わたし的棚ぼた一万円選書 急に千葉さんに手渡された封筒、開けてみたら1万円札が1枚。何ごとかと思えば、同期の出張を代わったお礼をもらったらしい。 「葵はワンオペで育児してくれたから」と半分わけてくれました。 泡銭の1万円 これはもう、わたし的1万円選書をしろという思し召しなのでは……
わたし的棚ぼた一万円選書 急に千葉さんに手渡された封筒、開けてみたら1万円札が1枚。何ごとかと思えば、同期の出張を代わったお礼をもらったらしい。 「葵はワンオペで育児してくれたから」と半分わけてくれました。 泡銭の1万円 これはもう、わたし的1万円選書をしろという思し召しなのでは……
ラモーンズとオナマシを聴きながら発泡酒を飲みまくり、今はもうベロンベロンですわ。非モテという言葉が僕は大嫌いですわ。モテるかモテないかよりも、どれだけ人を好きになれるかっていうことの方が大事だと、私は思いますけどね。
50代の概ね4人に1人が未婚となり、離別の増加や死別も考慮すれば、50代以上の人が属する世帯のうち4割以上が「単身かつ子どものいない世帯」となる。――社会保障審議会・人口構造の変化に関する特別部会では、これまでの人口構造の変化が続けば、2055年にはこのような状況も想定しうると指摘している(※)。日本の人口構造の変化は、少子高齢化のみならず、未婚・単身世帯化を伴っており、社会に大きな影響を与えていく。 こうした変化は、既に始まっている。1990年から2005年にかけて、全人口に占める一人暮らしをする人(単身世帯に属する人)の割合は、7.6%(90年)から11.3%(05年)に増加した(総務省『国勢調査』)。男女別・年齢別に一人暮らし比率(対年齢別人口比)をみると、10代男女と20代男性を除いて、どの年齢階層でもその比率が高まっている。特に、30代女性(90年3.7%→05年8.5%)、50
ドトールコーヒーが好きです。 頼むものはいつも同じ。 アイスコーヒーSとミラノサンドC、パプリカ抜きで。 アイスコーヒーSとミラノサンドC、パプリカ抜きで。 アイスコーヒーSとミラノサンドC、パプリカ抜きで。 これを週に5回くらい。1日に2回行く日もあります。 ミラノサンドが好きです。が、ピーマンが嫌いです。 だからいつも「パプリカ抜きで」とお願いします。 レジのおねいさんは確かに 「Cサンドパプリカ抜きでー」 と 作り手のおにいさんにオーダーを出したんだけど、 なぜかパプリカの入った標準装備のCサンドが出てきました。 食べようと手に取った瞬間に「オイオイ話が違うだろ」って思ったけど、 どうしても食べられないわけではないし、わざわざ取り替えてもらうのも億劫。 レジに人も並んでるし、まぁいいか。今日だけちょっと我慢すればいいだけの話。 ところがその翌日も同じことが起こりました。 「アイスコー
id:torly:20070504#1178272922を踏まえて。 梅田望夫氏「人の粗探ししてる暇があったら自分で何かやれ」反応まとめ : ARTIFACT ―人工事実― 梅田氏のありがたいお話に脊髄反射的に反発したくなった人の中には、多分少なからぬ数の「閉じた人生」を生きている人が居たと思う。 閉じた人生というのはいわば、白鳥ではなかった醜いアヒルの子の亜種で、醜い、んだけどその醜い集団の平均よりなお醜いタイプがおおむねこれに当たる。というか俺の人生そのものですお(^ω^)何か大々的にMe使うなってアナウンスされた!! じゃあvistaかXP買って今のPCは*nix系入れて悠悠自適ダブルPCライフしたい!! と思ったが次の瞬間「あ、多分一生このままだわ。新しくvistaかXP買うにしても、今のPCがディスククラッシュした後1年ほど放置でその間携帯とネカフェから細々とはてダだけ更新の日々
昨日のエントリで「勝てば官軍」的な歴史観について書いたのですが、よくよく考えてみれば、歴史がつねに生者によって書かれるものである以上、それはいつでも生き延びたものの視点からみられたものでしかないわけです。生き延びることのできなかったもの、あるいは物理的には生き延びたもののその経験を言葉にし得るという意味では死せるものと同じような立場におかれたもの*1は、どのようにしても歴史を書いたり語ったりすることができないのですから、結局、歴史とは生者つまり生存競争の勝者のものなのでしょう。 で、非コミュ*2をめぐるすばらしい人たちのアドバイスもこれとよく似たところがあるかな、というのが今日のエントリの趣旨。すばらしい人たちは多くの場合苦境を乗り越えて生き延びて来られた方々で、だからこそ今苦境の中にある人々をみると、いろいろアドバイスをせずにはいられないのだろうと思います。ですが、それらのアドバイスは原
はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
弱者は普段肯定されないからこそ、他者からの肯定を求めて弱者コミュニティに入る。けど弱者は様々だから互いの求めるものが一致せずイザコザの元になり、弱者は連帯しにくい。とすると弱者は他者からの肯定も得にくい。非コミュと似非コミュは似てるけど遠い - 誰かお尻拭いてくださいGW中に盛り上がっていた、弱者さん達はコンプレックスとかルサンチマンとか色々デリケートだから、ただでさえ居場所が無いのに弱者同士で連帯するのさえ難しいよねという話について考えた事などを書いてみます。 「世界を自分に合わせて削るか、自分を世界に合わせて削るか」ってなセリフが、あるマンガ*1にありました。…尤もこれは、いじめられっ子がいじめっ子に対する殺意を美化したセリフに過ぎませんが、僕は「そのどちらも削らなくて済む」方法を模索したいのです。「ゆるコミュ」の精神からは逸脱するかもしれませんが、やはり僕は自分の理解者が欲しいと思っ
# 2007年04月27日 Masao_hate Masao_hate 男と女 まぁ、男にもあると思いますよそういうのは。少し前話題になった、メンヘル好きも同じ構造かと。 http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/pal-9999/20070425/p2 ちと、この間のエントリの pal-9999の日記 - だめんず・うぉーかーが存在する合理的な理由を考察した で、Masao_hateさんから、こんなレス貰ったし、もうちっと考えてみよう。男女間の相違というか同じ部分というか。 実をいうと、だめんずうぉーかーが、加藤鷹理論で、その合理性を証明できるようになるまで、僕としては、なんで存在するのかが、不思議だった。 最初にいっておくと、この問題の場合、問題なのは、プライドとか自己愛なんだと思われる。つまりなんだけど、誰だって、「人の上に立
タイトルがないんだよなぁ…。 http://anond.hatelabo.jp/20070415052118 (中略) 社会人ならば、場の雰囲気を感じ取りその中で 自分がいかに行動すべきかを考えられるようにならなければなりません。 これは何も飲み会のみに限られたことではありません。 職場ではもちろん、個人の生活上のありとあらゆる活動に及ぶのです。 飲み会にすら来ない人、飲み会で浮くような人などは、 飲み会以外においてもパッとしない人間がほとんどでしょうね。 飲み会に対する臨み方で、 その人個人の社会人としての能力が分かってしまうのです。 ここでの「社会人」ってのが何を指しているのか、 という部分でかなり異なる部分があるように俺は思うんだけども。 社会人=金を稼いでる人と いう意味で「金を稼ぐシーンにおいて」と いう意味では上記内容は間違ってないように思う。 しかしながら、私はアイドルヲタを
例えば、図書館で歴史の本を探すとき、真っ先に物理学だとか児童文学だとかの棚には向かいませんよね。はてぶで何かをやっている最中に料理のレシピまとめを見つけたくなったとき、とりあえず[料理] [レシピ]タグから情報をソートしたりしますよね。 ARTIFACT@ハテナ系 - 非モテとか非コミュなどを使って自分の気持ちや考えを語ること これは、あくまでワタシ個人の捉え方なのですが。 最初は何の気なしに使い始めた「非コミュ」という語ですが、語自体とその意味がある程度広く認識されつつある現状、「非コミュ」とわかりやすく印をつけておくことで「自分は非コミュじゃないのか」という疑問を持ち始めた(自分と同じように)人付き合いに悩み苦しむ人に自分の記事を見つけてほしい気持ちはあります。 平たく言ってしまえば、「タグ付け」ですね。 実際、そのタグ付けが功を奏したことが相手からのはっきりした反応によりわかった出来
庄司薫氏は、十年ぶりに発表した小説『赤頭巾ちゃん気をつけて』が芥川賞を受賞したとき、「受賞の言葉」でこういうことを言っている。「この十年間ぼくが考えてきたのは、「男の子」いかに生きるべきか、とでも言ったこと」であり、絶えざる自己鍛錬や努力の結果「ぼくがたどりついたのは、余りにも素朴で笑われるかもしれませんが、みんなの幸せを考えること、そしてそのためには強さにささえられたやさしさとでもいうべきものを育てること、「これぞ男の生きる道」といったことでした」と。庄司氏は、「『赤頭巾ちゃん気をつけて』は、何よりもこの「他者への愛」を描こうとする努力だった、と言っていい」とも書いている。庄司氏にとって、「男らしい」という規範は、「他者への愛」、「みんなの幸せを考えること」、「強さにささえられたやさしさ」を育てることなどに結びついた自我理想であり、その対極にあるのは、「平気でエゴイスティックな目的を求め
↓この辺を見て思ったこと。 http://anond.hatelabo.jp/20070205222738 http://anond.hatelabo.jp/20070206181208 なにがそうさせたかというと、「うわ、増田が色気づいてるwww」といわれたのが死ぬほど屈辱的だったっていう。 この作者の人はタイムマシンに乗って私の高校時代を見てきたのかとでもいいたい内容。ではあるのですが、あえて言いたい。これは「モテない人」であって「非モテ」ではないのではないか、と。 ちょっとここからヤバイ内容。 「モテない人」と「非モテ」は同じようで微妙に違うような気がしています。 つまり、「非モテ」とは「モテない事を自分のアイデンティティとしている人」なのではないのでしょうか。 客観的には非モテ(彼女なし=年齢)だけど、非モテ問題に全く興味のない人という人もいます。彼らが興味のない主な理由は、エロゲ
甘えるなと言われて育てば、甘え方が上達する機会は無いだろうし、甘え方が下手なまま他人に甘えても「甘えるな」と言われて経験を積む事もできないからずっと下手なまま。友達がいないから友達ができないとか恋愛経験が無いから恋人が出来ないとか職歴が無いから就職できないといった、自力ではどうする事も出来ない類の問題だと思うのだけど、他人に対して「甘えるな」と言う人を見た時に、その言葉の対象が自分以外であっても心がザワつくのはこれが関係ありそう。そういえば以前アルバイト先に、「自立したいから」と実家の近くにアパートを借りて(引越し代は親が負担)1人暮らしを始めたけれど、すぐにおカネが足りなくなって親や友達から借金しまくっても「甘えるな」とは決して言われず、むしろ「自立していてエライ」と誉められ続けていた人がいたのだけど、彼の甘え力はいったいどれくらいなんだろう。それはともかく助けを求める人は「努力もしない
以前、こちらにもコメントを頂いた烏蛇さんのブログより。 「恋愛できない女は洒落にならない」はどこまで本当か http://d.hatena.ne.jp/crowserpent/20061019#c1161437965 えっと、実はこのテーマ・内容自体にはさほど言いたい事はありません。 ちょいとひっかかったのはコメント欄のやりとり一部。 『反相対主義者さん(略) ……少子化言説ですが、女性、ことに非モテ女性が叩かれる状況を見たことがありません。いわゆる「負け犬」はモテの黒字倒産ですし。』 これに純粋に疑問を私感じまして、実際、こうレスしているんですが。 『イカフライ >非モテ男は「少子化の元凶」 一体、どこの誰が、こんな風に言っているのでしょう?(純粋に疑問として) 少子化の元凶として叩かれているのは、女性側だけのように思えます。』 これを受けての反相対主義者さんのお
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く