本協議会は、人文科学におけるデータベースの構築と応用を中心とした研究分野における学術的交流を目的とした大学間の連絡協議会です。定期的な活動として公開シンポジウム「人文科学とデータベース」の開催を企画・支援しています。このシンポジウムは、本協議会会員が所属する大学を会場として毎年開催され、論文集が刊行されています。
病跡学(びょうせきがく、英: pathography、独: Pathographie)とは、歴史的に傑出した人物の生涯を精神医学及び心理学的観点から研究分析し、その活動における疾病の意義を明らかにしようとする学問である。pathographyの原義は疾病記録である(graphyは、記録、書記法の意)。パトグラフィーともいう[1]。 たとえば、著名な画家のゴッホは、奇行や画風から精神が病んでいたようにもいわれている。これに対して、医師の安田宏一は、ゴッホはメニエール病だったのではないか、との説を提出した。メニエール病の発作は患者にとって時に耐え難いものであり「耳を引きちぎりたい」とまで思うのも無理はなく、また、特に有名な「星月夜」は星や雲が波頭のように渦巻いているのは内耳障害特有の眼球が揺れるめまいの時に見えた様子を描いたものではないか、同時期の他の絵で垂直な線はまっすぐ引かれているのに横の
事務局:自治医科大学精神医学教室 〒329-0498 栃木県下野市薬師寺3311-1 Tel: 0285-58-7364 Fax: 0285-44-6198
今回も教科書ネタ。 学生の論文には、読んでいて面白いものと、苦痛なもの指導しがいのあるものがあります。後者のような論文を書く学生は、論文についてこう考えていることが多いです。 興味のあることを見つけて、それについて文献を読み、それをまとめて、最後に自分の意見を書く。 こういう指導をされている先生方は意外に多いのではないかと思います(自分も昔はそうでした)。指導がラクだし。しかしこれは論文を書くときの方針にはなりませんし、してはダメです。 論文とは「研究成果」のアウトプットの1つです。少なくとも社会学における研究とは、解かれていない謎や決着のついていない問いを自分で見つけ出し、データ等の証拠を使ってそれに答えることです。(それ以外の論文もありますが、まず基本を抑えないとダメです。)上記のダメ方針は、研究と単なる勉強を取り違えているのです。 研究の手順は標準的に教えられているもので十分です。
セルカンは「NASAで働く人はみな軍人で自分は大佐」などと大法螺を吹いていた。 私は彼がその発想を得た「出典」は、トルコ人作家アイシェ・クリンの大ベストセラー「アイリン(Aylin)」ではないか、と思う。 オスマン朝のパシャ(将軍)の家柄に生まれた美人トルコ女性が多分野で世界を股にかけて(男も股にかけまくってるw最初の夫はアラブの王子)快進撃する話なのだけど、内容がなんかセルカンのハチャメチャともいえる「多才・天才自慢」に似ているのだ。 セルカンというのは、よくモデル業(あれでモデルだよ?mankenlik!)を副業にしていると自慢するのだが、このアイリンはファッション・モデルのキャリアもある。 それから紆余曲折を経て、精神科医になり、米軍大佐になり(こっちはホント。でも厳密には「中佐」と言うべきなのかも。とにかくトルコでは大佐扱いされている)、最後は自分の車に轢かれて謎の死を遂げる。 勿
新潮新書 2009年4月 漱石の『こころ』を論じたものではなく、副題のように、どのような文学作品を薦めるかを示したものである。 小谷野氏の読書量は驚くべきもので、前の『里見紝伝』でも里見氏の全作品を読んだといい、そんなことは「時間さえ掛ければ誰にもできる」とこともなげに書いていたが、本書でも「十年くらい前からは、意図的に、未読の古典名作を読むようになり、たいていは読み終えたのではないかと思っている」と書いている。丸谷才一・鹿島茂・三浦雅士・三氏による『文学全集を立ちあげる』(文藝春秋 2006年)などを読んでも、なんでみんなあんなにたくさん本を読めるのだろうと思う。何もせずに朝から晩まで本を読んでも一日3冊、年に千冊ではないだろうか。十歳から七十歳まで読んでもたったの六万冊である。もちろん本ばかり読んで暮らすわけにはいかない。実際には一生かかって一万冊がやっとではないだろうか? 同じ本を二
さてと、今年のベストをちゃちゃっと発表する前に恒例のDis行きますかって、本当はねえ、こういう罵倒芸みたいなのもうやめたいんだけどねえ、まあ折角だから対抗言説をあげとくことにするわ。 やおい小説論―女性のためのエロス表現 作者: 永久保陽子出版社/メーカー: 専修大学出版局発売日: 2005/03メディア: 単行本 クリック: 47回この商品を含むブログ (34件) を見るいろいろとお勉強しようと思ってやおい論を読んでみたんだけど、その中でも一番前評判が高かったのが「やおい小説論」だったのね。昨今はエンターテイメントと絡めたりされてる腐女子という存在、どうも軽めのメディアとの相性が良いみたい。きっと、やおい論やってる方はヤキモキしてると思うのね。だってやおいの人々ってやおい論すごく好きよね、作品論じゃなくて、なぜ自分たちがそういうものを愛好するのかって語りたがるの。それって良いことだと思う
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く