『伊能忠敬測量日記』によると、寛政12年10月9日に宮城県岩沼の竹駒明神にお参りした後に「・・・佐原油屋四郎兵衛墓へ立寄」とあるが、この油屋四郎兵衛とはどのような人物だったのか、忠敬との関係、なぜ岩沼に墓があるのか調査して欲しい。また、墓参した寺はどこにあるのかも教えて欲しい。 1.四郎兵衛については、『正文堂物語 第2巻』p597-608「油商」に記載されている。屋号を油四といい、「本宿の伊能四郎兵衛は、宗家的油屋であった。」と記述されており、かなり豪商であったらしい。しかし、明治25年12月25日の佐原町の大火で油屋四郎兵衛家の過去帳が焼失しており、その後の第二次世界大戦でも多くの四郎兵衛家文書が消滅した、とある。 この他『正文堂物語 第2巻』に記載されている伊能四郎兵衛に関することがらは次のとおり。 ・この家系は14代四郎兵衛慎方(ちかまさ)(寛政6年6月25日没、歳67)から明らか