こないだ新宿よったときに紀伊国屋で「TALKING LOFT3世〈VOL.2〉」という本を買ったんですよ。これはロフトプラスワンでのイベントの内容を書籍化したものなのですが、時代が99年頃と微妙な古さです。20世紀ですよ。 内容も「ねこぢる追悼」とか「だめ連vs宮台真司」とかで「あー、ホント微妙に懐かしいなあ」という気持ちにさせられます。 で、これの中で「コミックマーケットから見えた現在」と題して、東浩紀先生や伊藤剛さんがコミケ準備会の人と色々コミケやそれにとりまくオタク関連の状況について語っておりまして、飛び入りで竹熊健太郎先生も発言してたりして、中々豪華な面子となってます。 内容としてざーっと見ると「オタクは自立すべきだ」「オタクは積極的に情報を発信していくべきだ」「21世紀は間違いなくオタクの世紀になる」とか愉快なことが書いてあるんですが、8年前と現在で語られていることの違いみたいな
http://d.hatena.ne.jp/kasindou/20060524#p1 http://d.hatena.ne.jp/ADAKEN/20060525/1148484907 私の研究テーマにも深く関わる問題なので、興味深く読ませていただきました。 アマチュア的なプライドを持って情報を収集・解釈・発信せず、ただ商品を買うだけの「消費者」は岡田氏の考える「オタク」ではない、ということだと思います。物事の定義が変わっていくのを嘆いてもしょうがないと思うのだけど、彼が嘆いたのはオタクの死そのものではなく、それがオタク文化の死につながるからではないだろうか、と私は思います。 アニメビジネス、コンテンツビジネスが隆盛を誇っているのは現実を見れば分かりますが、そういうビジネスが巧みであればあるだけ受け手は「何もせず」「お客様のように」お金を使うだけでオタク文化を楽しむことができます。アニメや漫
私は地方出身で現在東京在住32才男性オタなことを初めに書いときますね。 あと書き足りなかったとことか追加気味に。 >pipechair さん 自分もあの様子を見て一言で言えない複雑な気持ちになりました。なんとなく岡田氏が家で進行表を書いてたときのテンション、面白さみたいのは想像出来るのですが、こうしていざたくさんの人の前で話すと、思ったようには(最後はプチクリ論でシメる、というよりシャレで自分の胸中をごまかすような形で終わらせるつもりだったのでは?)いかなかったのではないかと想像しています。そこがトークの面白いところですけど。 岡田氏は単なる差別用語だった「おたく」を、知的エリート的な「オタク」として戦略的に持ち上げ、一般に広めていったという自負があり、それなのに自ら死亡宣告をせざるを得なかった、という点であのときの言葉には我々には計り知れない思いがあったのかもしれないですね。実際「萌え」
まだリリカルなのはのDVDを観れてないよとほほ。 新宿ロフトプラスワン岡田斗司夫独演会。 5分前になんとか到着。場内テーブル席は満席だったので演壇上手のボックス席から。初めて座ったけどなかなか落ち着いて見れて面白かった。しかし同じボックスに座った奴がチェーンスモーカーで死んでしまえばいいのに!と思ったよ。 いつものごとくロフトの斉藤さん*1の前説のあと岡田氏登場。 もともとは適当なゲストを呼んで最近のオタクはけしからんなーというヌルいイベントにするつもりだったけど、2日前に進行表を作ったら燃えちゃってせっかくのゲストを断り一人語りで3時間というイベントになったそうな。 第1部はオタクの現状について。 まずは最近のオタクに対する違和感。 TVチャンピオンのアキバ王選手権の審査員になって、どんな濃いオタクが来るかと期待していたら、出演者が出してきたお宝は単に買ったものだし、好きな声優を応援した
またロフトプラスワンに行った。今月はこれで3回目だ。きょうのイベントはオタキングこと岡田斗司夫氏の独演会、題して「オタク・イズ・デッド」。 昨年のドラマ「電車男」のヒットあたりからやたらと「オタク」という言葉が一般マスコミでもてはやされ、「萌え」というわたしのような歴史の長いオタクにとってはどうでもいいような言葉が、さもオタクの代名詞のように語られ、どんどん薄くなっていくオタクシーンに、オタキングがついに鉄槌を下す!!という趣旨で開かれたイベントだが、すごい展開となった。 まず、岡田氏がこれまであまりやらなかったという「オタク」の定義づけから。岡田氏など40歳代を第1世代、30代から20代後半を第2世代、そして20代前半以下を第3世代と分けた上で、それぞれの世代で「オタク」の質がだいぶ違うと説明する。中森明夫氏がその名を付けたといわれる第1世代の、ひらがなで「おたく」と表した層は、自分が好
クリルタイにて俺が放言していた部分に関することを微妙に触れてもらっている(と思い込んだ)ので補足のようなものを。 2006-05-06 日記みたいなもの - 行乞記 - 断片部 ここらへん。見逃してたり見当違いだったら土下座。 自分語り 基本的に「うだうだ言ってないで愉快なものをwebに放り込め!」というような感じの物言いはとても正しいと思うし、世の中がそういう風になっていけばいいと思っているし自分もそうあるべきだとは思うのだけれども、その物言いですらも「うだうだ言うこと」になってしまうという部分に何かを感じていたりする。 そこで喋る事をやめて(あるいは喋り続けながら)、いわゆる「クリエイティブ」な方向に真っ直ぐ進めれば万事オッケーなのだけれども、自分はそこで踏みとどまりたい、踏みとどまって「うだうだ言うこと」しかできない(というのは逃げなんだろうかと思う節もあるが)人なので、「うだうだ言
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