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暴力に関するhiruneyaのブックマーク (2)

  • 人を殴れる人間と殴れない人間

    人を殴れる人間と殴れない人間が世の中にはいるが、自分は殴れない人間だ。 これまで一度も人を殴ったことはないし、 学生時代のある時かなり侮辱されて頭に来たことがあったがその時も手を出すことはなかった。 もちろん、人を殴れない人間の方が常識的に考えれば良いに決まっているのだが、 でも俺は殴れる人間の方が得だと思ってしまう。 もちろん、無闇矢鱈に暴力をふるうようなハラスメント野郎とは違う。 俺がなりたいのはいざというときに人を殴ることができる人間だ。 例えば、自分の尊厳がひどく傷つけられた時や自分の大切な身内が危機にあったとき、 そんな場面でも殴れない俺ならおそらく一方的に傷つけられるままにその場を誤魔化して終わりだろう。 でも殴れる人間ならいざという危機の時に抗うことができる。 そしておそらく悔いが残らないのは殴ることができる方だ。 まあこんな場面に遭遇するのは一生に一度あるかないかだろうが、

    人を殴れる人間と殴れない人間
    hiruneya
    hiruneya 2015/09/09
    一口に殴る覚悟と言っても、格闘家が喧嘩相手に武器を出されたらすぐ土下座した話とかきくと、覚悟界隈にもいろいろあるんだろうなあと思う。
  • 『暴力の人類史』 人類史上もっとも平和な時代 - HONZ

    テロ、紛争、無差別殺人。世界は悲劇的なニュースで溢れている。人類は自らの手でその未来を閉ざしてしまうのではないか、と不安になる。ところが、著者スティーブン・ピンカーは大胆にもこう主張する。 長い歳月のあいだに人間の暴力は減少し、今日、私たちは人類が地上に出現して以来、最も平和な時代に暮らしているかもしれない にわかに信じがたいこの説を検証し、読者に確信させるためにピンカーは、人類の暴力の歴史を大量の統計データとともに振り返る。書が上下で1,300ページ超という並外れたボリュームで膨大な文献を引用しているのは、並外れた説の主張にはそれに見合った証拠を提出する必要があるからだ。しかし、ピンカーが「統計のない物語が盲目であるとするならば、物語のない統計は空疎である」と語るように、書はデータばかりが延々と続く退屈なものではない。持続的な暴力減少を示す圧倒的な事実の積み重ねとそのメカニズムに対す

    『暴力の人類史』 人類史上もっとも平和な時代 - HONZ
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