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日本と文化と価値観に関するobsvのブックマーク (11)

  • 「自己決定の裏の責任」と「集団のメンバーとしての責任」の悪いとこどり/松尾匡:連載『リスク・責任・決定、そして自由!』 - SYNODOS

    「自己決定の裏の責任」と「集団のメンバーとしての責任」の悪いとこどり 松尾匡:連載『リスク・責任・決定、そして自由!』 経済 #小さな政府#自己責任 この連載は昨年10月に始まり、当初毎月一回一年間続けたものを書籍化する予定でしたが、PHP出版さんのご意向で、前回までの分で一旦出版し、続きについてはその一年後にまた出版することに決まりました。 そこで、シノドスさんには連載期間をその分延ばしていただき、一回あたりの分量を、これまでの半分ほどに減らして、ゆっくりしたペースで掲載していただくことになりました。読者のみなさんには、気長におつきあいいただけましたらうれしく思います。 連載『リスク・責任・決定、そして自由!』 さて、ここまでのところでは、70年代まで普通だった国家主導型のシステムが、その後世界的スケールで崩れていった転換の質は、「リスク・決定・責任は一致すべきだ」ということだったこと

    「自己決定の裏の責任」と「集団のメンバーとしての責任」の悪いとこどり/松尾匡:連載『リスク・責任・決定、そして自由!』 - SYNODOS
    obsv
    obsv 2018/12/13
    "「同胞は助け合う責任がある」という「集団のメンバーとしての責任」の感覚が強く残っているところに、「自己責任」「自己責任」と言って、弱者を切り捨てる動きが広がっていることから、一種の無意識の後ろめたさ
  • 「教育勅語」を愛する人々

    3月14日、ということは、いまこの原稿を書いている現時点から数えて2日前に相当するのだが、その3月14日に開かれた会見の中で、文部科学大臣の松野博一氏が、不可思議な見解を漏らしている。 松野大臣は、教育勅語について、憲法や教育法に反しないような配慮があれば「教材として用いることは問題としない」と表明したのだ(こちら)。 なんとまあ不用意な発言ではあるまいか。 念のために解説すればだが、教育勅語は、既に効力を失った教材だ。 というよりも、教育勅語は、単に効力を失ったのではなくて、より積極的に、教育現場から「排除」され、「追放」された過去の亡霊だ。歴史上の悪夢と申し上げて良い。 事実、この勅語に関しては、「憲法の理念に反する」として1948年に衆議院で「排除決議」が採択され、あわせて参議院でも「失効決議」が採択されている。 してみると、このたびの松野大臣の発言は、一旦国会の場で、「憲法の理

    「教育勅語」を愛する人々
  • 「空気を読む人」が海外で評価されない、実はとても哲学的な理由 - piano-treeの日記

    インターネットでは、面識のない個人や、違う場の空気をもつコミュニティが人やグループの行動・言動に緩やかに、時に匿名で一方的に干渉できるので、職場や学校などといったリアルの世界と比べ「批判」が醸成されやすいのは我々の経験がよく知るところです。「インターネットはその匿名性ゆえに無責任な批判が跋扈する、なのでけしからん」といった議論はfacebookの実名制が普及した今でもよく目にしますが、その背後にはそもそも批判そのものが「けしからん」から、ないしは少なくとも原則するべきものではない(それゆえするなら何らかの責任を伴う)から、という前提が垣間見えます。もし批判が一般に歓迎されるべきものなのであれば、批判が集まりやすいインターネットはその意味で社会にとって有益だ、ということになりそうです。 少し前に、僧侶の松山大耕さんがTEDで日人の宗教観を説いて話題になりました。曰く、日人の宗教観は"be

    「空気を読む人」が海外で評価されない、実はとても哲学的な理由 - piano-treeの日記
  • 特集ワイド:それホンモノ? 「良き伝統」の正体 - 毎日新聞

    東京五輪の2年前、国鉄(現JR)東京駅近くの路上風景。植え込みも路上もごみだらけ=東京都中央区京橋1丁目で1962年5月27日、池田信さん撮影 日人は「伝統」という言葉にヨワいらしい。例えば選択的夫婦別姓制度の是非を巡る議論。安倍晋三首相ら反対派は「同姓が日の伝統だ」と主張し、いくら専門家が「同姓は明治中期以降の新しい制度」と指摘しても聞く耳を持たない。このように最近は、新しく、ウソに近い「伝統」がやたらと強調されている気がするのだが……。【吉井理記】 この記事は有料記事です。 残り2618文字(全文2777文字)

    特集ワイド:それホンモノ? 「良き伝統」の正体 - 毎日新聞
  • 日本人が苦手な議論。あるいは、いかにして民主主義は死に至るか。

    人は議論が苦手だと言われている。が、これは「自分の意見をはっきり言わない」ぐらいに理解されている場合が多いようだ。議論の種類や方法について語られることは滅多になく、無遠慮な恫喝で他人を黙らせるのが「議論の上手い人」と見なされてしまう。

    日本人が苦手な議論。あるいは、いかにして民主主義は死に至るか。
    obsv
    obsv 2014/03/08
    日本は市民革命を起こしたことがなく本質的には封建社会なので、議論ベースの民主社会ではないんでしょう。多くの人も、意味や意義なんて考えずに世間に合わせることが良いと思ってるみたいだし。
  • 日本人はそろそろ捕鯨が与える相当やばい国際的イメージに気づくべき

    ケネディ駐日大使が突然ツイッターでイルカ漁について発言して それについて当然日人としては違和感を覚えるわけだけど (だいたい日語も喋れないのに駐日大使になって、で何つぶやくかと思えば、他の人権侵害でもなくて「米国政府としてイルカ漁に反対します」だぜ) で、なぜ今このタイミングでということに関しては 今、CNN、ABCを含む欧米メディアは太地町でのイルカ漁をばんばん報道しているからだ。 英語圏のインターネット上でもかなり話題になっている。「250頭の赤ちゃんを含むイルカたちが日人に今現在残虐に殺されている」と。 そして、Redditを軽くのぞけば、「Just go fuck yourself Japan.」ってコメントが最評価になっている訳。 http://matome.naver.jp/odai/2139005390270784901 別にdailymailだろうがyahooだろうが

    日本人はそろそろ捕鯨が与える相当やばい国際的イメージに気づくべき
    obsv
    obsv 2014/01/19
    国際法や条約に違反してるわけでもないのに、十分な反論もせずに欧米の言うがママに従ってる方が人間として舐められるんじゃないか?「名誉白人」として媚びながら生きていきたいならそれでも良いかもしれんが。
  • 『日本人は、なぜ議論できないのか』 第7回:『私』が容易に『我々』になる日本社会

    今回は、衆議一決という予定調和的結果としての全会一致を暗黙の原則、言いかえれば、独白(モノローグ)の連鎖の展開の結果、各自の意見や考えは、"自ずと"あるしかるべき点に収斂してくる現象を特徴とする日的なギロンが示す、「私」が容易に「我々」になるブラックボックスとも言える過程について取り上げることとする。 欧米社会では、衆議一決(全会一致)では、社会心理学でいう斉一性(uniformity)の原理が働いていると言われるであろう。斉一性の原理とは、ある集団内において、反論や異論などの存在を許容せずに、ある特定の方向に集団として収斂していく状況を示す。斉一性の原理は、少数意見の存在を認める多数決の原則で意思決定を行う場には起こらず、全会一致を志向する意思決定の過程において発生するとされ、ファシズム(≒全体主義)に通じるものとして、民主主義社会において、回避するべきものとして認識されている。 しか

    『日本人は、なぜ議論できないのか』 第7回:『私』が容易に『我々』になる日本社会
  • 【欧米コンプ】お前ら欧米文化に憧れるか?:哲学ニュースnwk

    1:名無し募集中。。。:2012/04/30(月) 10:51:37.35 ID:0 昔の日人はかなり憧れていたらしいが 俺は全く憧れもしないし別段行きたいとも思わない これも日文化の良さが見直されて国も発展したからだろうな 5: 名無し募集中。。。:2012/04/30(月) 10:54:06.38 ID:0 欧米か! 6: 名無し募集中。。。:2012/04/30(月) 10:54:22.10 ID:O 米はスポーツだけ 7: 名無し募集中。。。:2012/04/30(月) 10:54:45.82 ID:0 優れた文化も有ればカスな文化が有るよな 10: 名無し募集中。。。:2012/04/30(月) 10:56:43.38 ID:0 あいつらばりのマッチョな筋肉には憧れる 14: 名無し募集中。。。:2012/04/30(月) 10:58:01.85 ID:0 欧

    obsv
    obsv 2012/05/01
    日本にも欧米にもそれぞれ良いところはあるが、成熟した市民行政、論理的な政治討論、労働環境などは憧れるし見習っていかなきゃならないな。無駄に卑屈になることはないが日本最高と信じ込んでるのは危ないのでは?
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  • 「価値観と生き方を考える」 - 森へ行こう(心とからだと子育てと):楽天ブログ

    2011.10.08 「価値観と生き方を考える」 (2) カテゴリ:カテゴリ未分類 日では「革命」というような、天と地がひっくり返るような社会変動は起きません。明治維新は単なる政権交代であって、革命ではありません。革命は価値観の転換によって起きます。でも、日の場合は価値観は変わらずに政治体制だけが変わるのです。 自民党が民主党になっても、そこにあるのは単なる方法論の違いだけであって、基的な価値観は同じなので、結局何も変わりません。何か起きたとしても、単純に良くなるか悪くなるかという違いだけです。 欧米などでは党が違えば価値観も違うような気がするのですが、日では共産党以外みんな価値観は同じです。ただ、党によって方法論が違うだけです。(共産党がいいということを言っているわけではありません。念のため。) 方法論の違いがその党の独自性を生みだしているのですから、その方法論においては譲ること

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