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反フェミニズム(アンチフェミニズム)的言論の盛り上がりが無視できない規模になってきた。少なくない人々がそう感じているようだ。 そこで本稿では、この分野にあまり詳しくない初学者に向け、反フェミニズムとはどのような諸言論によって構成されているのか、可能な限り客観的な視点でまとめてみたいと思う。 筆者の個人的な意見はここでは述べない。あくまで「反フェミニズム」を構成する諸言論の思想地図を作成することが目的である。 それでは始めよう。 ①平等主義からのフェミニズム批判反フェミニズム論壇において現在(2021年4月)活発に議論されているテーマのひとつが、社会的不平等の文脈に基づく異議申し立てだろう。 これらの主張はふたつに大別できるように思う。男性差別に対する異議申し立てと、告発権力の格差に対する異議申し立てだ。 「マスキュリズム」もしくは「弱者男性論」マスキュリズム/弱者男性論とは、男性差別に対す
二次元イラスト炎上論争「“悪い”表現」は、いったい誰がどう決める? 「累積的な抑圧経験」は根拠になるか 「性的モノ化」の論理 「現代ビジネス」で12月8日、ジェンダー論を専門とする社会学者の小宮友根氏が『炎上繰り返すポスター、CM…「性的な女性表象」の何が問題なのか』と題する小論を発表し、話題となった。 現在インターネットで猛威をふるう「『女性の表象(とりわけ「萌え系」表現)』への非難・バッシング」の理論的背景や、その正当性について説明を試みるものであったようだ。 同小論では、「反ポルノグラフィ」運動の端緒を拓いた著名なフェミニスト、キャサリン・マッキノンとアンドレア・ドウォーキンによる「性的客体化(sexual objectification)」理論、そしてその理論を発展的に引き継いだフェミニスト哲学者のマーサ・ヌスバウムの論を援用している。 ヌスバウムは、マッキノンとドウォーキンが主張
北村紗衣先生による映画評論『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』が、書肆侃侃房さんより出版され、小規模な出版社から出たアカデミックな身分の著者(北村先生は、私自身は拝読したことがないのですがすでにシェイクスピアに関する単著も出されている、シェイクスピア研究者です)による本としては珍しいような売れ行きを示しているそうです。 この本が注目を浴びているのは、おそらくそれがフェミニズムの視点からさまざまな映画作品を批評するというものだからでしょう。多くのひとがそうした視点を、あるいはそうした視点から見たことを語る術を求めていたということでしょう。 この記事ではそんな話題の本『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』に対し、否定的な話をしたいと思っています。 いくつか、先に断っておきたいことがあります。 まず、この記事を書いている私は何者なのか。これに関しては、多くを語ることはできません。ひとつだけ言えるのは、
こうした女性たちのうつの原因とも言える部分、すなわち主婦業への閉じ込めは、既に女性の生活にみずからかかわっていたベティ・フリーダン(1963『女性の神話』)によって明らかにされています。中産階級の女性は、子育て・家事だけでは気持ちが満たされないこと、そしてそれに対する不満は許されないこと、さらに場合によっては「治療対象」になるという、こういった状況に対して違和感を感じていることに対し「名前のない問題 a problem without a name」と名づけたわけです。男の視点から見れば、そんな問題が存在するとは考えられてこなかったのですから、なるほど、「名前」がないのは当然(世界は男の言葉で男の意味で説明されているから)。しかしまぁ、気づいてから、今まで、進歩がないですね。むしろ悪化??そんなことはない?? フェミニズム研究で、フェミニストが踏み出した一歩は、言語や社会の中での女の不在/
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