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社会と感情に関するobsvのブックマーク (9)

  • 冤罪から陰謀論まで 〈道徳感情〉で世界を読み解く【管賀江留郎×橘玲 特別対談】|Hayakawa Books & Magazines(β)

    冤罪、殺人、戦争、テロ、大恐慌――すべての悲劇の根原因は、私たちの〈道徳感情〉にあった! 冤罪事件の考察を通じて人間性を抉る話題作、管賀江留郎『冤罪と人類――道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)。書の刊行を記念し、著者の管賀氏と、『言ってはいけない』『上級国民/下級国民』などの著作をもつ作家・橘玲氏との特別対談を公開します。 冤罪と道徳感情橘 『冤罪と人類』を読ませて頂きましたが、よくここまで調べたものだと驚きました。なかでも目から鱗だったのは、〈二俣事件〉最高裁の判事の話。一審二審とも死刑判決だったのを破棄して差し戻すというリベラルな判断ができたのは、実は自分たちが過去に同じような「冤罪体験」をしていたからだという。 管賀 道徳感情を掻き立てられると人々は真実が見えなくなり、無実の人を犯人だと思い込んで非難したりすることがあると理解するには、自分が体験

    冤罪から陰謀論まで 〈道徳感情〉で世界を読み解く【管賀江留郎×橘玲 特別対談】|Hayakawa Books & Magazines(β)
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    obsv 2021/05/14
    “すべての人がやっているのはつまるところ自分の「評判(自尊心)管理」だということです。自分の評判を守るためなら、他人の生命や正義ですらどうでもよくなってしまう”
  • カズオ・イシグロ語る「感情優先社会」の危うさ

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    カズオ・イシグロ語る「感情優先社会」の危うさ
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    obsv 2021/03/04
    “エビデンスではなく、感情や意見が幅をきかせるようになって(略)今や科学の世界で行われている、真実を導き出すためにエビデンスを用いて議論するといったやり方は、政治や一般的な世界で失われつつあります。”
  • フェミニストの話が食い違う理由

    フェミニストと表現規制の話題で新作が出ました。 https://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/2004043.html 今度はこの江口寿史っぽい女性のイラストが問題だと。 1.「とぼけている」という頻出問答イラストを見た感じ、露出度は高いですが、まあイケイケ感ある夏の水着と言う感じで、 卑猥な描写や18禁的な描写がないことはどの立場の人も同意できると思います。 実在女性がこの格好で夏の海岸などを歩いても逮捕されることは無いでしょう。 では何を問題とするのか。 どのような論陣を立てて当該イラストを取り締まるのか。 これは規制の側に立つ人へ説明を求めて良いことですし、規制側に説明責任があります。 はてなでの陣営トップコメントは以下のような物でした。 tobaritooth 別に私は元の看板が問題だとは思わないけど、

    フェミニストの話が食い違う理由
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    obsv 2020/10/30
    “私の気持ちが現にある。 なのに賛同しないどころか説明を求めてくる。 この相手は私の心を否定している、許しがたいほど不誠実である。 だから怒る。”
  • リベラルは再起動できるか ポスト・トゥルース時代の啓蒙思想 - 感情化する社会 など - シミルボン

    感情化する社会 / 大塚英志 などの紹介コラム。感情化する社会と反コギト 大塚英志は、理性でなく感情の交換が世間を動かすエンジンとなり、感情以外のコミュニケーションを人々が忌避するようになった時代を『感情化する社会』と評した。感情が価値判断の最上位に来るような社会――それは日にとどまらず世界的な傾向であることは、昨年わたしたちが目にしてきたとおりである。米国ではドナルド・トランプ大統領が誕生し、英国はEUからの離脱を決め、フランスでは極右た

    リベラルは再起動できるか ポスト・トゥルース時代の啓蒙思想 - 感情化する社会 など - シミルボン
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    obsv 2020/01/20
    “認知バイアスを未然に防ぐようにリバタリアン・パターナリズムを導入するべきだとしている。人間が非合理的であるからこそ、その理性を働かせるような選択的アーキテクチャーが必要だということだ。”
  • ネットで誰かを吊し上げて叩くと快感が得られる--脳科学者・中野信子氏が解説する「シャーデンフロイデ」という感情

    上智大学で行われた脳科学者・中野信子氏の講義「脳科学と世界の中の日」。芸能人の不倫や不祥事を過剰に叩くときに生まれる「シャーデンフロイデ」という感情と、それが共同体のなかで果たしてきた役割について解説しました。 関係ない人が「社会のために」攻撃を始める 中野信子氏(以下、中野):理想主義的要素が強い社会、というのを想像してみてほしいんですけれども。ちょっと窮屈じゃないですかね。 みんなが素晴らしい人間である社会とは、あなたも素晴らしい人間であることを強要される社会です。理想主義的な要素が強いというのは、裏を返せば、理想の姿ではないものはバッシングの対象になるということです。 例えば、ある不倫事件とか。週刊文春さんで話題になりました。でもきっと、これが配信される頃にはどの不倫事件かわからなくなっているでしょうね(笑)。それから、政治家のいわゆる「不適切な」発言など。糾弾するに値しないのでは

    ネットで誰かを吊し上げて叩くと快感が得られる--脳科学者・中野信子氏が解説する「シャーデンフロイデ」という感情
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    obsv 2019/02/02
    要約:人間は生存基盤の共同体を破壊されないように、タダ乗りする=不道徳な奴に嫉妬し、彼に制裁(サンクション)が加えられることにシャーデンフロイデ=メシウマを感じるように進化してきた。日本はその傾向が強い社会
  • みんなが地獄に落ちる時代

    ネットが普及する前は、自分の周囲の人達との付き合いだけで世の中が回っていた。自分と接点のある人の数が今より大幅に少なかったから、憎しみや悲しみに触れる機会にも上限があって、それで心のバランスが保てていたし、自制も出来ていたように思う。その分広い世の中について知るのは難しかったけれど、ネット以前の人間はみんなこうやってバランスをとって生きていたんだと思う。 でもネットが普及して以降、世の中の悲しみや憎しみ、矛盾、他人を傷つける発言、クズのような人間や会社、そういうものに触れる機会が大幅に増えてしまった。他人から攻撃されることが増えたことや、他人を攻撃している人をたくさん見ることによって、「自分も他人を攻撃していいんだ」と思う人が多数派になって、憎しみが溢れる世の中になってしまった。ネットが普及する前の時代に比べ、僕らが外部に発信する憎悪や汚い感情は何十倍にも何百倍にもなっていると思う。昔の人

    みんなが地獄に落ちる時代
    obsv
    obsv 2018/01/28
    狭い村で幸福に生きてこられた多数派の人達にとっては不幸が増えたかもしれないが、狭い村で責め苦しまされてきた少数派はネットの海で仲間を見つけられて救われたことも多々あるだろう。
  • 「いじめは楽しい」だから笑顔で行われる。

    3年前の春。高校の入学式の日は緊張していた記憶がある。それは、まだ学校に居場所がなかったからだと思う。しかしそんな宙に浮いたような感覚は、新学期が動き出すうちに、すぐに忘れていった。

    「いじめは楽しい」だから笑顔で行われる。
    obsv
    obsv 2017/12/17
    従来、心の教育や教師の資質や子どもへのストレスが云々と言われてきたが、バラエティ番組が子供へ与える影響は真剣に取り扱われてこなかったと思う。テレビ局が自分達に不利益な議論を弾圧していたとしか思えない。
  • 無邪気な人の、悪意なき感情。 - どうでもいいことかもしれない

    先日「情熱大陸」を久し振りに観た。 さかな君が取り上げられていた回である。 そこに映し出されたさかな君の姿を、私はとても魅力的だと思った。 目上の人には礼儀正しく、子供達には優しく接し、熱く魚の事を語る彼を、とても素敵な人だと思った。 後日、電車の中で若い女の子が「さかな君ってキモい」と話していた。 私は(そう思う人もいるんだな)と思った。 価値観は人それぞれなので、彼女達がさかな君を「キモい」と思うのは、自由である。 同じ様に電車の中で大声で話す彼女達の事を私が「お前のひじきみたいな睫毛のほうがキモいよ」と思うのも自由である。 私は、彼女達が何故さかな君をキモいと思うのか考えてみた。 顔? 声? テンションの高い喋り方? ファッション? さかなに詳しい事? 何をもって彼女達はさかな君を「キモい」と断罪するのだろう? 考えてみたけれど、結局は解らなかったがある事を思い出した。 昔、会社で新

    無邪気な人の、悪意なき感情。 - どうでもいいことかもしれない
  • 新しい「集団淘汰」の理論 : 池田信夫 blog

    2012年05月16日13:01 カテゴリ 新しい「集団淘汰」の理論 社会科学の研究者が生物学のを読むのは、普通は好事家的な興味しかないが、ここ10年ぐらいの進化生物学の論争は社会科学にも影響を及ぼすと思う。それは従来の進化論の主流だった血縁淘汰(包括適応度)と、著者などの主張する多レベル淘汰の論争だ。進化生物学の世界的権威が82歳で書いた書は、進化論から人類の未来を展望する傑作である。 従来の理論では、生物は遺伝子の複製という一つの目的を最大化する機械だと考えられているが、新しい理論では生物は個体と集団という二つのレベルの合計で適応度を最大化すると考えられている。これについては「集団淘汰も包括適応度で説明できる」という反論があり、多くの証拠を検討した結果、著者は個体レベルだけでなく集団レベルでも淘汰が起こると結論する。 人間も利己的な動機と利他的な動機を遺伝的にもち、理性と感情の葛

    新しい「集団淘汰」の理論 : 池田信夫 blog
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