前ウルグアイ大統領のホセ・ムヒカさんは1月25日、同国で講演し、「お金を使い過ぎると、人生の時間がなくなる」と話した。同講演は、世界一周中のピースボートがウルグアイの首都モンテビデオに寄港したことを記念して開かれた。愛用のビートルに乗って港に到着したムヒカさんは、「時間の尊さ」を伝えた。(オルタナS副編集長=池田 真隆) ムヒカさんは、ピースボートがウルグアイに寄港したことを歓迎し、同国を「南米一公平な国」と紹介した。同国は1916 年に南米で最も早く女性に離婚できる権利を与え、男女平等選挙を実現させた。ムヒカさんは、「100年前から教育を公的機関が行っていて、まだ決して完全ではないが、差別や人権問題も少ない」とした。 「テクノロジーの爆発と消費主義により世界中で苦しみ、戦争で亡くなっていくのは一番貧困な立場にある人たち」とし、これからの世代の責務は、「この地球の自然を守ること、お互いの紛
【AFP=時事】イスラム過激派組織「イスラム国(IS)」に勧誘された戦闘員の教育水準は、社会通念に反して、それぞれの出身国での平均より概ね高い。世界銀行(World Bank)がこのほど報告書を発表した。 世銀の報告書「Economic and Social Inclusion to Prevent Violent Extremism(暴力的な過激主義を防ぐための経済的、社会的包摂)」は、自爆攻撃の志願者について、一般的に教育水準がより高いグループに属していると述べている。研究報告書は、シリアを拠点に活動するISへの人々の傾倒について、社会経済的な側面から説明を試みたものとなっているが、報告書が明らかにしているのは、貧困がISを支持する要因ではないということだ。 報告書によると、シリアとイラクで活動を展開しているISのグループに参加の戦闘員の多くは、その出身国が欧州やアフリカ、中東であ
私は次の態度を取ることにおいて反出生主義者である。 ・子供が生まれることは、生まれないことに比べて(子供自身にとってではなく)道徳的に悪い しかも、この態度は、私が下の記事で定義した(私自身の)エピクロス主義の延長なのである。 エピクロス主義者の願望はいかなる意味で生存に条件づけられているか。私の場合は。 - Silentterroristの日記 この記事では、この反出生主義がどのようにエピクロス主義の延長として帰結するか、そして私の反出生主義の内容の一部について述べたい。 まず、道徳は一般に、将来の自分に対する思慮の延長であることを説明する。 これは、将来の自分は、他人もより近いものの、(今の)自分にとっての他者であることに変わらず、他人と(今の)自分の中間に位置する存在だからである。 他者とは、自分と同様に経験が展開される場であり、しかも自分は、その他者という場も他者の経験も、決して経
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人は誰でも仕事を 手放してはいけない 人生には思いがけないことが起きます。世の中にはつぶれない会社はないし、病気にならない人間もいない。だから家庭の稼ぎ手は、大黒柱一本ではなく、夫も妻も収入を得られる二本の柱のほうがいいと思います。夫が長患いをしたら、家のローンと子どもの学費、食費をどうするのか。それを考えると、夫婦はリスクヘッジを頭に置いておきたい。そして若い女性も仕事は生涯続けるものだと覚悟して欲しいのです。 私は同年代の40代、50代世代の女性が、人生の後半になって、納得のいく仕事にカムバックした例が少ないと聞いています。働く場所がないのは残念なことです。そして家庭が壊れていくのもたくさん見てきました。今この世代の人に向けてのアドバイスが見つかりません。酷な言い方をすれば、遅かったということ。でも、親として次の世代は変えていきましょう。女の子には徹底した自立を、そして男の子には「家庭
反転しているのはMacのPhoto Boothで撮影したため。今日のオススメ本は昨年末に出版されたフランコ・ベラルディ(ビフォ) の『プレカリアートの詩 記号資本主義の精神病理学』。装丁も含めて好きな本。 経済が病気というなら、いっそ崩壊してしまえ 未来のことは心配ない、そんなものないのだから 2001年9月11日以来、自殺こそがわたしたちの時代における決定的な政治的行為となった。人間の生命が無価値になるとき、屈辱はもう耐え難く爆発しそうなほどにまで育つ。このとき希望はおそらく、自殺からのみ生じうるのである。 希望は自殺! パラパラとページをめくって目に留まった文章を書き写してみたが、なんとも悲観的な! でもボクはこの本を読んで希望が湧いてくる。自分と同じような感覚で世界を認識している友と出会えたような、しかもアイロニーのセンスまで共有しているような。 本人に登場していただこう。2008年
2011年9月8日木曜日 HxRxPx 9.11 声明文 なんだか意味のわからねぇ野田とかいう、原発推進派のどこぞの馬の骨が首相になっちまった…。この国の民主主義はもはや、解体のプロセスに入った。 世界は破滅に向かって雪崩れ込む。もう政治という単位ではなにひとつ変えることができないということが、またしても証明されちまったわけだ。 だからって無力感に苛まれ、家の中でTVをみながらボケッとしてる場合じゃねーぞ! その不安を、絶望を、不信感を叫べ! 表現しろ! なんかやってみろよ! やるしかねーんだよ! 「原発やめろデモ!!!」は「誰でも参加してくださーい」的なオープンな場である。だからこそこれまで毎回数万人の人々が参加してきたということも、また事実である。 しかーし! そのせいかどーかは知らねえが、最近の反原発運動を利用して、まったく根拠のない在日朝鮮人排斥ビラなんかをまく輩があらわれている。
「〈企画〉 アニメ評 魔法少女まどか☆マギカ」(京都大学新聞社) もとのアニメは見ていないが、強く触発された。 当事者性とは、伝わらないものを抱えること。 受け入れられたいという願望を満たすために自分で格闘しなければならない、そういう状況に追い込まれること。 そして、《責めあり》の存在であること*1。 たいていのキャラクター論や物語構造の分析は、論じ手じしんの当事者性を回避する装置になる。 そもそも思考は、ある仕方で批判可能性を引き受けつつ、それとは別の階層の批判可能性を封じる*2。 お約束――≪この話をしているかぎり、論じ手は自分の関係性それ自体について当事者的自己解体を迫られることはない(分析それ自体のレベルで面白くないと責められることはあっても、思索事業の前提は批判されない)≫ 当事者とは、倫理性を帯びることなのに、 現状の当事者概念は*3、倫理性を免除する装置でしかない。 周囲は《
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