タグ

カメラと美術に関するgurinekosanのブックマーク (5)

  • 宮本隆司 いまだ見えざるところ(東京都写真美術館) - gurinekosanの日記

    チラシやWebサイトで事前に内容確認しなかったワイが悪かったんやで… 単純に、作家の回顧展と思い込んでいたのだが、チラシには書いてあった。 主な出品シリーズ:「建築の黙示録」、「ロー・マンタン1996」、「東方の市」、「塔と柱」、「シマというところ」、「ソテツ』、「面縄ピンホール」 『九龍城砦』が全く無い。『建築の黙示録』はビール工場だけ(※1)、ピンホール写真は1点だけ、ダンボールハウス(※2)やアンコールは無く、出口で「え、これだけ?」と声が出てしまいました。 展示についてのキャプションが全く無いのにも驚いた。今までの活動を全て知っていないと展示写真の非連続性が判らないのでは、と思いました。 会場の外に展示されていたピンホールカメラ。この密室に入り、印画紙を内側に貼って、自分がピンホールの穴を開けて露光させ、露光を終えるまでカメラの中でじっとしているという、閉所・暗所恐怖症の人には耐え

    宮本隆司 いまだ見えざるところ(東京都写真美術館) - gurinekosanの日記
    gurinekosan
    gurinekosan 2019/06/30
    #はてなブログ
  • 貴重なクラシックカメラのイラストがたくさん!『赤瀬川原平 カメライラスト原画コレクション』発売 | CAPA CAMERA WEB

    玄光社は、2018年10月31日(水)に『赤瀬川原平 カメライラスト原画コレクション』を発売した。 書は、画家・作家の赤瀬川原平氏が1992年〜2007年の16年間に月刊雑誌やメーカー機関誌の連載などで描いた貴重なカメライラスト246点をまとめた原画集。イラストはすべて鉛筆画によるもので、赤瀬川氏のカメラ愛が感じられる丁寧な質感描写が特徴。赤瀬川氏のファンはもちろんのこと、フィルムカメラ好きにとっても大変価値のある完全保存版の作品集だ。 赤瀬川原平(あかせがわ げんぺい) 1937年横浜市生まれ。名・赤瀬川克彦。愛知県立旭丘高等学校美術科卒業、武蔵野美術学校油絵学科中退。画家・作家。60年代はネオ・ダダ、ハイ・レッド・センターに参加、前衛芸術家として活躍する。70年代は、『櫻画報』などでパロディー・漫画作品を発表。1979年作家・尾辻克彦として執筆した『肌ざわり』で中央公論新人賞、81

    貴重なクラシックカメラのイラストがたくさん!『赤瀬川原平 カメライラスト原画コレクション』発売 | CAPA CAMERA WEB
    gurinekosan
    gurinekosan 2018/10/31
    原平翁のカメラ愛が良いんですよ>イラスト
  • 美術鑑賞とソーシャル拡散は両立するか? アーティスト束芋の回答

    束芋「網の中」(2017)  映像インスタレーション作品 スチルイメージ © Tabaimo / courtesy of IMO studio 最近は、写真の撮影を許可する美術館も増えてきました。SNSなどで魅力的な展覧会の写真を見つけ、出掛けたことがある人も多いのでは? 一方で、会場でシャッター音が気になったり、撮影する人の邪魔にならないように気を遣って、作品に集中できないこともあります。そんな美術館での写真撮影とネットによる拡散をめぐる状況に、アーティスト・束芋が正面から取り組んだ作品「網の中」が京都文化博物館にて公開されます。 これまで束芋は、見る人に最高のパフォーマンスで作品に接してもらうため、会場での作品撮影を禁止してきました。鑑賞者による写真撮影は「作品と身体的に関わる」ことを妨げ、液晶画面や光に照らされる顔は他の鑑賞者の邪魔になると考えてきたからです。また、ネット上に拡散され

    美術鑑賞とソーシャル拡散は両立するか? アーティスト束芋の回答
    gurinekosan
    gurinekosan 2017/02/03
    まあ撮影OKの時、殆どの人は撮影に気を取られて鑑賞が疎かになるよね(自戒)。宣伝効果は高いけど。
  • セルフポートレートおばあさん!西本喜美子|櫛野展正|note

    衝撃的な写真を目にした。お婆さんがゴミ袋をかぶって可燃ゴミとして処分されていたり、車に轢かれたりしている。どう考えても尋常ではない。けれど、それがセルフポートレート写真だと気付いたとき、一気に笑みがこぼれてしまった。 作者の西喜美子さんは、取材当時87歳。熊県熊市にあるエレベーター付きの一戸建て住宅で、感情認識パーソナルロボット「Pepper」と暮らしている。息子さんが熊弁を喋るようプログラミングし、86歳で他界したご主人に変わって喜美子さんの話し相手として導入されたが、方言で話しかけても反応がないため、あまり「家族」として役にはたってないようだ。 そんな喜美子さんは昭和3年に7人兄弟の次女として、父の仕事の関係先であるブラジルで生まれた。小学校2年生のときに熊に帰国。 18歳で友だちと一緒に美容学校に通い、卒業後は住んでいた大きな屋敷の一角で美容室をオープンする。しかし、ずっと

    セルフポートレートおばあさん!西本喜美子|櫛野展正|note
    gurinekosan
    gurinekosan 2016/08/18
    こんな面白い人を見つけてきたのは…都築さんだった(納得)
  • ピンホールカメラの仕組みを表す「とびだす絵本」

    gurinekosan
    gurinekosan 2015/12/09
    紙製のレコードプレーヤーにカメラ本、次回作のプラネタリウム本とか、仕組みを形にする面白さ。
  • 1