したり、意識高かったりたまに美意識がズレたりもするけど地頭はよくて暗愚ではなく経済力とか人脈とか親のつながりとかのバックボーンもありたいがい身ぎれいなのでイケメン美女が多い。」)の人たちについて言及されており、共通して書かれているのが「ピュア」ってことです。おおっぴらに他人のランクについて語ることもないし、むしろ当然自分たちが得ているも

    ナチュラルボーン上位カーストは決してピュアじゃない - 常夏島日記
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    obsv 2014/05/07
    純粋(単純?妄信的?)だけど清くはないよね。よう分かるわ、大学時代の友人関係はそうだった。
  • 暴力的な馬鹿は物語に肯定されながら育った

    世の中には様々な物語が有る。出版されたフィクションや、ニュースが作る世論、酒の席での武勇伝。種類は様々だ。 その中でも「俺は昔ヤンチャだった」という物語は人気がある。 最近はその人気も下火なのかもしれないが、少なくとも昔は大いに人気があったと思う。 昔はヤンチャだったという物語の中では「暴力的な馬鹿」は主人公や愉快な仲間の一人として肯定される。 男らしく、あるいは女の意地を守るために、彼ら彼女らは欲望や勢いのままに生きる。 そしてそれらは「人間味に溢れている」などと持て囃される。 仇役は「大人しい賢人」や「普通っぽい人間」だ。 物語の中で彼らは人間味がない、裏で何してるか分からない、人の目を気にしていると好き放題の言葉でけなされまくる。 子供向けの物語の中でも主人公が「暴力的な馬鹿」で有ることは少なくない。 伸び伸びとした健康的な子どもとして描かれ、ルールを守るガリ勉野郎を次々蹴散らすヒー

    暴力的な馬鹿は物語に肯定されながら育った
  • 今の家族にその役割を負わせるのは暴力である

    一番いいのは「自分は生まれながらにして価値のある人間である」という健康的な自覚を身体に伝える。 だれがやるのか その人を産んだ家族がそれをその人に伝える。 そうすれば「自分は特別かそうでないか、いやどうか」という戦いを避けられる。 http://d.hatena.ne.jp/s00442ts/20130429/1367235331 暴論だと思う。 子育て世代はまさに「健康的な自覚」とやらを持てずに自分探しをした世代。 親から与えられていないものを、子に与えることは出来るか? 出来る人も居るんだろうが、多くの人は無理だろう。 それが親の必須課題とされるのなら、多くの夫婦が子供を持つことを放棄する。 自分探しや承認欲求の話になると、とにかく親に問題がある…という話に持って行かれがちだ。 「最近の親が駄目」と、家庭に全責任を投げる人も多い。 では、戦前のごく平均的な親は、我が子に「自分は生まれな

    今の家族にその役割を負わせるのは暴力である
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    obsv 2013/05/03
    暴論ではないだろう。機能不全家庭で育った子どもと健全な家庭で育った子どもでは明らかに精神的タフネスが違うのだから。昔に比べ核家族化・密室家族化した分環境は悪い。
  • 誰が弱者か?: 極東ブログ

    2ちゃんねるのまとめサイトだろうか、「どっちが弱者ですか?」(参照)というネタが上がっていた。ネタだというのは一目見ればわかるが、この絵はちょっと奇妙な後味を残す。誰が弱者か?という難問の、どこかしら質を突いているからだろう。 5人の人がいる。左から。 (a)貯金4000万円の働かなくても年金生活の老人。 (b)年収300万円の疲れ切ったブラック会社員。 (c)年収250万円の派遣社員。 (d)年収200万円のフリーター。 (e)旦那が年収1000万円の専業鬼女。 もちろん、ネタ元の「あなたの優しさで席をゆずりましょう」というときは、妊婦(e)や老人(a)に席を譲ろうという話だったのだが、これを「弱者」に問題をすり替えたとき、譲られるべき老人(a)も妊婦(e)も社会的な「強者」ではないのかというアイロニーである。 もちろん、とまた言うが、この局面では座っている権利を持っている人が身体的な

  • 現代は、なぜ生きづらいのか : 哲学ニュースnwk

    2012年04月10日15:00 現代は、なぜ生きづらいのか Tweet 1:マジレスさん:2010/07/04(日) 03:29:12 ID:+0lqBjq5 法律や規律が減ることはないのに、増えるばかりで、身動きとれなくなってきた。 テレビの垂れ流す偏った価値観。 たとえば、不細工は芸人扱いされるもの、美形はアイドル女優みたいに賛美するもの。 人々は彼らに対してそうしなければならないし、人もその役を演じなければならない。 不細工が上品だったり、美形が下品であってはならないという、風潮。 流行(メディアが勝手に作り上げた)の物を、今ブームだと煽ることで、 それに乗れない人は、ダサい、哀れ。と見下される。 婚活、ハイブリットカー、派遣切り、IPAD・・・。 メディアが垂れ流す国民を牛耳る情報操作にいちいち反応してたら、それこそ思うつぼ。 東大、早稲田、慶応。実業家、政治家、富豪。 彼らを

    現代は、なぜ生きづらいのか : 哲学ニュースnwk
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    obsv 2012/04/11
    どの時代にもその時代なりの生き辛さがあると思うが、現代はメディアとグローバル化、少子化の影響が大きいだろう。同調圧力の強い日本ではマスメディアの発達が心理的選択肢を狭める方向に作用してるのではないか?
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