「平和的に話し合おう」と言われて、それを拒絶することは難しい。 小学校の「道徳」の授業から、喧嘩の仲裁、国際紛争について論じるTVのコメンテーターまで、知的で良識的と見做されているあらゆる人々が 「暴力ではなく対話で問題を解決しよう」 というメッセージを繰り返し発信し続けている。こうした価値観が広く浸透している現代社会において、「対話」することを拒絶してしまえばその時点で拒絶した側が「悪」と断罪されるのは避けられない。それゆえ対話を拒むことも、対話以外の選択肢を選ぶことも難しいのだ。どんなに対話が嫌で嫌で仕方がないとしても、対話からは誰も逃げられない。 こんな話をすると「なぜあなたは対話を嫌がるのか?」という声が聞こえてきそうである。対話とは暴力に依らず問題を解決する素晴らしい手段であるのに、その対話を拒むとは何事だろう。あなたは対話ではなく暴力を選ぶ野蛮な極悪人なのか?そんな意味の言葉を