紀伊国屋ホールで開かれたトークショウ。東浩紀・北田暁大・斎藤環・切込隊長こと山本一郎。 メタな理論とベタな現実の往復運動=批評を実践せよ。 全然、往復運動してなかったし、実践もしてなかった。 開始30分で、「保守とリベラルというのは立場取りでしかない。現実は変わらないし、言語は意味がない。現実解はポピュリズムしかない」という結論で行き詰まる。やがて切込隊長と斉藤氏が、東氏は何がしたいのかと問い詰め始める展開に。なんじゃそりゃ。 東氏は自分の目的としてこんな風に言いました。「人間とか主体的決定とか大きな物語がなくても、テクノロジーを工夫すればやっていけるのではないか」。なんちゅーか、隠れオタ(あるいはスノッブ)も安心して生きられる世界を作りたい、って言っているようだなと思た。 丁度会場に来るまで、北田氏の「嗤う日本の「ナショナリズム」 (NHKブックス)」を読んでたのですよ。なんで、後半の互