議員とは何か。そんな再考を促す異色の提言が、論壇で政治学者から投げかけられた。吉田徹・北海道大学教授(比較政治)による「くじ引き民主主義」の勧めだ。足元で進む「選挙の空洞化」を直視し、歴史に手がかりを探っている。衆院選を前に話を聞いた。 吉田さんは今年8月、ウェブマガジンのαシノドスに「形骸化する地方自治――『くじ引き民主主義』を導入せよ!」を寄稿した。 選挙ではなく、くじ引きで自分たちの代表を決める仕組み。それを導入することで私たちは民主主義を強化できる、と吉田さんは訴えた。古代ギリシャなど近代以前の民主政治では、実はくじ引きが普通に用いられていたのだ、とも。「地域の名士だけでなく、専業主婦だったおばあちゃん、子育てするお母さん、非正規のフリーターが集まる議会を想像してみよう」と論考に書いた。 引き金は地方選挙の「形骸化」だった。2015年に行われた統一地方選挙では、町村議選での無投票当
比例で「民主」とだけ書いたってかまわない 今回の衆院選挙について、政局とかイデオロギーとかではなく、なにか別の方向からの考え方はないだろうか、と考えていた。すごく嫌われる考え方だろうと初めから理解はしているが、思いついたことがある。シンプルな3つの投票原則である。 まず、投票について別の考え方はないだろうか、と考えるきっかけは、積極的棄権を呼びかけるニュースを見かけたことだった。それも納得できる考え方の1つではないだろうかと思ったのだ。 選挙といえば、「必ず投票に行きましょう」といかにも上から目線で言われるものだが、それが常に正しいというものでもない。例えば、12月1日にカタルーニャで実施された、独立を問う住民投票もそうだ。投票者の9割が独立を支持した。それだけ見れば熱狂的な独立支持だし、なんというか立憲民主党に寄せるネット民の期待を連想させるようでもある。だが、棄権は6割近かった。棄権に
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