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文化とメタに関するumetenのブックマーク (17)

  • 物を作る能力と物を見る能力は似て非なるものではないか

    「どこそこの店の料理は出汁が塩辛すぎて不味かった」「そのイラストは首と頭の部分が立体的にずれているから頭が飛び出て変に感じる」「ピアノが若干先走りすぎてたかな。もう少しゆっくり弾いてくれた方が心地よかったと思う」……ネットでは今日も至る所で創作・演奏・作品・その他もろもろについてあれやこれやと批評を書く人が後を絶たない。そして、同じように、その批評に納得が出来ない人が反論として 「そう思うならお前がもっと美味いものを作れよ」「偉そうに言いますが、じゃあ、あなたはもっと上手に描けるわけですね。絵をアップしてみてくださいよ」「嫉妬乙。おまえの演奏よりも1000%向こうの方が上手いから」……と、批評の内容に対して反論するのではなく、「その作品を創る技術が無いものがそもそも批評をするな」という、意見の封じ込めをしようとする人も後をたたない。 確かに一見正しく見える意見なのだが、最近どうにも違和感を

    物を作る能力と物を見る能力は似て非なるものではないか
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    【教えてくん】コミュニティーなのです。 なんかニュースとかあったらここに書こうかと思ってますよ。とりあえず、おいらのブログ

    umeten
    umeten 2009/06/18
    >「強い人間は弱い人間の心理を絶対にシミュレート不可能」と考えなければならない理由 ← ネオリベはホームレスの心理を想像できない=いじめ犯罪者は被害者の心理を想像できない/そもそも創造と批判は別次元
  • 脱オタ指南の矛盾サンプル

    脱オタにファッション指南したい人、通称「ネットピーコ」にもいろいろいるようで。聞いてるこっちにしてみれば、おいおいどっちだよ、と言いたくなる事が当に多い。 ポーターは地雷 真っ先に地雷アイテム・柄から説明します。 ・ポーター http://anond.hatelabo.jp/20081013211518 ポーターをカッコよく持てるのは相当な大人だけ ポーターをカッコよく持てるのは相当な大人(何かデザイン関係の仕事をしてる感を全身で出せるなど)だけだということに気付くべき。 http://anond.hatelabo.jp/20080729232044 ポーターを1個もっておけば即戦力 かばんに関しては、1個ポーターのを持って置けば即戦力間違いない。 http://anond.hatelabo.jp/20080728045912 チノパンは地雷 真っ先に地雷アイテム・柄から説明します。 ・

    脱オタ指南の矛盾サンプル
    umeten
    umeten 2008/11/22
    >ネットピーコ  なかなかいいネーミング/なんとなくコピーツールみたいな語感もあるが・・・
  • Amazon.co.jp: ギャラクシー★クエスト [DVD]: ディーン・パリソット (監督), ティム・アレン (出演), シガニー・ウィーバー (出演), アラン・リックマン (出演), トニー・シャローブ (出演), サム・ロックウェル (出演), ティム・アレン (Unknown): DVD

    Amazon.co.jp: ギャラクシー★クエスト [DVD]: ディーン・パリソット (監督), ティム・アレン (出演), シガニー・ウィーバー (出演), アラン・リックマン (出演), トニー・シャローブ (出演), サム・ロックウェル (出演), ティム・アレン (Unknown): DVD
  • 2008-09-07 - おまえにハートブレイク☆オーバードライブ

    文芸評論家で筑波大学教授の黒古一夫氏から『〈盗作〉の文学史』への批判をいただいているのでお応えします。http://blog.goo.ne.jp/kuroko503/e/94af3f5ece4af8e5bd75d557365ffef3http://blog.goo.ne.jp/kuroko503/e/a976529599922b1ed7d3506ec85af535黒古先生がお書きになったという豊田清史(井伏鱒二『黒い雨』は盗作だ! と言いだした人)批判を確認してからと思っていたのですが、小谷野敦氏が反論というか批判というか罵倒を出されてしまったので取り急ぎ。http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20080906 「文壇」では周知という「戦後文学の巨人」の「盗作」についてそれに僕の知る戦後文学の巨人による「盗作」問題(多くの文壇関係者には周知のこと)について1行

    umeten
    umeten 2008/09/07
     文学論 対 メディア論 /オリジナリティというのも、ヒューマニズムの一つの発露か。理想化されたあるべき姿、そしてあり得ないシロモノという点で。
  • 多発外傷の人が来た - レジデント初期研修用資料

    当直の反省。 内科の一人当直。その日の救急当番病院は、地域の総合病院だったのに、 多発外傷の患者さんを引き受けることになった。 「自転車で転んだ患者さんです。軽症です。顔から出血しています」 その日の当番病院が忙しいとかで、「自転車で転んだ」患者さんがうちに来ることになった。 「内科の先生でも大丈夫です」なんて。 たしかにその患者さんは自転車で転んだんだけれど、その上を、 自動車に通過されてた。顔から骨見えて、足はあらぬ方向に曲がってた。血圧は触れたけれど、意識は怪しかった。 多発外傷を内科で診るの無理だから、慌てて当番病院に電話した。さすがに嘘言えないから、 正直に話したら、むこうは満床になった。目の前真っ黒になった。そんなはずないのに。 頭真っ白になりながら、ライン取ってモニターつけて、外科の先生と検査の人呼んだ。 待つまでの20分が、長かった。 ご家族の目は怖い 多発外傷の超急性期は

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    umeten 2008/06/29
    非言語的な要求を「叫ぶ」ことが常態化しすぎてるからだろ、日本/日本語の場合。
  • 純粋なココロ 2.0: 宇野常寛氏の「ゼロ年代の想像力」を読んで、この「サバイヴ感」「決断主義」こそが、5年ほど時代遅れの感性だと感じてしまった

    ↑タコシエ・オンラインにて絶賛発売中!通販可能!在庫切れの際はご容赦ください。 【関連サイト】 ・純粋なココロ(旧サイト) ・世界のはて(はてなダイアリー別館) ・Twitter@Masao 【正直、むしろ古いと思った】 ・さて次の企画は - 95年エヴァンゲリオン文化圏の終わり--知的な塹壕としての「ゼロ年代の想像力」スタートと、よしながふみ「フラワー・オブ・ライフ」完結について ↑の記事で絶賛されていたので、産まれて始めてSFマガジンを買って、「ゼロ年代の想像力」を読んでみたんだけど…… ゴメン、これ書いてる宇野常寛氏の感性こそが、時代遅れだと感じてしまった。「セカイ系」が90年代的な時代遅れの感性だとしたら、「決断主義」は2000年代前半的な5年くらい時代遅れの感性だと思う。 この文章で宇野氏は、「バトルロワイヤル」「デスノート」「ドラゴン桜」「野ブタ。をプロデュース」と

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    umeten 2007/06/05
    「善良な主張」に関しては、批評なんだか「批評」なんだかすらわからないので、連載のオチが付いて、なおかつ「サイレントテロ」を越えてる場合にだけコメントするわ。/クシもないのにウナギは割けぬってね。
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    粗大ゴミに車輪を付けて捨てに行く マンションで暮らしていると自宅から粗大ゴミ置き場まで若干の距離があったりします。手で持てるサイズ・重量の粗大ゴミなら手で運べばよいし、それよりも一回り大きいくらいのものならマンション共用設備から台車を借りられる場合があります。 今回、キッチンで 10 年…

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    umeten
    umeten 2007/03/14
    コレクター魂の話だな。
  • asahi.com:「都市伝説」またぞろ脚光 真偽よりもつながり求め - 文化一般 - 文化芸能

    「都市伝説」またぞろ脚光 真偽よりもつながり求め 2007年02月08日12時01分 「耳にピアスの穴を開けると白い糸が出てきて、引っ張ると失明する」「誰もいないトイレの個室から返事をするトイレの花子さん」――。70年代後半から80年代、少年少女を中心に広がった「都市伝説」。古くさくて、うさんくさい物語は、情報化社会の現代に一見、似合わない。でも今また、20〜30代の若者を中心に、都市伝説が注目を集めている。 「徳川埋蔵金」から米国にあるといわれる「宇宙人カプセル」まで、お笑いコンビ・ハローバイバイの関暁夫さん(31)が語る都市伝説をまとめた単行『ハローバイバイ・関暁夫の都市伝説』(竹書房)は実売で10万部を突破した。昨年末に初版8000部で発売され、増刷を重ねている。 好きなことを芸に、と関さんがライブで都市伝説を語り始めたのは3年前。客席から笑いは起きず、みんな息を潜めて聞く。「へえ

  • 「人文書」は、じいさんたちのものなのか? - 双風亭日乗はてな出張所

    いま業界で話題になっている「論座 3月号」(朝日新聞社)を買いました。 買った目的は、特集「『人文書』の復興を!」を読むためです。 ちょうど春からT大で、「実践メディア産業論(出版)」という講座を担当することになり、同特集に登場する方のなども読んでいたところでした。 だがしかし……。同特集を読んで、ちょっと拍子抜けしました。 以下、記事の短評を。 ■柄谷行人 「可能なる人文学」 どうして柄谷さんに人文書の「いま」について語らせるのか、その意味がよくわかりません。ネームバリューを狙ったのかなあ。いろいろ書いてあるけど、「これはダメ」と書いたうえで、「でも仕方がない」の繰り返し。そうやって留保しまくったうえで書かれた内容は、ごく常識的なもののような気がするのは、私だけなのでしょうか!? ■長谷川一 「パブリッキングPUBLICingとしての出版」 長谷川さんは、この特集で唯一、起用された「若

    「人文書」は、じいさんたちのものなのか? - 双風亭日乗はてな出張所
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    umeten 2007/02/08
    老人にできることがあるとすればただひとつ、死ぬことだ。死ねばいいのに。
  • http://www.sankei.co.jp/local/chiba/060923/chb001.htm

    umeten
    umeten 2006/09/24
    彼はまさに身を切る思いで自らの分身とわかれたのだ。
  • 「アテンション・エコノミー」(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again

    仲俣暁生氏*1、古谷利裕という人の 例えば、同じをブックオフで百円で買うのと、普通に千五百円出して買うのとはどこが違うのかと言えば、百円で買えば自分は得をするが、その百円はブックオフのもうけにしかならないのに対し、千五百円で買えば、そのを出した出版社、そのをつくった編集者、そのを書いた筆者それぞれに対する、積極的な評価の表明となり、経済的な支援となる。ただ「私」がを読めれば良いのであれば百円で買う方がいいに決まっているのだが、そのの向こう側には(たんに筆者にとどまらず様々な次元で)作者がいて、この社会のなかで、経済活動をしつつ生きているのだという程度の想像力があれば、必ずしも百円で買う方が(自分にとってさえも)得だとは言い切れないと分る。 http://www008.upp.so-net.ne.jp/wildlife/nisenikki.html を引きつつ曰く、 まさにそのと

    「アテンション・エコノミー」(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again
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    umeten 2006/09/20
    ブックオフ現象は、著者と出版社と読者の幸福な関係が読書1.0だとして、著者と読者とが別な回路でつながる読書2.0にいたるまでの過渡期的現象だったとはいえないだろうか? まぁ単に世の中不況のどん底だったって話も
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  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

  • ウィンドバードRecreation - 小説を読むとき、その映像を思い浮かべることができるか?

    俺の場合、そういった「文章から映像への変換」が全くできない。イメージがあることはあるのだが、いかにも端っこに「※写真はイメージです」と書かれていそうなものしかない。躍動感溢れる戦闘シーンを脳内で再生することなんてさっぱりできない。ライトノベルなら挿絵がついているが、それでもせいぜい、セリフを読むときに挿絵に描かれた人物の顔を思い浮かべるくらい。そういうわけで、たぶん小説読みの中には文章から映像への変換ができる人とできない人がいるのだろうと思う。まあ、それはそれとして。 2chのコピペにこういうのがある。 「読み」という人種は 「Text→Image」Generator(生成回路)を脳内に形成している場合が多い。 即ち「最高の美少女」という文字を認識した瞬間に自分にとっての最高の美少女がImagingされる。 「正装して踊る1000人のパプアニューギニア・フリ族」と書かれただけで、その知識

    ウィンドバードRecreation - 小説を読むとき、その映像を思い浮かべることができるか?
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    umeten 2006/07/06
    後天的性質よりも先天的性質のほうが大きいと思われ。
  • 物語の原型? - Sound and Fury.::メルの本棚。

    「内田樹の研究室: 第一回ヨンヨン学会」のエントリーが興味深い。正確には、ここで語られている「冬ソナ」論が面白いのではなく、その分析に「能」を引き合いに出して比較していることが興味深いのである。 きちんと調べたわけではないので、単なる勘違いかもしれないが、内田氏は物語を論じるときにしばしば「能」を引き合いにだすことが多くないか。このエントリーでは、「あまり知られていないことだが(私が昨日思いついたのだから)、『冬ソナ』は複式夢幻能と同一の劇的構成を持っている」と主張する。そして、以下「冬ソナ」を能に見立てて読み解いている。―― 内田氏に限らず、文芸評論を読んでいると、「〜〜は能と同じ構成である」といった分析を見かけることがある。「死者」とか「夢」が主題になる物語では、能の形式と比較すると案外うまく分析できるのかもしれない*1。内田氏の分析が面白いのは、能の形式が何も日の文芸のみならず、外

    物語の原型? - Sound and Fury.::メルの本棚。
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    umeten 2006/07/04
    てゆーか、古そうな演劇なら何でもいんじゃね?ギリシャ演劇でもよくね?
  • 瀬戸風味@はてな - ラジオクリルタイでの話

    クリルタイにて俺が放言していた部分に関することを微妙に触れてもらっている(と思い込んだ)ので補足のようなものを。 2006-05-06 日記みたいなもの - 行乞記 - 断片部 ここらへん。見逃してたり見当違いだったら土下座。 自分語り 基的に「うだうだ言ってないで愉快なものをwebに放り込め!」というような感じの物言いはとても正しいと思うし、世の中がそういう風になっていけばいいと思っているし自分もそうあるべきだとは思うのだけれども、その物言いですらも「うだうだ言うこと」になってしまうという部分に何かを感じていたりする。 そこで喋る事をやめて(あるいは喋り続けながら)、いわゆる「クリエイティブ」な方向に真っ直ぐ進めれば万事オッケーなのだけれども、自分はそこで踏みとどまりたい、踏みとどまって「うだうだ言うこと」しかできない(というのは逃げなんだろうかと思う節もあるが)人なので、「うだうだ言

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