訳あってこの半年あまり、週末の半日ほどを費やしてお百度参りをしていた。あくまで勝手にやっていたことであり、別に用事があるときには遠慮なく延期していた。どうせかつては「深夜の怪しいジョギング」と称してジョギングをしていたし、足を痛めてからはウォーキングに切り替えていた。私のやることは何にせよ、あらゆる不純な動機を総動員して行動の契機としている。 2週間ほど前に、お百度を続ける理由がなくなった。さてどうするかと考えて、ウォーキングを再開しようと思った。 どんなことであれ、一時期中断していた習慣を再開するには手間がかかるものだ。ウォーキングの時間やコースをどうするかなど、ちょっとしたことで決めなければならないことが多い。ルーチン化する前に、以前から確認したかったことがあるので、それを済ませることにした。 お百度をやっている間は、いろんな考えが頭を通り過ぎて行った。妄念の類である。 その一つが、「
日本の現代美術にとって、1980年代とはどんな時代だったのか。観念的な1970年代、サブカルチャー的な表現が隆盛した1990年代といったイメージに比べると、その狭間の時代はどこか掴みづらい。しかしこの時代にこそ、現在の美術の源流があるのでは? そんな問いを掲げる『起点としての80年代』展が、金沢21世紀美術館で開催されている。 1980年代に本格的に活動を始めた世代を中心に、19作家が出品。「時代」という切り口ゆえに実現した異質な作家たちの並びに、当時のシーンへの想像力が自然と膨らむ。 この展覧会の冒頭で、1981年に開催されたデビュー個展を再現しているのが造形作家の岡﨑乾二郎。岡﨑といえば、絵画から彫刻、建築、絵本までを手がけ、旺盛な批評活動でも知られる現代の総合芸術家と呼ぶべき存在だ。今回は、金沢21世紀美術館館長・島敦彦にも同席してもらい、岡﨑に当時の関心や1980年代の美術がもたら
私は、東京生まれではないので秋葉原に行くようになったのは、1970年代の終わり頃からだ。しかも、ラジオ少年だったわけではないので興味を持つようになったのは1980年代の前半である。その後、友人が『日刊アルバイトニュース』(現在のan)の編集をしていて、その文字ページで秋葉原の取材記事を3回ほどやった。 当時、参考になったのは日経産業新聞の連載をまとめた『The秋葉原―電子産業の縮図』(日経産業新聞編集部、日本経済新聞出版社刊)である。とても貴重な本で、いまアマゾンで見たら29,800円で出ている。それを、自分の足でトレースして話を聞いて回って、はなはだ稚拙ながら「アキバの構造図」のようなものを描いてみた。 秋葉原駅前と中央通りを中心に、当時は昭和通り側、ラジオガァデンのあった神田川を渡ったあたりまで。あまり見せたくない内容だが、編集部によるとそのあとで記事に登場した著名な建築家がその図を褒
Study in photogrammetry写真の視差情報/陰影・コントラストなどを解析して3次元の立体を作り出すフォトグラメトリという手法で、1960年代渋谷の空撮写真から街の凹凸を導出しました。各ビルの高さの関係が把握でき、詳細モデル作成のガイドなどにも使用してます。SEE MORE A part of Shibuya at 1964 #1渋谷駅を中心とした800mx500mの広域エリアで3Dモデルを立ち上げました。写真の情報量が多い箇所を中心にマッピングする写真の整形などを進め、3D空間上の視点移動に対応。これらのモデルをベースにして、1964年当時の渋谷の街並みが3次元で再現されていきます。SEE MORE
8月15日を迎えるに当たり、結核に苦しむ軍人を収容した傷痍軍人東京療養所(現・東京病院)を訪れました。敷地内のうっそうとした森の中に今も残る粗末な掘建小屋。今のように有効な治療薬がない当時、木製の硬いベッドの上で彼らは寝起きし、新鮮な空気を吸って再起を目指しました。セミのやかましい鳴き声が、かえって静寂を際立たせていました。 清瀬市には結核関係の施設が数多く存在します。清瀬駅から東京病院に向かう途中にあるこの日本BCG研究所もその1つ。満州事変が勃発した1931年、増大する結核患者に対処するため、東京府立清瀬病院が設立されたのがその始まりです。その後、ベトレヘムの園や救世軍清新療養園、傷痍軍人東京療養所など続々と関連施設が設立されました。 東京病院の真横に立つ救世軍清瀬病院(旧・救世軍清新療養園)。 清瀬駅から15分ほど歩き、東京病院の入り口に到着しました。「えっ、病院?」というのが第一印
藤田嗣治の天井画、今年も迎賓館赤坂離宮で一挙公開! 没後50年を記念迎賓館赤坂離宮が所蔵する藤田嗣治の天井画6点が、8月28日までの期間限定で一挙に公開されている。昨年同時期に行われた特別公開に続き2回目となる。 没後50年にあたる今年、国内外で大規模展が行われている画家・藤田嗣治(1886〜1968)。その藤田が描いた天井画が、迎賓館赤坂離宮で特別展示されている。 迎賓館赤坂離宮 この天井画は、6点1組としてフランスの各地方を描いたもの。もともとは銀座にあった洋菓子店「コロンバン」のために描かれた作品で、1974年に迎賓館へと寄贈された。 昨年の8月に初めて一度に展示され、大きな話題となったこの展示。没後50年の節目に「没後50年 藤田嗣治展」(東京都美術館)とともにチェックしてほしい。 なお、この特別展示にあわせ、普段は一般公開されていない西玄関も特別公開。さらに、8月25日と26日に
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