【連載】イザナギと呼ばれた時代の美術 #3:反戦運動から大阪万博へと至る統治のテクノロジー。密告と監視の“空気”はいかに醸成されたか(文:長谷川新) インディペンデントキュレーター、長谷川新による連載第3回。本連載は、1960〜70年代の「日本戦後美術」を、これまであまり光が当てられてこなかった「ベトナム戦争」を軸に辿り直すもの。ベトナム戦争を背景にした「イザナギ景気」に日本列島が沸いた時代の、新たな戦後美術史を立ち上げる。(不定期連載)
日本の現代美術にとって、1980年代とはどんな時代だったのか。観念的な1970年代、サブカルチャー的な表現が隆盛した1990年代といったイメージに比べると、その狭間の時代はどこか掴みづらい。しかしこの時代にこそ、現在の美術の源流があるのでは? そんな問いを掲げる『起点としての80年代』展が、金沢21世紀美術館で開催されている。 1980年代に本格的に活動を始めた世代を中心に、19作家が出品。「時代」という切り口ゆえに実現した異質な作家たちの並びに、当時のシーンへの想像力が自然と膨らむ。 この展覧会の冒頭で、1981年に開催されたデビュー個展を再現しているのが造形作家の岡﨑乾二郎。岡﨑といえば、絵画から彫刻、建築、絵本までを手がけ、旺盛な批評活動でも知られる現代の総合芸術家と呼ぶべき存在だ。今回は、金沢21世紀美術館館長・島敦彦にも同席してもらい、岡﨑に当時の関心や1980年代の美術がもたら
「フラットな立場だからできた仕事」。写真家の宇佐美雅浩さんはそう振り返る。EUからキプロスでの撮影を依頼された宇佐美さんは、ギリシャ系とトルコ系で南北に分断されている同国で、2つの民族が一緒になった写真を撮った。なぜ撮影は成功できたのか。日本人であることのメリットとは――。 「キプロス」と言われても、場所もわからない 「宇佐美さん、唐突ですが、キプロス島を撮影する写真家を探しています。滞在制作ですが、ご興味ありますか? 南北に分断されていて、真ん中には、国連軍が駐留しています。キプロスの人々の意思として、いずれは統一へという希望があります」 2016年6月13日、旧知のキュレーターからそうしたメッセージがFacebookのメッセンジャーで届いた。「キプロス」と言われても、具体的な場所すらわからない。その時は、プロジェクトが現実のものとなり、あんなにも、精神的、肉体的、金銭的に追いこまれるこ
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