映画監督・女優 杉野希妃さん 母が厳しくて、母に怒られないために勉強していたような思春期でした。その中で演劇が現実逃避する唯一の手段でした。中高は演劇部。宝塚歌劇団に憧れていました。娘役の自分が宝塚のあの大階段を下りてくる。そんな光景を通学の帰り道に歌いながら想像しているような「ヅカファン」の少女でした。 中学卒業時に宝塚を受験したかったのですが、母が絶対に絶対に絶対に許してくれなかった。広島市内では進学校で有名な中高一貫の女子校に通っていました。当時は「宝塚を受けるなら学校を辞めなければならない」と、先生から聞き諦めました。 母の言うことは絶対で、反抗するという考えはなかったです。もちろん母を恨みました。憎いとさえ思った。どうして宝塚を受けることすらダメなのかと。そのときの「大学に行けば好きにしていい」というのが母との約束になりました。高2の夏に演劇部を引退。そこからは受験勉強一色です。