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哲学とサブカルに関するumetenのブックマーク (16)

  • [似非原]最高に弱まった無職が薦める百冊より少なめの本

    http://anond.hatelabo.jp/20100127001517 さらにヴァージョンアップさせるとこうなる。 差し替え『私とハルマゲドン』 竹熊健太郎『檻の中のダンス』 鶴見済『翔太とのインサイトの夏休み』永井均『アストロモモンガ』 橋治『因果鉄道の旅』根敬『超芸術トマソン』赤瀬川原平編『自転車旅行主義』 香山リカ『天使の王国』 浅羽通明追加『立志・苦学・出世―受験生の社会史』竹内洋『1968年』スガ秀実『日の思想』丸山眞男『現代詩の鑑賞101』大岡信『「知」の欺瞞』アラン・ソーカル『アナロジーの罠』ジャック・ブーヴレス『「世間」とは何か』阿部 謹也『一九七二』坪内祐三『ストリートの思想』毛利嘉孝『数学ガール』結城浩『虚数の情緒』吉田武『無産大衆神髄』矢部史郎+山の手緑『スカートの中の劇場』上野千鶴子『日文学史序説』加藤周一『リベラリズムの存在証明』稲葉振一郎『自我

    [似非原]最高に弱まった無職が薦める百冊より少なめの本
  • まとめよう、あつまろう - Togetter

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  • Amazon.co.jp: ストリートの思想 転換期としての1990年代 (NHKブックス): 毛利嘉孝: 本

    Amazon.co.jp: ストリートの思想 転換期としての1990年代 (NHKブックス): 毛利嘉孝: 本
  • 歴史問題を回避する「ナショナリズム」復興論――レイシズム的保護主義グループの成立(2) | 私にも話させて

    前回(第1回)からかなり間隔が空いてしまったが、「レイシズム的保護主義グループの成立」の第2回である。 1. このところ、日リベラル・左派の間で、「ナショナリズム」の復興論(「リベラル・ナショナリズム」)があちこちで唱えられている。そして、私見によれば、ここで唱えられている「ナショナリズム」は、非常に奇妙な特徴を持っている。この奇妙な「ナショナリズム」は、レイシスト的保護主義グループの存立基盤の根を支えるものであると思われる。 この「ナショナリズム」を検討するに際しては、「ナショナリズム」肯定論者の一人である萱野稔人と、高橋哲哉の対談(高橋哲哉・萱野稔人対談「ナショナリズムが答えなのか」『POSSE』vol.2、2008年12月)が大変興味深い。 萱野はここで、 ①グローバリゼーションそれ自体は、先進国と第三世界の経済格差を縮小させているのであるから、日国内の経済格差を問題にするな

    歴史問題を回避する「ナショナリズム」復興論――レイシズム的保護主義グループの成立(2) | 私にも話させて
    umeten
    umeten 2009/12/21
    >萱野の言う「ナショナリズム」とはどのような性質のナショナリズムなのか、それは一体何なのか
  • 2009年05月24日放送「文化系トークラジオ Life『現代の現代思想』」抜き書きノート - そのきらめきはスターライト

    politics, web | 08:46 | 「朝生」での議論と関連する話題として、ラジオ番組「文化系トークラジオ Life」の今年5月の放送での東浩紀の発言があるので、上の議論とも関連しそうな部分を抜き書きする。仲正昌樹が「アーレントを読む」みたいな新書*1を出して、その序文のところでもいっているけれど、政治というのは、元々私的利害を超えたところにある。だから economy と police、 oikos と polis が分かれる。 で、そのときに日で「政治」といわれてきたものは私的利害のぶつかり合いでしかない。こんなのは政治の名にも値しないし、思想の名にも値しない。政治というのは当はそうじゃない、自分の立場をカッコ入れするのが政治や思想の力。 ところがこの国にはそれがない。宮台・仲正より絶望が深くて、どうせ人間はそこにはいけないと思っている、人間は私的利害のことしかいわない。

    umeten
    umeten 2009/10/31
    >政治というのは本当はそうじゃない、自分の立場をカッコ入れするのが政治や思想の力/ところがこの国にはそれがない。(自分=東は)宮台・仲正より絶望が深くて、どうせ人間はそこにはいけないと思っている
  • 「楽しくない」思想から「楽しい」思想へ | 私にも話させて

    ブックオフで105円で売っていたので、遅ればせながら『思想地図』創刊号(2008年4月刊)を買ってきたのだが、突っ込んでくれと言わんばかりの発言のオンパレードで笑ってしまった。刊行時に少し立ち読みして馬鹿馬鹿しさに放置していたが、こんなに面白かったとは。気が向いたときに、「一日一言」方式で取り上げることにしよう。 まずは第1回目である。「共同討議「国家・暴力・ナショナリズム」」(参加者は東浩紀・萱野稔人・北田暁大・白井聡・中島岳志。討議の日付は2008年1月22日)の白井聡の発言より(強調は引用者)。 「僕が思想について勉強を始めたのは、90年代後半です。で、いろいろと知識の摂取を始めると、入ってくるものの多くが左旋回したポストモダニズム思想だということになる。そんななかで、僕は漠たる不満を感じるようになってくるんですね。僕は当時、遅れてきたニューアカ少年的なところがあって、いわゆるニュー

    「楽しくない」思想から「楽しい」思想へ | 私にも話させて
    umeten
    umeten 2009/10/16
    >結構なご身分である。  この一言に尽きるな/政治をマーケティングのロジックでやろうとしているから、必然的にチンピラヤンキー層に受ける「感情的な」レベルに収斂するという仕組み
  • 『ストーンオーシャン―ジョジョの奇妙な冒険 第6部』を読む - 濱野智史の個人ウェブサイト@hatena

    はじめに ユリイカ2007年11月臨時増刊号 総特集=荒木飛呂彦 鋼鉄の魂は走りつづける 出版社/メーカー: 青土社発売日: 2007/11/26メディア: ムック購入: 5人 クリック: 886回この商品を含むブログ (130件) を見る 大変いまさらな話題なのですが、『ユリイカ』の荒木飛呂彦特集(11月臨時増刊号)を年末に購入して読みました。そうしたらやっぱりジョジョを読み返したくなってしまって、年末年始からマンガ喫茶で読みふけっています(最近出た第4部のノベライズ版も購入したのですが、残念ながらまだ読めていません)。個人的には、ジャンプを読み始めた頃にちょうど始まったということもあり、「第4部」が一番好きなんですが、やはりラストの圧倒的な感じは「第6部」が抜群だと思っています。そこで唐突ではありますが、以前、第6部について個人的に書いてみた文章があるので、少し手を加えて、ここにアップ

    『ストーンオーシャン―ジョジョの奇妙な冒険 第6部』を読む - 濱野智史の個人ウェブサイト@hatena
    umeten
    umeten 2009/05/27
    時間=偶然を支配する能力と、超人思想と、主体幻想。ただし、マンガメディアのヤンキー文化としての宿命=政治性として主体幻想が勝利を収める、と。
  • 「闘わないことが闘い」

    前回の記事(甲虫ブログ: 壁の卵、卵の壁。)のブクマコメントで、horai551さんという方から外山恒一の昔の文章を教えていただいた。 その中で外山氏はこう言っている。:彼ら30代論客たちの青年期は、云わば「闘わないこと」が「闘い」であり得た特殊な、稀有な時代だった。 (「論じる気がありません」(Internet Archive)。:ここで言われている「30代論客」というのは、いわゆる新人類世代の「宮台真司とその周辺」の文化人たちのことだ。この「30代論客」たちが、たまたま彼らの置かれた特殊な状況を「一般化・普遍化する誤り」によって、より若い世代の政治的「闘争」を抑圧していることを外山氏は批判するのである。 つまりこれは“非政治政治性”を肯定的に捉えることで“真の政治性”を獲得したとみずから信じる者が、政治的なものが政治的な形態を取らざるを得ないというそもそもあたりまえのありかたを非難攻

    「闘わないことが闘い」
  • 米国での学会用の英語配付資料の日本語版 - MIYADAI.com Blog

    ──────────────────────── 1992年以降の日サブカルチャー史における意味論(semantics)の変遷 ──────────────────────── 序 『サブカルチャー神話解体』以降の2つの変化 【『サブカルチャー神話解体』以降】 私は『サブカルチャー神話解体』(1993)などの著作を通し、戦後日のサブカルチャーの変遷史を、社会システム理論の枠組を用いて記述してきました。社会システム理論の枠組は、従来の「上部構造と下部構造の二元論」から区別される「コミュニケーション一元論」の枠組で、コミュニケーション以外のものを要素としないシステムのダイナミズムを記述します。 戦後復興の時代から高度経済成長の時代まで、すなわち1970年代前半までは、日のサブカルチャーは、経済決定論や下部構造決定論によって説明しやすかったのですが、耐久消費財がゆきわたって「モノの豊かさ」

  • 東浩紀:永遠の精神的幼児

    永遠の精神的幼児 東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生』講談社現代新書 著者のデビュー作『存在論的・郵便的』は名著とよぶに値するが、その後、彼の出したおびただしい「オタク」は、若い評論家が自分の世界を確立する前に売れっ子になって、メディアに「ほめ殺し」されるパターンの典型だ。彼の師匠である浅田彰氏がその典型で、経済学者としては何も業績を残していない。私も、著者に「へたにメディアに消費されるとつぶされるから、雑文を書き散らさないでちゃんと勉強したほうがいい」と助言したのだが、案の定ただのオタク評論家になってしまった。書も『動物化するポストモダン』の延長上で、自分の身の回りのオタク文化を論評しただけで、とても読むに耐えない。 GLOCOMの騒動では、中山素平氏も含めて運営委員会で承認された副所長の人事を「所員が納得していないから話し合え」と東がしつこく電話してくるので、私が「管理職の人事に

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    umeten 2009/02/08
    >ただの殺しとテロリズムの区別もつかないで  って、嗚呼、じつに日本人的な美しい発想だなぁ。「下々」には政治性など宿っていないのだと。「お上」に対抗する「対抗お上」にならなければテロではない、と
  • 東氏より連絡 - the deconstruKction of right

    http://d.hatena.ne.jp/toled/20081212/p1 で起ころうとしている授業突撃祭りですが、「大人数でくるのは大学的にまずい」「事務に連絡することになる」と東氏が仰っておりました。とりあえず、僕は連絡役としてここで報告しますが、そのことに特に意味はありません。偶然連絡が取れて今PCが使えるので。ご了承ください。

    umeten
    umeten 2008/12/13
    ああ、次はブルーシートだ・・・・・・/それにしてもチンケな話だ
  • 小林よしのり&荻上チキ&富岡幸一郎の三氏と鼎談しました。テーマは「デマ合戦」。 - MIYADAI.com Blog

    MIYADAI.com Blog (Archive) > 小林よしのり&荻上チキ&富岡幸一郎の三氏と鼎談しました。テーマは「デマ合戦」。 « 出でよ、新しき知識人  「KY」が突きつける日的課題 | 中森明夫さんとトークしました » 【メディアに中立はあり得ない?】 ……中略…… 宮台 僕はテレビを一週間に一分も見ないんです。僕ら以降の世代には少なくない。僕はニュース解説の動画配信番組やっているので、仕事上、テレビを観ることが有害であることもあります。信頼できるプライベートなネットワークを通じて獲得した情報のほうが信頼できます。畠山鈴香がどうの、香川の父親がこうのというのは、僕には異世界の話。周りの親しい友人らも同じで、テレビには何の関心もありません。 ……中略…… 宮台 社会学者の役割を演じますと、マスコミが疑似現実を構成するという議論は、1920年代に米国のウォルター・リップマンが言

  • 分裂ポストモダン - 女。京大生の日記。

    破壊から再生。ポストモダン思想のループから抜け出すためにも真剣に近代を議論しよう。近代社会の質的な特徴は、「個人の水準に全面的な主体性が認められること」だ。しかし、このような主体性の理想は、実際は哲学や形而上学の思念のうちにしか存在してこなかったのです。たとえばの話ですが、私が好きを貫き通して大学院に進み、学者を職業にすることは、実は全面的に主体的であるとは言えないのです。私たち人間は社会の中で生きています。ということは社会の様々な規範や制度の内に知らず知らずのうちに生きていることになります。私たちは毎日学校にいったり仕事にいったりしている。これも社会の一つの制度です。 ということは、「私が、学者を職業に選ぶ」という自分の好きを基準に自己決定で選択したと私が思っている行為も社会における職業という社会制度のなかで私が選択した行為ということになり、社会制度の枠外で選ばれた行為ではないわけです

    umeten
    umeten 2007/12/11
    結婚したらブログ記事を全消去しそうなタイプ。
  • 「ゼロ年代の批評の地平 ―リベラリズムとポピュリズム/ネオリベラリズム」 - end-of-scan

    紀伊国屋ホールで開かれたトークショウ。東浩紀・北田暁大・斎藤環・切込隊長こと山一郎。 メタな理論とベタな現実の往復運動=批評を実践せよ。 全然、往復運動してなかったし、実践もしてなかった。 開始30分で、「保守とリベラルというのは立場取りでしかない。現実は変わらないし、言語は意味がない。現実解はポピュリズムしかない」という結論で行き詰まる。やがて切込隊長と斉藤氏が、東氏は何がしたいのかと問い詰め始める展開に。なんじゃそりゃ。 東氏は自分の目的としてこんな風に言いました。「人間とか主体的決定とか大きな物語がなくても、テクノロジーを工夫すればやっていけるのではないか」。なんちゅーか、隠れオタ(あるいはスノッブ)も安心して生きられる世界を作りたい、って言っているようだなと思た。 丁度会場に来るまで、北田氏の「嗤う日の「ナショナリズム」 (NHKブックス)」を読んでたのですよ。なんで、後半の互

    「ゼロ年代の批評の地平 ―リベラリズムとポピュリズム/ネオリベラリズム」 - end-of-scan
    umeten
    umeten 2006/12/21
    紀伊国屋トークショウのレポート。斉藤環の言う、セカイ系に欠けているという「成長」とはいったい何を指しているのか。
  • メタサブカル病 - 東浩紀「ポストモダンと情報社会」2006-12-11

    今日の東浩紀の授業。 どうもこんにちは 皆さん元気ですか 今年の風邪は厳しい 今回は参った 10日くらい使い物にならなかった 先週の授業の翌日取材をキャンセルした 小松左京のグレイトなパーティに行って家に帰って倒れた 土曜日小松左京マガジンの座談会の仕事を入れたり 小松左京先生のせいで厳しいことになった 皆さんも気をつけてください 不調だなと思ったらすべての仕事をキャンセルしないといけない 3kgくらい痩せた チャーハンとかおうとしたら吐きそうになる 心は腹が減っているけど体は減っていない こういうところ(講義)に行くと風邪をひくと思う 一緒に小松左京先生の仕事をした大森望さんにもうつったのではないか 授業どこやってたかわからないがこういうときのために はてなダイアリーがある - 動物化するポストモダン 1950、60年代のSF 将来のコンピュータはマザーコンピュータのようなもの 佐藤俊

    メタサブカル病 - 東浩紀「ポストモダンと情報社会」2006-12-11
  • 良い本を立て続け書いて、自分の能力を過信していた時の東浩紀に憧れる - モノーキー

    オタクが東浩紀へ抱く憎しみは、時代を代表する批評家か哲学家になりうるんじゃないかと言われてた頃の東浩紀への嫉妬ではないか? 言い換えると、幸せ太りする前のイケメン東浩紀へのルサンチマンともいえる。 結局みんな「動物化するポストモダン」出した直後の東浩紀の幼稚性を嫌ってるけど、あの頃の立ち位置に憧れてたりするよね。 ああいう文章はイヤだけど、ああいう仕事はしたい。ああいう立ち位置に立ちたいみたいな。 だから、みんな東浩紀の劣化みたいな文章しか垂れ流せない。俺もか。 「動物化するポストモダン」を出すまでは、確かに凄い文章を書いたって偉い人たちに持て囃されてて実際それだけの価値があったので、見誤るみたいなのはあるんだろうけれど。 ようするに、ギャルゲ論壇の人って「動物化するポストモダン」を出す前の東浩紀になりたいような気がする。 今まで自身の仕事の結果から己の実力を過信してたお陰

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