2015年12月に金星周回軌道への投入に成功した「あかつき」。その5年前に金星軌道投入に挑むもエンジンの故障で失敗し、太陽を周回しながら再び金星に近づくチャンスを待っていました。「あかつき」は観測機器の調整などを終え、今年の4月から本格的な観測に入ります。どのような成果が期待できるのか、今村剛プロジェクトサイエンティストに話を聞きました。 最初に「金星はここが興味深い!」というのを教えてください。 硫酸の雲に覆われた金星(提供:ESA/MPS/DLR/IDA) 「金星はなぜこんなに地球と違うんだろう」という探究心がわき立つのが、一番の魅力だと思います。金星は地球と同じ岩石質の惑星で、大きさや質量は地球とそれほど変わりません。ですから、誕生したばかりの大気の成分も似通っていたのではないかと考えられています。しかし現在の金星の環境は、地球とは全然違います。地球の大気の主成分が窒素や酸素であるの
宇宙飛行士を夢見て理系の大学に入りたいのに、苦手な科目は数学と理科。宇宙航空研究開発機構(JAXA)技術者の岩田直子さん(33)は、1日20時間の猛勉強でその壁を乗り越えました。今は2月に打ち上げられる最先端の天文衛星の設計担当者の一人として、再び追い込みの真っ最中です。 ◇ 「どうすれば宇宙飛行士になれますか」 高校2年生のとき、旧・宇宙開発事業団(NASDA)=現・宇宙航空研究開発機構=に電話をかけました。対応した女性職員の方が「大学を出て、宇宙飛行士の募集があったら応募してください。今は、勉強にしっかり励んでくださいね」とやさしく説明してくれたんです。その後、事業団についての資料が自宅に届きました。「勉強を頑張ってください」という手紙も添えられていて、感激しました。 宇宙飛行士を目指すようになったのは、小学生のときです。読書が好きで、宇宙についての本や図鑑を読んで、「宇宙ってどんな所
油井亀美也宇宙飛行士の宇宙滞在が、いよいよ始まった!宇宙到着早々、油井さんはある植物実験を行った。植物が螺旋を描きながら伸びる「首ふり運動」を調べる実験(欄外リンク参照)。実は1年後に予定されていた実験だ。それが米国のドラゴン貨物船の打ち上げ失敗等で実験計画が見直され、「ごぼう抜き」で繰り上げられたのだ。実験を提案した研究者は大喜びだ。 「宇宙実験は『水物』で、状況がころころ変わります。予定された実験スケジュールが変更になった場合に備えて膨大な待機リストがあって、急きょ実施されたんですね。ドラゴンの打ち上げ失敗の時は現地にいて、今思い出しても泣けてきますが、『禍転じて福となす』。実験をやってもらえてよかったです。ただし、私は多くの実験を担当しているので、できなかった実験のことを考えると、喜んでばかりいられないんですけどね」というのが、JAXAの矢野幸子さん。植物やメダカ、線虫などの生き物(
「土星の衛星エンセラダスに地球外生命の可能性が!」という2015年3月のニュースは衝撃的だった。エンセラダスは太陽から遥か彼方の、氷の衛星。その氷の下に生命が誕生した頃の原始地球と似た海が広がり、今も熱水活動が行われているというのだ。その事実を実験により明らかにしたのが、深海のプロ集団=海洋研究開発機構(JAMSTEC)の研究者たちというのも興味津々。そこで「生命の起源×深海」と言えばこの方、JAMSTECの高井研さんを訪ねた。ものすごく難しい話をものすごく丁寧にお話くださった(時に「ここ、感動ポイントやで!」とあきれられつつ)インタビューを2回に分けて紹介します。後半ほど熱くなるトーク、最後までついてきてくださいね。深海へGo! 海洋研究開発機構(JAMSTEC)深海・地殻内生物圏研究分野分野長 高井研さん。「しんかい6500」実機前で。(高井さんの右側にある丸窓が研究者用窓)深海や生命
今年2014年の冬、小惑星探査機「はやぶさ2」が打ち上げられる。2010年の「はやぶさ」帰還時には日本中が盛り上がったが、「今回はドラマは必要ない」とプロジェクトの担当者は語る。 「地球生命の謎を探る」「小惑星の上空から大きな弾丸を撃ち込み、クレーターを作る」「大気圏で燃え尽きず、再度宇宙へ戻る」――。今回の「はやぶさ2」打ち上げの目的や、前回の「はやぶさ」との違いを、やさしく解説する。 今度こそ十分な量の物質を!「はやぶさ2」打ち上げの背景 2003年5月9日、鹿児島県内之浦町(現・肝付町)から、1機の小惑星探査機が打ち上げられました。およそ7年の時間をかけて60億キロメートルの旅をし、地球から小さな小惑星へ到達し、地球に戻って世界で初めて小惑星の表面から直接採取した砂を届け、探査機本体は大気圏で燃え尽きました。探査機の名前を「はやぶさ」といいます。 地球以外の天体を調べるためには、望遠
科学と人の橋渡しを ○…自身が館長を務めるはまぎん こども宇宙科学館が5月5日で開館30周年を迎える。当時は理事として開館に携わった身。「30年経って貫禄のある科学館になった」と振り返る。館長に就任したのは2012年の3月。基本的な運営方針を定めていくのがその仕事だ。「宇宙は大人も子どもも分かる共通の話題。宇宙を軸に展開される科学に触れてもらい、家庭の話題になれば」。館の運営を通し、人と科学の橋渡しに尽力する。 ○…東京大学で宇宙工学を専攻して以来、東京大学宇宙航空研究所、宇宙科学研究所、宇宙航空研究開発機構(JAXA)に勤務。ミューロケットの改良や科学衛星の誕生などに携わり、宇宙研究の現場で活躍する。自身も関わった小惑星探査機はやぶさについて、「次々と生じたハプニングも今となっては大変面白いミッション。よく乗り越えた」と優しく微笑む。 ○…出身は広島県呉市。子どもの頃は野球少年で「将来は
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昨年6月、日本の打ち上げた小惑星探査機「はやぶさ」が宇宙から帰還し、大きな話題を集めたことは記憶に新しいと思います。はやぶさは、小惑星「イトカワ」までたどり着いてみごとその微粒子を回収、そして往復60億kmもの旅を終え、大気中に燃え尽きて散りました。その姿は感動を呼び、映画化もなされるなど日本中にはやぶさ旋風を巻き起こしました。 着陸するはやぶさ(想像図) しかし、その持ち帰った微粒子を分析し、太陽系の姿を解明するという仕事はまだ始まったばかりです。大がかりな宇宙プロジェクトほどの華々しさはありませんが、これが成ってこそはやぶさの旅は完結するのだともいえます。 理学系研究科地殻化学実験施設の長尾敬介教授らはその分析に当たり、イトカワの、そして太陽系の起源に迫る成果を挙げました(Science誌の「はやぶさ」特集号に掲載された長尾グループの論文)。今回は長尾教授および、この研究室出身のOBた
◇はやぶさプロジェクトマネジャー・川口淳一郎さん、島津製作所フェロー/02年ノーベル化学賞受賞・田中耕一さん 人類初の小惑星からの岩石採取に挑んだ探査機「はやぶさ」の地球帰還から1カ月がたった。 回収されたカプセルの内部には、小惑星のものかは不明ながら多数の微粒子が確認され、新たな成果への期待がふくらむ。 はやぶさプロジェクトを率いた川口淳一郎・宇宙航空研究開発機構(JAXA)教授(54)と、エンジニアの視点からはやぶさに注目してきたノーベル化学賞受賞者の田中耕一・島津製作所フェロー(50)が、「成功を呼び込む挑戦」について語り合った。(文中敬称略)【司会・中井和久科学環境部長、構成・永山悦子、写真・久保玲】 ◇大人も夢を追って--田中さん --はやぶさ帰還を振り返って、今どう感じますか。 川口 やはり「出来すぎ」だったと感じています。一方で運用が終わり、さまざまな仕事がなくなった状況にぼ
1942年広島県生まれ。65年東京大学工学部卒業。現在、文部省宇宙科学研究所助教授、工学博士。専攻はシステム工学・軌道工学。主な著書は『ハレー彗星の科学』(新潮文庫)、『人工の星・宇宙の実験室』(岩波書店)、『軟式テニス・上達の科学』(共著・同文書院)、『宇宙への遙かな旅』(大月書店)、『星の王子さま宇宙を行く』(同文書院)など多数。 究極の科学は、宇宙、素粒子、そして生命──先生は「宇宙科学」と「宇宙工学」がご専門と伺いましたが、具体的にはどのような学問なのですか。 的川 まず「宇宙工学」の方から言いますと、私のいる宇宙科学研究所では、昭和30年頃のペンシルロケットの開発以来、固体燃料ロケットの研究をずっとやっています。今われわれの使っているミュー型ロケットは、おそらく固体燃料ロケットの技術では世界のトップ・レベルに達していると思います。 一方、「宇宙科学」の方は研究対象は主に3つありま
1943年長野県生れ。67年東京大学理学部物理学科卒業後、72年同大学大学院理学研究科天文学専攻博士課程修了。専門は電波天文学。理学博士。72年より東京大学東京天文台(現国立天文台)勤務。野辺山宇宙電波観測所の建設計画に携わる。その後、東京大学助教授を経て、88年文部省宇宙科学研究所助教授、そして現職に。著書に『宇宙人の条件』(93年、PHP研究所)、共著に『E.T.からのメッセージ』(87年、朝日出版社)、『遙かなる地球外生命』(92年、同文書院)などがある。 地球から136億光年先の天体が見える!──昨年2月に電波天文衛星「はるか」の打ち上げが成功しましたね。先生はその観測プロジェクトを総括されたそうですが、今日はそのお話を中心にいろいろとお伺いしたいと思います。 まず、「はるか」を打ち上げた目的は何でしょうか。 平林 簡単にいうと、「電波を発している天体」の観測をするためなんです。
1930年東京生まれ。東京大学名誉教授、東京大学宇宙航空研究所助教授、文部省宇宙科学研究所教授。東京大学工学部船舶工学科卒業後、同大航空学専攻博士課程終了。東京大学の航空研究所が再開されたのに伴い、同研究所の助手となる。63年、コロンビア大学、66〜67年、NASAラングレー研究センターを経て、宇宙科学研究所(現JAXA宇宙科学研究本部)にて、宇宙構造工学を研究。宇宙構造物の設計家として、小型宇宙プラットフォームSFU(宇宙実験衛星)の二次元展開アレイ等の発明・開発や、電波天文衛星「はるか」の大型アンテナなどの設計に携わる。著書に「ゲームに勝つテニス―科学的思考によるレベルアップ法」(82年、光文社)、「ソーラーセイル―宇宙帆船とルナカップレース」(93年、共著、丸善)など。 破壊のメカニズム研究から生れた「ミウラ折り」 ──地図を折る時などに使われている「ミウラ折り」というのは、世界的に
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