カンビュセスの籤テセウスの船みたいな ほかになんか無い?
何で多くの爺キャラは、語尾に『じゃ』『じゃよ』をつけるのだろう。 私が知る限りは現実に語尾じゃ爺は見たことも聞いたこともない。 語尾じゃ爺キャラは昭和から存在していたので、戦前か戦中のご老人は語尾に『じゃ』をつけていたのだろうか。 由来は何だろう、老人だけ方言を話しているのはよく見かけるので、どこかの方言だろうか。 東京かもしくは、東京に移住してきたのが特別多い地域の方言な可能性が大きいか。 そもそもいつ頃から語尾じゃ爺は出てきたのだろう。 サザエさんとか出てきたかな…波平は普通だった気がするが、意地悪ばあさんも話し方は普通だった、磯野家の裏のおじいちゃんとかどうだっただろう、思い出せない。 スネ夫のお母さんが話すザマスが遊郭言葉だったように、何かしらの由来はあると思うんだが、何なんだろうあれ。
枕詞が好きだ。ひらがなで書かれたときのやわらかさが特に好きだ。とはいえ専門に学んだことはない。 架空の古代日本を舞台にした創作をはじめているのだが、新しく自分で万葉言葉的なのを作れないものかと思っている。雰囲気だけでも古代っぽさを出したい。勉強もせず勝手に作ったら怒られるかな。
「ドラえもん」の作者として知られる藤子・F・不二雄氏の漫画について、「男性が『~かしら』という言葉を使っている印象がある」などと指摘するツイートが、2019年8月下旬に投稿され、話題になった。 投稿者のユーザーは、「女性的な言葉だと思うが、F先生の口癖だったのかしら?」と疑問を投げかける。そもそも「~かしら」はいつから使われ始めたのだろうか。J-CASTニュースでは、過去の文献を振り返るとともに、識者に見解を聞いてみた。 「坊っちゃん」や「少年探偵団」にも登場 「広辞苑 第七版」(岩波書店)によると、「かしら」は助詞。「『...か知らぬ』の転。明治以降の語。主として女性が用いる」としている。体言と同等の語に続いて、不審や疑問の意を表す。否定の助動詞「ない」「ぬ」に続いて、願望や依頼の意も示す。「かしらん」とも表記されるようだ。活用語の連体形に続いて、危ぶむ意も表すという。 ツイッター上では
1 隋の煬帝は、漢音の「ようてい」ではなく、呉音で「ようだい」と読むのが通常である*1。その理由について、煬帝は悪帝であるため、「皇帝でありながら、その資格はないという意味」(陳舜臣*2)をこめたなどと説明されることがある*3。他方、これは特に理由のない読み癖にすぎず、「悪いやつだから帝(たい)だというわけでもない」(高島俊男*4)と明示的に「悪帝」説を否定する指摘もある*5。 後説が妥当と思うが、悪帝を理由とする見解も、少なくとも江戸時代に遡るため、直ちに切り捨てることはできず、その関係を検討しきれていない。しかし、本年3月、「悪帝」説を前提に、これを正面から論じた松下憲一「隋の煬帝はなぜヨウダイと読むのか」(史朋50巻37頁)という論文(以下「松下論文」という。)が発表されたので、ここで若干の整理をしたい。 2 我が国の漢字音は、古くは呉音が用いられた。しかし、奈良後期から、遣唐使や留
よく他の方のブログからネタをいただいています。今回は ゆあさよ。 (id:yuasayo1013)さんの、こちらのエントリーに乗っからせてもらいます。 www.yuasayo1013.com 「ロックンローラーはいくつになってもロックンローラー、ヒッピーは年をとってもヒッピー、オタクは氏ぬまでオタク」と言います(言うかな?)。ただし R&Rer がいつまでも R&Rer であるためには、あるいはヲタが氏の間際までヲタであるためには、それぞれなにがしかの努力が必要であるように思います。 ゆあさよ。さんのブログは、ブログタイトルの通り、ロックな生きざまを貫くために奮闘する日常を描くものですが、多くの場合、子煩悩ネタや愛妻ネタでオチるのが予定調和です。今回のエントリーは、天使のような悪魔というか、悪魔のような天使の時期にある御令息を、なだめすかして保育園に送って行かれるエピソードでしたが、 ゆあ
(18.7.28更新) アーサー王の円卓の騎士にも多くの物語や伝説があります。その中で、今回取り上げるのがガウェイン卿。ガウェインはアーサー王の甥であり、朝から正午までは力が3倍になるという特性をもち、優秀な円卓の騎士として活躍しました。 とても勇敢ですが強情な面や復讐心が強い性格が玉に傷ということですが、ガウェインとラグネルの結婚の話では、がウェインの誠実さと優しさが感じられました。 今回はアーサー王の円卓の騎士の1人である、ガウェンがラグネルと結婚した物語を、自分なりの想像を入れながら書いたシナリオをご紹介いたします。 文中にある、◯◯◯◯、▽▽を考えながら読んでくださいね。 アーサー王とガウェインが悪魔騎士と戦っている場面 質問の内容に考え込む、アーサー王。そこにラグネル登場 アーサー王がガウェインにラグネルの話をする アーサー王とガウェインが悪魔騎士と再会 ガウェインと老婆ラグネル
(1)辞典類の「数詞」の項(資料①p1231、資料②p641、資料③p537)を確認する。日本における数詞について質問に関連する記述があるが、誰が説いたものであるかはわからない。資料①、②には、「ミ-ム、ヨ-ヤのような対立は…倍数法による命名と説かれ…」とあり。 (2)当館OPACを「数詞」をキーワードに検索した結果から資料に当たってみる。 資料④「数詞の歴史」p54、資料⑤「日本語の数詞の語源」(安田尚道)p41に、「荻生徂徠」とあり、資料提供した。 資料⑤には、「日本語の数詞には倍数法が見られる、という説がある。…このことを最初に説いたのは荻生徂徠(1666~1728)である。…」として、随筆集『南留別志』からの引用を載せている。
「承認」の起源という問題 以前に、日本のインターネットでよく言及される「承認欲求」という言葉がかなり多義的に用いられているということを、実際の使用例を見ながら論じました。 ホッテントリで振り返る、「承認欲求」論の歴史(06~08年) - 長椅子と本棚 上の記事では実際のネットスラングとしての使用例だけをまとめましたが、「承認」という言葉はネットでの用法にとどまらない背景を背負っています。そこで、今回は少し切り口を変えて、「承認」という概念の出自から、この概念がなぜこんなにも混乱した仕方で用いられているのかを考えてみます。 さて、「承認」という言葉の出自はどこに求められるでしょうか。現代の日本で最もよく知られているのはA. マズローが用いたesteemという概念でしょう。「承認」についてまとまった連載記事を最近投稿していた「シロクマの屑籠」のid:p_shirokuma氏は、次のように書いて
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