エカチェリーナ書記長 @Hashira_EKT 1543年 ポルトガル「これが鉄砲やぞ」 日本「ほーん」 1575年 日本「信長ってやつが3000丁持ってるらしいな」 欧州諸国「は?」 2020-01-25 10:02:28
長崎県五島列島沖で、海上保安庁の測量船が海底に沈む20隻以上の旧海軍の潜水艦とみられる船影を確認しました。専門家はさらに詳しい調査が必要だとしたうえで、戦争の記憶が薄れるなか、終戦70年の節目に当時を思い起こすきっかけになる発見だと指摘しています。 船影は東西4キロ、南北2キロの範囲に、合わせて24か所で確認され、海上保安庁は過去の記録から、終戦の翌年の昭和21年4月、アメリカ軍が処分した旧海軍の24隻の潜水艦ではないかとみています。 船影のうち最も大きなものは、長さおよそ120メートル、幅15メートル、高さ10メートルあり、海上保安庁は、太平洋戦争当時世界最大だった旧海軍の潜水艦「伊402」ではないかとみています。アメリカ軍はこの海域で、伊402のほかに、全長45メートルから109メートルの潜水艦を処分したということで、海底では長さおよそ50メートルから100メートルの船影も確認できると
中岡哲郎「近代技術の日本的展開 蘭癖大名から豊田喜一郎まで (朝日選書)」に日本近代技術史から見た西南戦争について端的にまとめられていて面白かったので、簡単に紹介しておきたい。同書については同じく中岡哲郎「日本近代技術の形成―“伝統”と“近代”のダイナミクス (朝日選書)」、石井寛治「日本の産業革命――日清・日露戦争から考える (講談社学術文庫)」とともに日本近代の持続的経済成長(いわゆる「日本の産業革命」あるいは「後発工業化」と呼ばれる)の過程についてなんらかまとめたいと思っているので後日がっつり紹介するつもり。戊辰戦争が終わり、明治新政府は富国強兵のスローガンの下、士族の解体から徴兵制の施行に至る国民軍の形成過程を突き進むことになるが、同時に各地に兵器工場の開設が計画された。明治三年(1870)に開設された大阪砲兵工廠もその一つで、後に東京砲兵工廠と並ぶ二大砲兵工廠へ発展していく。さて
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