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日本と解説と歴史に関するobsvのブックマーク (2)

  • 安倍首相の靖国参拝、知られざる波紋

    憲法を改正したい、誤った史観を正したい 政権発足から丸1年が経過した2013年12月26日、安倍晋三首相が靖国神社を参拝した。首相の靖国参拝は06年の小泉純一郎氏以来、7年ぶりのことである。今回の安倍首相の靖国参拝を「馬脚を現した」という声もあるが、そうではない。質的にそういう人間なのだ。 安倍首相の応援団は2派ある。一方は経済重視のアドバイザリーグループで、「靖国参拝は封印して経済に専念せよ」と安倍首相の手綱を引っ張ってきた。もう一方は、地元サポーターなどの伝統的な保守勢力からネトウヨ(ネット右翼)まで含めた右派グループで、彼らは「国民の代表である首相が靖国に行くのは当然」と考えている。 安倍首相のメンタリティはどちらかといえば後者に近い。つまり集団的自衛権を行使したいし、憲法を改正したい、戦後の誤った史観を正したい。そして靖国神社に参拝したいのだ。 それらを封印して1年頑張った結果、

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  • 中世の天皇の位置付けってどうだったのか?

    時期によって異なります。ここでは院政期について述べます。 院政期には王家とよばれ「すべての中心」です。 荘園は原則的に院との関わりによって成立します。 武士は王権に奉仕するもの、として存在します。 寺社は「王法仏法は相互いに守りあうもの」とされているので、権威はありますが、 基的に既得権益の防衛のときしか王権とは敵対しませんし、 上級僧侶は、仁和寺法親王(つまり皇族)を頂点とした 師子相承関係・人事体系によって組織されています。 貴族についてはやや微妙で、摂関家がやや独自の権威をもっています。 大納言以上になりうる層のほとんど、大臣になりうる層は全て、 藤原道長の子孫によって占められているからです。(村上源氏もそう) しかし、その権威も保元の乱により失墜し、院に従属する存在になります。 院政期には、官司請負制に代表されるように、国政と家政が一致している、と されています。 王家へ各家が奉

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