◇欧米の日本研究者ら187人が安倍政権に求めた声明 欧米の日本研究者ら187人が、戦後70年を過去の植民地支配や侵略の過ちを清算する機会にするよう安倍政権に求めた声明に対し、さらに賛同者が269人増え、世界で456人が署名したことが19日、分かった。欧米では、安倍政権の歴史認識に対する懸念が高まっており、8月にも首相が表明する戦後70年談話を念頭においた欧米から日本への進言といえる。 声明は「日本の歴史家を支持する声明」。19日に公開された新たな署名者にはオランダ人ジャーナリストのイアン・ブルマ氏などが含まれている。日本研究者を中心に、歴史学、人類学、政治学、文学などの研究者が幅広く参加し、賛同の輪も、米国や日本、スウェーデン、オーストラリアなど世界に広がる。4日に発表された声明には、マサチューセッツ工科大のジョン・ダワー名誉教授やハーバード大のエズラ・ボーゲル名誉教授など著名な日本研
ルネ・ゲノン(1925年の写真) ルネ・ジャン・マリー・ジョゼフ・ゲノン(René Jean Marie Joseph Guénon, 1886年11月15日 - 1951年1月7日) (あるいはアブドルワーヒド・ヤフヤ)は、フランスの思想家。形而上学、エゾテリスム(秘教)、「聖なる科学」、さらには象徴やイニシエーション(秘儀伝授)まで様々な対象に関する著作を残している。 その著作の中でゲノンが提案しているのは、「東洋の形而上学の教義の諸様相を直接的に説明すること」(この教義を彼は「普遍的性格」のものだとしている)、あるいは「この教義の本質に厳格に忠実であり続けながら、教義そのものを西洋の読者のために適用すること」であった。ゲノンは、この東洋の教義の持つ「非個人的性質」について繰り返し述べつつ、これらの教義を「伝達する」行為を支持したのみである。ゲノンの著作は20以上の言語にすでに翻訳され
■「人間ヒトラー」という不思議 最近の政治報道で、よく引き合いに出されるドイツの独裁者、アドルフ・ヒトラー。徒手空拳から瞬く間に大政党を築き上げ、合法的選挙で政権を獲得したカリスマ政治家は、どう人格を形成したのか。孤独で貧しい日々を送った彼の青年時代について、一人の人間としてその心理を描き出した異色作『ヒトラーのウィーン』(新潮社)を著した哲学者の中島義道さん(65)に、謎の多いヒトラーの人物像を聞いた。(文・磨井慎吾) ◇ --なぜ民主主義のワイマール共和国で、ヒトラーが出てきたのでしょうか 中島 最初にヒトラーが出てきたときは、みんなバカにして、力を持つことなんてありえないと思っていた。それで大目に見てしまったんですよね。特に1923年のミュンヘン一揆(ナチ党主体で起こしたクーデター未遂事件)が失敗してヒトラーが投獄され、ナチは終わったと思われた。それ
特集=アートカフェ対談 熊倉敬聡+小山田徹 .. コミュニティとしてのカフェ、ノードとしてのカフェ コミュニティのとしてのカフェ 熊 倉……最初にアートカフェの具体例として、小山田さんが現在運営に参加している「バザール・カフェ」について話していただけませんか。 小山田……「バザール・カフェ」は、これまでさまざまな社会活動をやってきたグループの共同のミーティング・プレイスの一つであって、「コミュニティの中のカフェ」という形で運営しています。ここに関わっている人達はケア・サポートとかノウハウ、あるいはそれぞれ現場をカフェに持ち込むことで、社会とリンクする。バザール・カフェはその場所であるわけですね。だから、アーティストは、「アーティストとしての現場」を持ち込むことになっている。 熊 倉……アーティスト以外にいろいろな人達がいるわけですね? 小山田どちらかといえばアーティストは少数派ですね。ただ
ダニエル・ゲラン(Daniel Guérin, 1904年5月19日 - 1988年5月14日)は、フランスの歴史家、反植民地主義者、同性愛者の権利擁護者、無政府主義の理論家、美術評論家、革命家。 生涯[編集] ダニエル・ゲランは1930年代に政治活動を始める。反植民地主義運動に入り、労働者・農民階級の党の幹部として働いた。党の左派に所属し、そのころ親しくなったレフ・トロツキーと文通している。 1933年にナチス・ドイツ統治下のドイツに旅行し、そこで得た経験に基づいてファシズムと資本主義のつながりを明らかにしようとした「ファシズムと金融資本」(Fascisme et Grand Capital)を著した。 第二次世界大戦時から政治思想が正統派マルクス主義から左派リバタリアニズムに移行しつつあった。1959年から、マルクス主義、特に階級闘争と無政府共産主義を統合させようとし、その流れにより「
「ブルジョワジーとその飼い犬に死を – 赤色テロル万歳」と書かれたプロパガンダポスター。ペトログラード。 赤色テロ・赤色テロル(せきしょくテロ、せきしょくテロル、英語: Red Terror、ロシア語: красный террор, tr. krasnyj terror)とは、共産主義者が行なう反政府的暴力行為[1]、革命勢力や反政府勢力、共産主義国が起こすテロ (テロリズム)である。特に、ソビエト・ロシアにおいて、ボリシェヴィキおよび秘密警察チェーカーによって実行された政治的弾圧と大量虐殺、ロシア革命後の1918年9月初めから始まり、1922年まで続いたテロリズムを指す[2][3]。広義には、ロシア内戦(1917-1922年)を通じて行われたボリシェヴィキによる政治的弾圧を指し[4][5][6]、白軍によって実行された白色テロとは区別される。 対義語は白色テロで、これは為政者・政府が反
正宗白鳥や三島由紀夫が深沢七郎を絶賛していることは知っていた. 「楢山節考」が土俗的な味わいを持っていることも理解できた。だが、「楢山節考」が「人生永遠の書として心読すべきもの」(正宗白鳥)と激賞するほどの作品なのか疑問だったし、その土俗的な作家が妙に派手なハワイアン風のシャツなどを着こんでギターを弾いたり、自分の畑に「ラブミー農場」という気取った名前を付けたりするところが腑に落ちなかった。 そのうちに深沢七郎は「風流夢譚」を書いて「渦中の人」となった。世間はこれ以後彼を「面妖な異人」と見るようになったが、私の深沢七郎を眺める目も、そうした世俗の立場から一歩も出ていなかったのである。それでも、彼の本を古本屋で見かけたりすると、何冊か買い込んでいた。けれども、それらの本は買ったきりで読むことはなかった。今日まで、彼の作品で私の読んだものは、「楢山節考」だけだったのだ。 十日ほど前に、「耕治人
『楢山節考』(1956年) 『笛吹川』(1958年) 『東京のプリンスたち』(1959年) 『庶民烈伝』(1970年) 『みちのくの人形たち』(1979年) 深沢 七郎(ふかざわ しちろう、1914年〈大正3年〉1月29日 - 1987年〈昭和62年〉8月18日) は、日本の小説家、ギタリスト。 山梨県出身。職を転々とし、ギター奏者として日劇ミュージックホールに出演。『楢山節考』が正宗白鳥に激賞され、異色の新人として注目を集めた。「中央公論」に発表した『風流夢譚』に関わる右翼テロ事件(嶋中事件)後、筆を折った時期もあったが、土俗的な庶民のエネルギーを描いて独自の作品を発表し続けた。農場や今川焼屋を経営したり、ギター・リサイタルを開催したりと多くの話題を残した。他に代表作『笛吹川』『東京のプリンスたち』『庶民烈伝』『みちのくの人形たち』など。 来歴・人物[編集] 1914年(大正3年)1月2
ジョージ・バークリー(George Berkeley、1685年3月12日 - 1753年1月14日)は、アイルランドの哲学者、聖職者である。主著は『人知原理論』。バークレー、バークリとも。 生涯[編集] 1685年3月12日 - キルケニーに生まれる。父ウィリアムは軍人。 1696年 - キルケニー大学入学。 1707年 - ダブリンのトリニティ・カレッジで修士号取得。フェローとして大学に残る。 1709年 - 『視覚新論』刊行。 1710年 - 『人知原理論』刊行。 1713年 - 『ハイラスとフィロナスの対話』刊行。 1721年 - トリニティ・カレッジで神学博士号取得。 1728-32年 - 結婚直後、アメリカ新大陸に神学校を作るべくロードアイランドのミドルタウンに移住するが資金が充分集まらず帰国。 1734年 - アイルランド国教会の主教に叙任される。 1753年1月14日 -
2010年05月23日 21:52 歴史とはまったく逆のこと書いてある…。あまりにもひどい…。自然権獲得の努力について。 過去の克服―ヒトラー後のドイツ 人権読本 (岩波ジュニア新書) 人種主義は個人の自然権を疑問視し、異質なものの排除の要求をひそませている。 (石田勇治「過去の克服―ヒトラー後のドイツ」) まおゆうを讃美している人のブログ、ひどすぎます。さっき見て、驚愕しました。歴史的事実と全く逆のことが書いてある。これはあまりにもひどいよ…。自然権というのは、「自然権=普遍的人権」と考えて頂いて大丈夫です。 1990年代から2010年代までの物語類型の変遷〜「本当の自分」が承認されない自意識の脆弱さを抱えて、どこまでも「逃げていく」というのはどういうことなのか? http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20100521/p1 自然権の確立が、ホロコー
MIYADAI.com Blog (Archive) > 「右翼の本質」と「保守の本質」の差異を、中島岳志さん相手に語りました。 « マル激トーク・オン・ディマンド更新しました。 | Twitter効果でしょうか? » ほどなく、中島岳志さんと僕が「右翼の本質」と「保守の本質」の差異について語り合った長い対談が、中島さんを軸とした対談集に収録されます。事前宣伝にかえて、宮台の一発言だけ抜粋します。 ──────────────────────── 宮台 これも重い話ですが、九五年から九六年にかけて日米安保見直し協議と日米安保共同声明があり、周辺事態法&有事法制スキームが出てきたんですが、なぜ右翼がこれに反対しないのかが不可解でした。「何が起こっているのかわかってねえのかよ」と思いました。でも当時のぼくは援交少女のフィールドワークの最中でしたし、ぼくが発言せずとも誰かが声を上げるだろうと傍観
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