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社会と思想と文化に関するobsvのブックマーク (14)

  • 米国西海岸のリベラリズムとはどういうものか?をわかりやすく

    のリベラリストへ強い影響を持つ米国西海岸のリベラリズム。 これが一体どういうものか?と日のリベラリストへ問うと答えられる人はひと握りだろう。 ただ、答えられないことに恥を感じる必要はない。何故なら当の米国西海岸へ住むリベラリストですらリベラル史を背景に系統立って説明できる人は少ないからだ。 これは当然と言えば当然で、思想系の専門教育を受けていない一般人が答えられるわけがないだろう。 だから恥ずべきことは何もないのだ。 しかし、説明できなくとも米国西海岸に住む左派政策を支持する人は口々に自身の政治思想の寄りをリベラルと称するし、一般人には一般人なりに理解したリベラルの姿が存在する。 このエントリではそんな北米西海岸の一般人が理解するリベラルを大雑把に知るためのエントリだ。 3つの重要な決まりごと米国西海岸のリベラリストは総じて3つの決まりごとを高く評価し、そしてこれをベースにモノを考え

    米国西海岸のリベラリズムとはどういうものか?をわかりやすく
    obsv
    obsv 2021/06/17
    “個人の選択の尊重と言いつつも自己研鑽については自己研鑽して当たり前だし、個人の選択として自己研鑽しないような者に与えられるものは米国西海岸のリベラリズムには何もない。”
  • 世の中の仕組みと人生のデザイン l 橘 玲 | DPM(ダイヤモンド・プレミアム・メールマガジン)

    経済的独立すなわち自由は、世の中の仕組みを正しく理解し、最適な人生の戦略をデザインすることで、もっとも確実に達成できる。 世の中(世界)はどんな仕組みで動いているのだろう。そのなかで私たちは、どのように自分や家族の人生を設計(デザイン)していけばいいのだろうか。経済、社会から国際問題、自己啓発まで、さまざまな視点から「いまをいかに生きるか」を考えていきます。質問も随時受け付けます。 橘 玲の最新刊『幸福の「資」論 あたなの未来を決める「3つの資」と「8つの人生パターン」』好評発売中! 「幸福な人生」を送るために幸福を定義すると基盤となるのは3つの資。その組み合わせで8つの人生パターンが考えられる。あなたが目指すべきはどの人生パターンか? ダイヤモンド社から発売中!(1,650円 税込) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【DIAMOND PREMIU

  • 批評・評論・研究と社会運動が悪魔合体した結果かなあ、と思ってる。 批評..

    批評・評論・研究と社会運動が悪魔合体した結果かなあ、と思ってる。 批評や評論、あるいは研究の領域では、「俺がジャッジだ」でいいんだよね。「この作品にはこれこれこういう問題がある」というのを、あくまで個人の批評や評論や研究として、審美的な基準から行う分にはなんの問題もない。 だからオタク同士の会話で「今となってはあの描写古いよねえ……」みたいにつぶやく分には、何も問題にされないんだよな。新聞の書評欄とか、あるいは「気鋭の学者によるラノベレビュー○○選!」みたいな場だったら、「ちょっと性差別的なのはどうかと思うんだけどー」みたいなこと言っても別に問題にならないでしょ。 レビューとか評論というのは多少厳しいことを書いてもなんならボロクソにこき下ろしたりしても問題ない、なぜならそれは個別の作者による個々の作品の批判であって特に実際の権力のあるものではなく、「文芸」とか「ラノベ」とか「オタク界」とか

    批評・評論・研究と社会運動が悪魔合体した結果かなあ、と思ってる。 批評..
    obsv
    obsv 2020/09/14
    “社会運動のコードで作品をdisったら、それはその作品だけじゃなくジャンル全体への攻撃にもなりうる。社会運動は文化やジャンルの存続に関心がない。なんなら滅びても構わないとさえ思っているだろう。”
  • 「教育勅語」を愛する人々

    3月14日、ということは、いまこの原稿を書いている現時点から数えて2日前に相当するのだが、その3月14日に開かれた会見の中で、文部科学大臣の松野博一氏が、不可思議な見解を漏らしている。 松野大臣は、教育勅語について、憲法や教育法に反しないような配慮があれば「教材として用いることは問題としない」と表明したのだ(こちら)。 なんとまあ不用意な発言ではあるまいか。 念のために解説すればだが、教育勅語は、既に効力を失った教材だ。 というよりも、教育勅語は、単に効力を失ったのではなくて、より積極的に、教育現場から「排除」され、「追放」された過去の亡霊だ。歴史上の悪夢と申し上げて良い。 事実、この勅語に関しては、「憲法の理念に反する」として1948年に衆議院で「排除決議」が採択され、あわせて参議院でも「失効決議」が採択されている。 してみると、このたびの松野大臣の発言は、一旦国会の場で、「憲法の理

    「教育勅語」を愛する人々
  • 上野千鶴子「日本人は多文化共生に耐えられないから移民を入れるのは無理。平等に貧しくなろう」

    リンク 中日新聞プラス この国のかたち 3人の論者に聞く | 考える広場 | 朝夕刊 | 中日新聞プラス きょうは、建国記念の日。二十世紀終盤、司馬遼太郎は著書『この国のかたち』で「… 2 users 16 ハイゴ @haigo_3 建国記念日の中日新聞 この国のかたち2017 上野千鶴子 「平等に貧しくなろう」 ・人口増えない ・移民は無理 ・日は人口減少と衰退を受け入れるべき ・平和に衰退していく社会のモデルになればいい こっわ pic.twitter.com/GKruqdEpLH 2017-02-11 08:16:59

    上野千鶴子「日本人は多文化共生に耐えられないから移民を入れるのは無理。平等に貧しくなろう」
  • 『日本会議の研究』を読んで、ミソジニーとオタクについて考える | 筆不精者の雑彙

    最近はようやく心身の沈滞から脱しつつあるのか、少しはを読めるようになってきました。そこでもっぱら、積読のを崩していたのですが、その中で珍しく、最近出た話題のを読んでみました。それが菅野完『日会議の研究』(扶桑社文庫)です。 日会議といえば、安倍政権を支える保守系市民団体として、最近メディアでも注目されるようになってきました。以前からも、例えば歴史教科書問題などで、小生の見解からすれば反動きわまりない攻撃をしかけてくる連中として、何となく存在は知っていましたが、その正体はよく分からないものでした。同書はその成り立ちと主要人物の活動について、詳細に調査した書物であり、一気に読んでしまいました。 前評判どおりたいへん面白いで、「生長の家」系の右派学生運動関係者が、その運動を継続・組織化して「日会議」へ至り、そんな狭いインナーサークルが現政権を左右してしまっている、そんな危なっかしい

    『日本会議の研究』を読んで、ミソジニーとオタクについて考える | 筆不精者の雑彙
  • 仏風刺週刊紙テロ事件――言論・表現の自由の行方は

    フランスの風刺週刊紙「シャルリ・エブド」で、1月7日、まさかと思う事態が発生した。編集会議の最中に、覆面姿の武装した男性たちが「アラー、アクバル」(「(イスラム教の)神は偉大なり」)と叫んで押し入り、編集長、風刺画家などを殺害したのである。引き継いで発生した別の実行犯による銃殺事件を含めると、合計17人が亡くなった。オランド仏大統領は一連の事件を「テロ」と断定。フランスにとって過去50年で最悪のテロ事件となった。

    仏風刺週刊紙テロ事件――言論・表現の自由の行方は
  • 日本人の宗教観はどこまで外国人と違うのか

    ISISによりイスラム教の存在感が日でも(あまり喜ばしくない意味で)大きく膨らんだ。元々日人にはなじみの薄かったイスラム教だが、その教義と宗教文化の特徴的な面が大きくクローズアップされ、信仰心を持たないとされる多くの日人には珍しいものとして受け取られている現状がある。 多くの日人は、自分が無宗教だと思っているらしい。その一方で、日人には「日教」とも言うべき日固有の独特の宗教観があり、それが日人のメンタリティを強く規定しているとする指摘もある。 「日教」という言葉が使われる文脈は主に2つある。一つは、イスラム教などの他宗教に対比される日固有の宗教的感覚を指す「日教」、もうひとつは我が国の仕事観における、あたかも宗教のような独特の精神性を揶揄した言葉としての「日教」だ。 いずれにしろ「日教」という言葉は山七平という一人の評論家が作った。山七平は7、80年代に、主に

    日本人の宗教観はどこまで外国人と違うのか
  • 法と道徳の区別がつかない人々 - 読む・考える・書く

    前回記事で、教育勅語が説教する「徳目」(ただし最後の1個は除く)について、「時代背景を考えればまあ常識的な内容で、当時の感覚では当たり前の道徳」だと書いた。 これは、当時の人々はそれらを「当たり前の道徳」と感じたであろう、ということであって、その内容が普遍的に通用するという意味ではない。また、人々が自発的に何らかの「徳目」を尊重することと、国家に命令されてそれを守らされることとは、やっていることは同じように見えても、意味はまったく違う。 それが分からない、法と道徳の区別がつかない人々がこの国には多すぎる。これは、この社会の未熟さの表われの一つであり、またこの国を蝕む宿痾の一つとも言えるだろう。以下、渡辺洋三『法とは何か』(岩波新書 1979年)から引用する。 わが国では、法と道徳との分離が徹底せず、しばしば、法的正義と道徳的正義とが同一の「正義」の言葉で呼ばれ、混同して使われてきた。このた

    法と道徳の区別がつかない人々 - 読む・考える・書く
    obsv
    obsv 2014/05/12
    法と道徳の分離は西欧型近代社会の根本概念だと思うが、残念なことに日本の歴史には生まれなかった概念だ。多くの日本人は受け入れたがらないと思う。21世紀でも世間様は御健在だ。
  • 「空気読め」の正体は全体主義だった : 歴史的速報

    2012年11月10日15:00 「空気読め」の正体は全体主義だった カテゴリ文化史 waruneko00326 Comment(11) 1 :日@名無史さん 2010/10/07(木) 12:46:20 全体主義は日の保守主義の根底をなす思想 吉田茂がチャールズ・ウィロビーを支持し 高度経済成長へ向けての体制作りの基礎としたものだ 民政局と参謀第2部の主導権争いを引き継いだ 社会党系政党と自民党系政党の負の遺産といって良いものだろうね それは、昭和電工事件をきっかけに主導権を握った参謀第2部が 対共産圏型の経済成長構造を選択することによって 戦後日の高度成長が得られたという流れかな 結局は、ウィロビーの日全体主義化計画が功を制したと言っても 言い過ぎじゃないと思うね そして冷戦は終わった 全体主義を維持する理由を失った既得権は、ポスト共産主義を探し続ける チャールズ・ウィロビ

    「空気読め」の正体は全体主義だった : 歴史的速報
  • 日本人が苦手な議論。あるいは、いかにして民主主義は死に至るか。

    人は議論が苦手だと言われている。が、これは「自分の意見をはっきり言わない」ぐらいに理解されている場合が多いようだ。議論の種類や方法について語られることは滅多になく、無遠慮な恫喝で他人を黙らせるのが「議論の上手い人」と見なされてしまう。

    日本人が苦手な議論。あるいは、いかにして民主主義は死に至るか。
    obsv
    obsv 2014/03/08
    日本は市民革命を起こしたことがなく本質的には封建社会なので、議論ベースの民主社会ではないんでしょう。多くの人も、意味や意義なんて考えずに世間に合わせることが良いと思ってるみたいだし。
  • 現代哲学からのアプローチ・・・「グローバル化する現代と伝統文化」(信頼の低下とコミュニティの矮小化)

    歴史は終焉した」とするフランシス・フクヤマも、リベラルな民主主義が世界中を席捲して、それに代わるイデオロギーは出てこないと言っていたが、近年、個人主義化した社会の弊害を説くようになりました。すなわち、「リベラルな民主主義は、何らかの共通した文化的価値が適切に機能していて初めて成立する」とし、個人主義的文化の問題点として、 1. 協同的な営みの前提条件としてのルールの否定 2. コミュニティの喪失 を挙げています。 1の「ルールの否定」というのは、個人主義ですが、一種の自閉した身勝手さへ変貌しつつあります。他者への責任を考慮することもなく、個人の自由を最大限に追求することが目的そのものとなってしまい現代の思想の中でも、自由を極限まで推し進める人たちもでてきています。しかしこのフクヤマは、それに対して批判的です。価値観・規範・経験を共有することが、社会資であり、それと同時にコミ

  • https://www.generalsystemics.com/ja/%E6%A8%A9%E5%A8%81%E4%B8%BB%E7%BE%A9

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