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哲学とオタクに関するumetenのブックマーク (13)

  • 時代を駆ける:富野由悠季/5止 永遠に発展しなくていい - 毎日jp(毎日新聞)

    <「機動戦士ガンダム」以後、新作を発表してもガンダムの人気には及ばなかった。富野さん自らが「呪縛」と呼ぶ苦悩の時期だ> 「ガンダム」が認められた時に、自分も作家になれると思ったわけです。ガンダムで示した、宇宙時代に対応した新しい人類像の「ニュータイプ」という概念やモビルスーツという二足歩行のロボットを使って、次の物語を作りたいと思った。しかし、「ニュータイプ」の定義づけもできないし、別の作品もガンダムほどにはうまくいかない。作家として、創作力の幅を持っていない、と自覚しました。 そこへ制作会社から「次もガンダムをやらないか」と言われれば、受けざるを得ないわけです。でもうまくいかない。「番組を1年持たせればいいんだろう」と捨て鉢になってしまう気持ちがありました。 <転機は、テレビアニメ「A(ターンエー)ガンダム」(99~00年)だ。旧知の制作会社社長からの「ガンダム20周年に何かやらないか」

    umeten
    umeten 2009/11/14
    年下に対するこの物わかりのよさげな態度というのは何だろうか。ある種の、「媚び」とみえなくもない。
  • 『ストーンオーシャン―ジョジョの奇妙な冒険 第6部』を読む - 濱野智史の個人ウェブサイト@hatena

    はじめに ユリイカ2007年11月臨時増刊号 総特集=荒木飛呂彦 鋼鉄の魂は走りつづける 出版社/メーカー: 青土社発売日: 2007/11/26メディア: ムック購入: 5人 クリック: 886回この商品を含むブログ (130件) を見る 大変いまさらな話題なのですが、『ユリイカ』の荒木飛呂彦特集(11月臨時増刊号)を年末に購入して読みました。そうしたらやっぱりジョジョを読み返したくなってしまって、年末年始からマンガ喫茶で読みふけっています(最近出た第4部のノベライズ版も購入したのですが、残念ながらまだ読めていません)。個人的には、ジャンプを読み始めた頃にちょうど始まったということもあり、「第4部」が一番好きなんですが、やはりラストの圧倒的な感じは「第6部」が抜群だと思っています。そこで唐突ではありますが、以前、第6部について個人的に書いてみた文章があるので、少し手を加えて、ここにアップ

    『ストーンオーシャン―ジョジョの奇妙な冒険 第6部』を読む - 濱野智史の個人ウェブサイト@hatena
    umeten
    umeten 2009/05/27
    時間=偶然を支配する能力と、超人思想と、主体幻想。ただし、マンガメディアのヤンキー文化としての宿命=政治性として主体幻想が勝利を収める、と。
  • 米国での学会用の英語配付資料の日本語版 - MIYADAI.com Blog

    ──────────────────────── 1992年以降の日サブカルチャー史における意味論(semantics)の変遷 ──────────────────────── 序 『サブカルチャー神話解体』以降の2つの変化 【『サブカルチャー神話解体』以降】 私は『サブカルチャー神話解体』(1993)などの著作を通し、戦後日のサブカルチャーの変遷史を、社会システム理論の枠組を用いて記述してきました。社会システム理論の枠組は、従来の「上部構造と下部構造の二元論」から区別される「コミュニケーション一元論」の枠組で、コミュニケーション以外のものを要素としないシステムのダイナミズムを記述します。 戦後復興の時代から高度経済成長の時代まで、すなわち1970年代前半までは、日のサブカルチャーは、経済決定論や下部構造決定論によって説明しやすかったのですが、耐久消費財がゆきわたって「モノの豊かさ」

  • オタクは市民へと進化するのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    umeten
    umeten 2009/02/26
    「オタク」というネイション、「オタク」というナショナリズムについて。/結論的には、市民にはなれないだろう。ベースである日本人がそうであるのだから。
  • 東浩紀:永遠の精神的幼児

    永遠の精神的幼児 東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生』講談社現代新書 著者のデビュー作『存在論的・郵便的』は名著とよぶに値するが、その後、彼の出したおびただしい「オタク」は、若い評論家が自分の世界を確立する前に売れっ子になって、メディアに「ほめ殺し」されるパターンの典型だ。彼の師匠である浅田彰氏がその典型で、経済学者としては何も業績を残していない。私も、著者に「へたにメディアに消費されるとつぶされるから、雑文を書き散らさないでちゃんと勉強したほうがいい」と助言したのだが、案の定ただのオタク評論家になってしまった。書も『動物化するポストモダン』の延長上で、自分の身の回りのオタク文化を論評しただけで、とても読むに耐えない。 GLOCOMの騒動では、中山素平氏も含めて運営委員会で承認された副所長の人事を「所員が納得していないから話し合え」と東がしつこく電話してくるので、私が「管理職の人事に

    umeten
    umeten 2009/02/08
    >ただの殺しとテロリズムの区別もつかないで  って、嗚呼、じつに日本人的な美しい発想だなぁ。「下々」には政治性など宿っていないのだと。「お上」に対抗する「対抗お上」にならなければテロではない、と
  • 東氏より連絡 - the deconstruKction of right

    http://d.hatena.ne.jp/toled/20081212/p1 で起ころうとしている授業突撃祭りですが、「大人数でくるのは大学的にまずい」「事務に連絡することになる」と東氏が仰っておりました。とりあえず、僕は連絡役としてここで報告しますが、そのことに特に意味はありません。偶然連絡が取れて今PCが使えるので。ご了承ください。

    umeten
    umeten 2008/12/13
    ああ、次はブルーシートだ・・・・・・/それにしてもチンケな話だ
  • [科学に佇む心と身体] - FC2 BLOG パスワード認証

    管理人からのメッセージ 某A社との契約を切られた関係で、大幅な更改を行わねば公開できない状態に陥った ため閉止しました。 ご連絡は http://sciencebook.blog110.fc2.com/ もしくは https://twitter.com/endBooks/

    umeten
    umeten 2008/11/16
    「経済活動」としてのテロリズム。そう、テロとは交換様式の一つなのだ。/あと、後半にある「オタク懐柔理論」も興味深い
  • ボーメ/BOME(加筆1): 彦坂尚嘉の《第41次元》アート

    もともとフィギュア(figure) というのは、「人の形をしたもの」と言う意味だ。 人形である。 人形と、彫刻は違うのだろうか? 彦坂理論では、 人形というのは、《原始立体》というものであって、 原始的な構造をしている。 それに対して彫刻は、《透視立体》というもので、 これを説明するのは、むずかしい。 実例で言うと、 ロダンの彫刻も、「人の形をしたもの」であるけれど、 これは《透視立体》であるのに対して、 現在の日で人気のある彫刻家・船越桂の作品は、 彦坂流の視点では、《原始立体》であって、 つまり人形なのである。 それではBOMEのフィギュアというのは、 どうなのであろうか? だれが見ても人形であるはずのものが、 実は、彦坂理論でみると《透視立体》であって、 彫刻なのである。 そんな馬鹿な! そうなんです。 だれも同意してくれそうも無いことなのですが、 そういう秘密があるのです。 彫刻

    ボーメ/BOME(加筆1): 彦坂尚嘉の《第41次元》アート
  • 『思想地図』 - logical cypher scape2

    冒頭の共同討議以外は読み終わった。 この雑誌は、冒頭の共同討議を除くと、 1歴史の中の「ナショナリズム」、2ニッポンのイマーゴポリティクス、鼎談日論とナショナリズム、3問題としての日社会、4共和主義の再発明、公募論文 に分けられる。 この中でわけても面白かったのは、2と公募論文であった。 東のデータベース論と伊藤のキャラ論をフレームとしつつ、それらをさらに精密化したり、応用させたり、作り替えたりして、様々な現代文化を論じている。 オタク文化論界隈には、まだまだ面白いことが残っているということを感じさせてくれるもので、興奮させられた。 東浩紀自身が、この界隈が去ってしまったということが惜しくなるようにも思えるし、あるいは、東浩紀の時代の終焉が、図らずも東浩紀編集の雑誌上で結実したともいえるのかもしれない*1。 では、それ以外の章はどうかといえば、面白いことは面白かったが、知的な興奮という

    『思想地図』 - logical cypher scape2
  • 「ゼロ年代の批評の地平 ―リベラリズムとポピュリズム/ネオリベラリズム」 - end-of-scan

    紀伊国屋ホールで開かれたトークショウ。東浩紀・北田暁大・斎藤環・切込隊長こと山一郎。 メタな理論とベタな現実の往復運動=批評を実践せよ。 全然、往復運動してなかったし、実践もしてなかった。 開始30分で、「保守とリベラルというのは立場取りでしかない。現実は変わらないし、言語は意味がない。現実解はポピュリズムしかない」という結論で行き詰まる。やがて切込隊長と斉藤氏が、東氏は何がしたいのかと問い詰め始める展開に。なんじゃそりゃ。 東氏は自分の目的としてこんな風に言いました。「人間とか主体的決定とか大きな物語がなくても、テクノロジーを工夫すればやっていけるのではないか」。なんちゅーか、隠れオタ(あるいはスノッブ)も安心して生きられる世界を作りたい、って言っているようだなと思た。 丁度会場に来るまで、北田氏の「嗤う日の「ナショナリズム」 (NHKブックス)」を読んでたのですよ。なんで、後半の互

    「ゼロ年代の批評の地平 ―リベラリズムとポピュリズム/ネオリベラリズム」 - end-of-scan
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    umeten 2006/12/21
    紀伊国屋トークショウのレポート。斉藤環の言う、セカイ系に欠けているという「成長」とはいったい何を指しているのか。
  • メタサブカル病 - 東浩紀「ポストモダンと情報社会」2006-12-11

    今日の東浩紀の授業。 どうもこんにちは 皆さん元気ですか 今年の風邪は厳しい 今回は参った 10日くらい使い物にならなかった 先週の授業の翌日取材をキャンセルした 小松左京のグレイトなパーティに行って家に帰って倒れた 土曜日小松左京マガジンの座談会の仕事を入れたり 小松左京先生のせいで厳しいことになった 皆さんも気をつけてください 不調だなと思ったらすべての仕事をキャンセルしないといけない 3kgくらい痩せた チャーハンとかおうとしたら吐きそうになる 心は腹が減っているけど体は減っていない こういうところ(講義)に行くと風邪をひくと思う 一緒に小松左京先生の仕事をした大森望さんにもうつったのではないか 授業どこやってたかわからないがこういうときのために はてなダイアリーがある - 動物化するポストモダン 1950、60年代のSF 将来のコンピュータはマザーコンピュータのようなもの 佐藤俊

    メタサブカル病 - 東浩紀「ポストモダンと情報社会」2006-12-11
  • 良い本を立て続け書いて、自分の能力を過信していた時の東浩紀に憧れる - モノーキー

    オタクが東浩紀へ抱く憎しみは、時代を代表する批評家か哲学家になりうるんじゃないかと言われてた頃の東浩紀への嫉妬ではないか? 言い換えると、幸せ太りする前のイケメン東浩紀へのルサンチマンともいえる。 結局みんな「動物化するポストモダン」出した直後の東浩紀の幼稚性を嫌ってるけど、あの頃の立ち位置に憧れてたりするよね。 ああいう文章はイヤだけど、ああいう仕事はしたい。ああいう立ち位置に立ちたいみたいな。 だから、みんな東浩紀の劣化みたいな文章しか垂れ流せない。俺もか。 「動物化するポストモダン」を出すまでは、確かに凄い文章を書いたって偉い人たちに持て囃されてて実際それだけの価値があったので、見誤るみたいなのはあるんだろうけれど。 ようするに、ギャルゲ論壇の人って「動物化するポストモダン」を出す前の東浩紀になりたいような気がする。 今まで自身の仕事の結果から己の実力を過信してたお陰

  • 動物化とは 一般の人気・最新記事を集めました - はてな

    フランスの哲学者コジェーヴが『ヘーゲル読解入門』において 人間と動物の差異を「欲望」と「欲求」の差異として定義したことに由来する用語。 以下は東浩紀の用語としての記述。 「欲求」とは、特定の対象をもち、それとの関係で満たされる単純な欲望を意味する。たとえば空腹を覚えた動物は、物をべることで完全に満足する。欠乏ー満足のこの回路が欲求の特徴であり、人間の生活も多くはこの欲求で駆動されている。しかし人間はまた別種の渇望をもっている。それが「欲望」である。欲望は欲求と異なり、望む対象が与えられ、欠乏が満たされても消えることがない。…動物の欲求は他者なしに満たされるが、人間の欲望は質的に他者を必要とする。…したがってここで「動物になる」とは、そのような間主体的な構造が消え、各人がそれぞれ欠乏ー満足の回路を閉じてしまう状態の到来を意味する。コジェーブが「動物的」だと称したのは戦後のアメリカ型消費

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