「戦後は市電(路面電車)の車庫前周辺に中華そばの屋台が競い合うように並んどったわ」。戦後間もない1949(昭和24)年創業で屋台からスタートした「元車庫前丸宮中華そば」の2代目大山秀子さん(88)は当時をこう振り返る。 大山さんは夫と和歌山市西高松1丁目付近の車庫前で屋台を引き始めた。屋台の回りには椅子を15個ほど並べたが、テーブルはなかった。直径25センチほどの金属製のお盆の上にどんぶりを乗せ、お客は肩を寄せ合うようにラーメンをすすった。「市電の運転士や作業員とかがよく食べに来てたね」と大山さんは話す。高校からの帰り道、自転車で「丸宮」の屋台に通った和歌山市の上野章さん(65)は「子どもの頃はコンビニもなく外で食べると言えばラーメンくらいしかなかった。同級生と会って、わいわいしてたねぇ」と懐かしむ。 ラーメン屋台が並んだ車庫前。周辺には映画館や和歌山大学のキャンパスなどもありにぎわってい