日差しが眩しい。空気が澄んでいるのかと富士山のほうを見ると霞んでいる。夢は覚えていない。くったりと寝坊した。ぼんやりと朝食をとり、教育関係の本など読みながら、昔の学校の先生というものを思っていた。技術的には優れていないし、人間的にもどうかなと思う人たちはいたが、普通の社会の延長に近い部分はあったような気がした。年配者は男女ともに戦争の経験者だった。軍人上がりもいた。進駐軍通訳上がりもいた。私が中学生ごろに現れ始めた戦後の先生とは、なにかが決定的に違っていた。表層的な近代性は古い先生のほうがあったのではないかと思った。表層というのは、たとえばグループ学習とか話会いとかその手のものではなく、子供の事故とか貧困とかリアルな生活に向き合う点のほうで彼らはきちんと、しかし日本社会に折り合いをつけた近代性を示したように思えた。あれはなんだったのだろうかと思った。話がずれるが、50年代から60年代の米国