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社会と価値観に関するobsvのブックマーク (65)

  • メモ - 弱者にやさしく人間味のない社会/肌のぬくもりの感じられる素朴な差別

    最近、哲学者の千葉雅也氏がサイゼリヤについて語っていたツイートが「炎上」状態になっていた。 サイゼリヤに来たら、番号を記入した紙を渡す形式になっていた。ライス大盛りに一つの記号列が割り当てられている。ひどいと思った。世界は当に寂しいところになった。これでいいと気で思っているんですか、当のところはどうなんですか、と叫びたくなった。 2022-07-05 12:56:36 ものすごく卑近な言い方にすれば、無味乾燥な記号にすることで来それを指す言葉が持っていた豊潤さを消している、人間味であるとか詩的感性の剝奪である、というようなことであろう。コンテキスト等についてアンフェアにならないように紹介しておけば、togetterと氏のアカウントの直接の発言も参照されたい。 今回は、氏の発言がなぜ「炎上」状態になったかについて私見および他の方のご意見をメモとして残しておく。今回の内容は、私以外の方

    メモ - 弱者にやさしく人間味のない社会/肌のぬくもりの感じられる素朴な差別
    obsv
    obsv 2022/07/07
    “マイノリティを包摂できる社会を作るには、コミュニケーションはなるべくドライなものにとどめ、個人の美的感性などウェットな人間性はある程度は疎外しなければならい。”
  • 蔵本千夜 (小林) on Twitter: "毎回とあるロシア人の友達と話すとすごく鬱になってしまう。 友達:プーチンの支持率は余裕で80%超えるよ    これが現状。 私:軍人の遺体が搬送されたら変わると思うよ    自分の国民の遺体搬送を遅らせようとしてるじゃん 友達:ロシア人にとってそんなことなんてどうでもいい /1 つづく"

    蔵本千夜 (小林) on Twitter: "毎回とあるロシア人の友達と話すとすごく鬱になってしまう。 友達:プーチンの支持率は余裕で80%超えるよ    これが現状。 私:軍人の遺体が搬送されたら変わると思うよ    自分の国民の遺体搬送を遅らせようとしてるじゃん 友達:ロシア人にとってそんなことなんてどうでもいい /1 つづく"
    obsv
    obsv 2022/04/17
    「ロシア人の友人」の言う通りだろう。仮にこの度の侵攻を抑え込めたとしても、ロシア国民の価値はたぶん変わらない。大日本帝国のように崩壊させて強制的に民主化、自由主義化されないと無理だろうな。
  • サンデル教授の「大学入試くじ引き論」 - 道徳的動物日記

    実力も運のうち 能力主義は正義か? 作者:マイケル サンデル 発売日: 2021/04/14 メディア: Kindle版 『実力も運のうち』の第六章「選別装置」で、サンデルは以下のような提案をしている(太字部分は強調のためにわたしがつけたもの)。 四万人超の出願者のうち、ハーバード大学やスタンフォード大学では伸びない生徒、勉強についていく資格がなく、仲間の学生の教育に貢献できない生徒を除外する。そうすると、入試委員会の手元に適格な受験者として残るのは三万人、あるいは二万五〇〇〇人か二万人というところだろう。そのうちの誰が抜きん出て優秀かを予測するという極度に困難かつ不確実な課題に取り組むのはやめて、入学者をくじ引きで決めるのだ。言い換えれば、適確な出願者の書類を階段の上からばらまき、そのなかから二〇〇〇人を選んで、それで決まりということにする。 (p.266) サンデルがこのような提案をす

    サンデル教授の「大学入試くじ引き論」 - 道徳的動物日記
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    obsv 2021/04/29
    “表面上の公平さが強ければ強いほどそれに勝ち抜いたものの優越感や慢心と負けてしまったものの劣等感や屈辱は強まってしまうものである。”
  • 世の中の仕組みと人生のデザイン l 橘 玲 | DPM(ダイヤモンド・プレミアム・メールマガジン)

    経済的独立すなわち自由は、世の中の仕組みを正しく理解し、最適な人生の戦略をデザインすることで、もっとも確実に達成できる。 世の中(世界)はどんな仕組みで動いているのだろう。そのなかで私たちは、どのように自分や家族の人生を設計(デザイン)していけばいいのだろうか。経済、社会から国際問題、自己啓発まで、さまざまな視点から「いまをいかに生きるか」を考えていきます。質問も随時受け付けます。 橘 玲の最新刊『幸福の「資」論 あたなの未来を決める「3つの資」と「8つの人生パターン」』好評発売中! 「幸福な人生」を送るために幸福を定義すると基盤となるのは3つの資。その組み合わせで8つの人生パターンが考えられる。あなたが目指すべきはどの人生パターンか? ダイヤモンド社から発売中!(1,650円 税込) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【DIAMOND PREMIU

    世の中の仕組みと人生のデザイン l 橘 玲 | DPM(ダイヤモンド・プレミアム・メールマガジン)
  • 「トランプ支持者」を真に理解し、分断を癒すには─彼らに“共感”するため、5年間を共にした社会学者が解説 | 左派には見えない、右派が見ている「世界」

    選挙当時、アメリカ国内の新型コロナによる総死亡者数は25万人の大台を超え、その犠牲は他の西洋諸国をはるかに上回っていた。さらに選挙後、前大統領の支持者たちは、選挙結果が「盗まれた」という根拠のない主張を進んで受け入れているように見えた。 私が育ち、そして今も愛しているこの国で、いったい何が起こっていたのだろうか? そして、この狂気があくまで一時的なものに過ぎないという可能性はあり得るのだろうか? その答えを期待して、私はホックシールドに電話をかけた。カリフォルニア州立大学バークレー校の名誉教授である彼女は、社会学者として非常に有名だ。書くものがわかりやすく、一般読者を対象にした作品を多く著してきたということももちろんあるが、同時に、彼女が現実の人々の日々の生活と悩みに注目してきたためでもある。 左派には見えない、右派が見ている「世界」 ホックシールドはその50年のキャリアを通じ、人々が公共

    「トランプ支持者」を真に理解し、分断を癒すには─彼らに“共感”するため、5年間を共にした社会学者が解説 | 左派には見えない、右派が見ている「世界」
  • 「叩いて構わない奴は、とことん叩いていい社会」を、子どもたちは見て育つ。

    オンラインでもオフラインでもしばしば思うことがある。 今日の日社会では、ネットであれテレビであれ 「バッシングを公認されるような過失・落度のある相手は、どれだけ叩いても構わない。その際、相手がどうなるかは配慮しなくて構わない。それが社会だ と言いたくなる風景がしばしばみられる。 なにか不祥事や事故があったら、法的責任が問われるだけでは済むとは限らない。 その責任者は罵倒され、ときには土下座させられる。 法的責任を追求するのとは別に、“感情を納得させる”ために罵倒すること・土下座させることを正義とみなす空気が発生することもある。 もちろん、そうした罵倒や土下座に警察が口出しをすることはない。 最近になってようやく、マスメディアが苦言を呈するようになったぐらいだ(ただし、マスメディアが煽ることもまだある)。 罵倒や土下座強要は、被害届を受理するほどのものではないし、仮にそれで誰かがうつ病にな

    「叩いて構わない奴は、とことん叩いていい社会」を、子どもたちは見て育つ。
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    obsv 2020/09/04
    世の中が「道徳的」になればなるほど、断罪して叩きのめす風潮は強まっていくだろう。ポリコレやアイデンティティ政治もその流れの中にある。正しさを求めすぎて寛容さを失った世界のなんと住み心地の悪いことか。
  • 「自分の市場価値」がついてまわる社会と、その疎外 - シロクマの屑籠

    「自分の市場価値を測ってみませんか」ってメールがドコモから届きやがったよ。自分の市場価値を測ってみませんかってキャリアからメールが届くんだぜ、すげえ世の中だな— p_shirokuma(熊代亨) (@twit_shirokuma) 2019年12月2日 この手のメールを受け取ったことは、一度や二度ではない。けれども今回、携帯キャリア会社からこのメールが届いたことにはちょっと驚いた。さんざん使っているPCのメアドに届くなら理解できるし、珍しくないことなのだけど、ほとんど使っていない携帯キャリアのメアドに「自分の市場価値を測ってみませんか」が届くということは……全国のあらゆる人間にこんなメールが送られているのだろうか。 人間の市場価値とは、どういうものか。 お金をどれだけ稼げるか、どれだけ人気者か、どれだけ他人に好ましい影響を与えられるか、等々によって現代人は他人を値踏みし、と同時に値踏みされ

    「自分の市場価値」がついてまわる社会と、その疎外 - シロクマの屑籠
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    obsv 2019/12/07
    身分制社会から新自由主義社会にジャンプしたのだとすると、逆に市民社会は日本に根付かなかったわけで、その辺りに日本人の意識の基底が見えてくると思う。
  • 他人指向から自他同化指向へと向かう社会的自我 - 完全無欠で荒唐無稽な夢

    リースマン『孤独な群集』から読みほどく[現代] 時代の転換期には、変化のエッジが鋭く出現する。というのも観察者が古い通念に足場をおくからであり、さらには、古い通念の持ち主にとっては、新興する事象と古い事象とが鮮やかな対比となって現れるからであろう。 リースマンの生きた1960年代には「他人指向型」はかなり一般的な社会的となっていたようだ。 「他人指向と名づける性格類型は、きわめて近年になって、大都市の上層中産階級のあいだに出現したもののように恩われる」 その当時と比較すると、現代人には「伝統指向」や「内部指向」といったタイプはほとんど見かけることがない。他人との関係は、ますます、他人との「きずな」や「ひと目」や「クチコミ」を重視する方向に社会的情勢が突き進んだようである。そうした人びとだけの世界は果たして健全なのだろうか? それを後押ししたのはマスメディアよりも、インターネット/携帯という

    他人指向から自他同化指向へと向かう社会的自我 - 完全無欠で荒唐無稽な夢
  • 「ロスジェネ世代? 社会が悪い? 報われないのはお前の努力が足りないからだ!」と言われたら、貴方はどう反応しますか? - Togetter

    ロスジェネ世代って、まさに個人の努力や才能だけではどうにもならないマクロの社会状況で人生台無しにされてるんだから、そりゃ時代や社会のせいにするのは当たり前の話だし、努力してもどうにもならなかったら人間そういつまでも努力し続けられるもんじゃないよ。

    「ロスジェネ世代? 社会が悪い? 報われないのはお前の努力が足りないからだ!」と言われたら、貴方はどう反応しますか? - Togetter
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    obsv 2017/12/24
    ロスジェネ世代に関しては前後の世代よりも割を食ってる分は社会の責任だろう。新卒採用・終身雇用でなければ損を被ることもなかったはず。/自己責任万能主義者はなけなしの自己価値観に縋り付いてる感が強い。
  • 日本人の「心情」はすでに大震災前に戻ってしまったのかもしれない(堀 有伸) @gendai_biz

    「日的ナルシシズム」という病理性 悪い意味で「日的心情」は、震災前に戻った。むしろ悪化したかもしれない。 私は東京に生まれ、大学と縁の深い所で精神科医として生きていた。心理学的な立場から、個人と集団・社会との関係について考えていた。 日社会には、集団やその伝統と個人が、相即不離で密着している状態を理想化する「日的ナルシシズム」という病理性があり、そのことが、精神科病院への患者の長期入院の問題、一部のうつ病の発生や遷延化、自殺の問題と関係があると考えていた。 2011年に東日大震災が発災し、原子力発電所事故が起きた時に、「日的ナルシシズム」の観点から説明できる社会的事象が多いと感じた。 信頼できる「型」があり、それに沿っている時の日人の素晴らしさと優秀さ、それと同時に、その「型」が失われた時の混乱と無為無策のコントラストを強烈に感じていた。 「この原発事故の問題に真剣に取り組ん

    日本人の「心情」はすでに大震災前に戻ってしまったのかもしれない(堀 有伸) @gendai_biz
    obsv
    obsv 2017/12/02
    “極端な「平等」の理念を掲げて、一切の社会的な権威を承認せず、実際に問題にかかわっている人々を威嚇し操作することも、一つの「力関係」である。” 正に「サヨク」の姿そのもの。/日本に足りないのは合理主義。
  • なぜ韓国だけが他のどの国よりも「反日」なのか – アゴラ

    Robert E. Kellyという、米国人の政治学者で韓国の釜山大学で准教授を務めておられる方が2015年に書かれた「Why South Korea is so obsessed with Japan(なぜ南韓は日のことで頭がいっぱいなのか)」という記事は、過去に産経新聞のニュースでも部分的に取り上げられていたようだが、今改めて読んで見ると実に興味深い。 この記事においてKelly氏は韓国在住の米国人知識人という立場を生かし、実に第三者的に、ほとんどどちらのサイドにも感情移入をすることもなく韓国人の日に対する嫌悪感情(彼はこれをAnti-Japanismと呼んでいる)の異常性を指摘し、この異常事態がなぜ生じているのかを淡々と論じている。 2年も前の英語記事なので、既にいくつかのブログやニュース記事でも邦訳・紹介されているが、Kelly氏の記事は今この時期にこそ改めて注目されるべき内容

    なぜ韓国だけが他のどの国よりも「反日」なのか – アゴラ
  • 若者に自民党が人気な理由は世代が違うから

    https://anond.hatelabo.jp/20171023144455 俺は塾講師だから10代の奴らと話して感じるのは、これは世代やね。 何が違うのかって、戦争への時代感覚と、アジア諸国への感覚が違う訳。 だから、日リベラルな価値観が刺さらなくなってる。 まず、太平洋戦争への時代感覚。 30,40歳以上の世代だと爺ちゃんが戦争行ってたりするから、少しだけあの戦争へのリアリティがまだある。 ましてや50,60歳世代は親が行ってる訳でしょ。 だから戦争責任みたいな話に胸がぐっときて左翼になる人たちも当然いる。 日の丸を掲げる群衆に対する嫌悪感の教育も浸透してる。日教組が圧倒的な力を持っていた時代。 でも、今の10代は爺ちゃんが戦後生まれだったりする訳。 爺ちゃんが戦後生まれなのに戦争責任がと言われても圧倒的にリアリティがない。 そして、ワールドカップに日が出場して応援するのが当

    若者に自民党が人気な理由は世代が違うから
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    obsv 2017/10/24
    “中国や韓国は「貧しいアジアの国」ではない。 韓国はほぼ日本くらい豊かな国だし、中国は日本より経済大国だというのがデフォルトの価値観な訳だ。 彼らは哀れみの対象ではなく、むしろ恐怖の対象だ。”
  • 「美意識が低い」日本の受験エリート達の末路

    現在、世界のエリートは必死になって「美意識」を鍛えています。グローバル企業が世界的に著名なアートスクールに幹部候補を送り込む、ニューヨークやロンドンの知的専門職が、早朝のギャラリートークに参加するのは、こけおどしの教養を身に付けるためではありません。彼らは極めて功利的な目的で、「美意識」を鍛えているのです。 なぜならば、これまでのような「分析」「論理」「理性」に軸足を置いた経営、いわばサイエンス重視の意思決定では、今日のように複雑で不安定な世界においてビジネスの舵取りをすることはできない、ということをよくわかっているからです。 「偏差値は高いが美意識は低い」エリートたち 一方、残念ながら現在の日企業の多くは、経営にかかわる人たちの美意識がほとんど問われません。すなわち、日のエリート組織の多くは「偏差値は高いが美意識は低い」という状態で、計測可能な指標だけをひたすら伸ばしていく、一種のゲ

    「美意識が低い」日本の受験エリート達の末路
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    obsv 2017/08/31
    "美意識"と言うべきか"倫理観"と言うべきか、或は"哲学"か"大義"か言葉に迷うが、要は世界の有り様への意識が低いと言うことかな。「あるべき姿」を持つキリスト教社会との差もあるのでは。
  • そろそろ安倍政権を倒したいあなたに授ける戦略

    イスラム国の日人人質事件に関して、安倍政権批判が盛り上がっているようです。これは安倍の責任だ。責任取って辞任しろ・・・という話も出ているらしい。 あなたもそのタイプの人だとしたら、それに対する「そんなことしたらテロリストの思うつぼじゃないか」的な批判は聞き飽きた!という感じかもしれません。で、それに対するあなたがたの論理も、色々と読みました。気持ちは結構わかる部分もある。 だからこの記事は、もしあなたが「安倍政権を倒したい」と思っている、あるいはとりあえず安倍政権は支持してるんだけど、時にやりすぎるきらいのある彼らが、この事件を機にさらに「やりすぎる」方向に行ってしまわないかを懸念している・・・というあなたの声を日の方針に反映させていくための「戦略」についてお話します。

    そろそろ安倍政権を倒したいあなたに授ける戦略
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    obsv 2017/08/17
    まともな国家であるためには左右両方の考え方に必要なものがあると思うので、お互いの考え・大事にするものを尊重するべきと思うが、イデオロギストは頭の中の理想が大事で現実がどうなろうと関心ないだろうな。
  • 若者が「自分らしさ」を易々と捨てるシンプルな理由(熊代 亨) @gendai_biz

    時代が変われば、人のメンタリティも変わる。 例として、団塊世代と団塊ジュニア世代を比べてみると、わかりやすい。 おおまかに言って、団塊世代はモノが乏しい時代に生まれたため、モノに恵まれることが幸福に直結しやすいメンタリティを形作った。 一方、飽の時代に生まれた団塊ジュニア世代は、モノに恵まれるだけでは幸福にはなれなかった。 「自分らしい生き方」「他人とは違った生き方」が望まれ、モノは、自分らしさや他者との差異をつくりだすためのアクセサリとして買い求められた。「モノよりこころ」というフレーズが言われるようになったのも、団塊ジュニア世代あたりからだ。 これに似たことが、1980-90年代に若者だった世代と、それ以降の世代にも言える。バブル景気が終わって二十余年の歳月が流れるうちに、若者のメンタリティは少しずつ変わっていった。 たとえば2000年頃には、精神科外来で出会う若者から「自分らしさ」

    若者が「自分らしさ」を易々と捨てるシンプルな理由(熊代 亨) @gendai_biz
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    obsv 2017/07/27
    「分人」社会では、ある集団の空気に動かされて行った「分人」の責任を、個人として背負う意識は生まれるのか、言い換えると、人が「分人」の行いに対し無責任になってしまうのではないかと少し恐ろしいものがある。
  • ウヨるのは誇りが無いから

    ウヨるのは誇りが無いから。ネトウヨとかalt-right(「オルタナ右翼」と訳されているやつ)とかいう群れは典型。 誇りが無い、つまり、尊厳の自覚が欠けている、自己肯定感が足りないから、権威権力に依存しないと自己を保てないのである。 近年は「日」に依存したがる人々が増え、そしてそれにあやかって収益をあげようという企業がうようよしている。安倍政権が成立したこととは相関関係はある。けれども、東日大震災の頃から既に、少なからぬ人々が国家主義に傾いた。己の不安定感から、国家という概念に懐こうとしていった。 バブル崩壊から続く底なしの不況、経済縮小の中だから、そういう依存気質を利用してでも稼ごうとする企業の方が多い。宣伝する広告代理店とかマスメディアとかも、やはり、そうなる。 他方の欧米では近年は、例えば「LGBTブーム」が起こっているけれども、多くの企業は「稼げるからLGBT支援」であって、尊

    ウヨるのは誇りが無いから
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    obsv 2017/07/24
    ネットではよく見られることだが、「日本に〜〜のような問題点があって良くない」という見解に対し「じゃあ日本から出て行け」という暴言が飛び出すあたりに、このブログの指摘がズバリ当てはまるな。
  • 寛容と不寛容の間ー仏教の智慧を科学する の記事書き起こし - ログミー

    寛容と不寛容の間ー仏教の智慧を科学する の記事書き起こし - ログミー
  • 発達障害のことを誰も知らなかった社会には、もう戻れない - シロクマの屑籠

    精神医療が世の中を変えて、世の中が精神医療を変えていく。 そういう視点で、精神医療と世の中の相互作用を眺めていると、つい、ブロガーっぽいことを考えたくなる。 1.昔の精神医療には「狂気」しか無かった。 「発達障害」も「社交不安性障害」も「境界性パーソナリティ障害」も昔は存在していなかった。今日ではよく知られている心の病気が出揃ったのは、20世紀になってからのことだ。 十八世紀には、たったひとつしか心の病気が存在しなかった。狂気 insanity である。狂気という診断が意味していたのは、今日の臨床家が精神病という語で意味しているもの、あるいは口語的に「狂った crazy 」と言われているものだった。「狂気」とは、多くの場合妄想や幻覚を伴ったり、重いメランコリ―や高揚状態を伴うなど、患者が現実となんらかのかたちで接触を失っている状態のことを意味していた。 (中略) 狂気というひとつの病気だけ

    発達障害のことを誰も知らなかった社会には、もう戻れない - シロクマの屑籠
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    obsv 2017/07/05
    正体のわからないものが正当に扱われることはない。精神医学の知識が広まる前の世界で病者や障害者が社会に包摂されていた、と言うのは健常者が信じたいフィクションでしかないのではないだろうか?
  • 「自己責任」と「社会のせい」を使い分けするダブスタはてな世論

    http://anond.hatelabo.jp/20170613210316 こういう旧世代の業種の話になるとはてなの世論はとたんにしばき主義の自己責任教がはびこる。 いわく、 新しい技術が生まれれば古い技術は淘汰される。 弱肉強、弱いものは去れ、時代遅れのものはなくなって当然。 これはAmazonの一人勝ちで零細小売が淘汰されている件についても同様に適用される。 特に、街の屋に対するはてな世論の冷酷さは際立っている。 あんな無駄なもの生き延びる方がおかしい、くらいの勢いだ。 他方で、貧困問題の話になると、はてな世論では自己責任論は途端に蛇蝎の如く嫌われる悪魔の思想になる。 http://b.hatena.ne.jp/entry/kentaroupeace.hatenablog.com/entry/2017/06/13/080000 悪いのは社会なのであって、努力不足だとか自己責任な

    「自己責任」と「社会のせい」を使い分けするダブスタはてな世論
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    obsv 2017/06/14
    個人の意思で自由に出来ることは自己責任だし、個人の意思でどうにも出来ないことは(あるとしたら)社会の責任でしょ?「全部が自己責任」とか「全部が社会の責任」なんて社会想像したら気持ち悪くてしょうがないぞ。
  • 自己責任を求める成功者たちにつけるクスリ - 望月優大のブログ

    田圭佑氏のツイートが話題になっていた。若い世代の自殺に関するニュースを取り上げて「他人のせいにするな!政治のせいにするな!!」と吼えている。ああ、このツイートは見たくなかった。好きなサッカー選手であるだけに個人的には残念な気持ちになった。 田氏が取り上げている記事はこちら。 記事を一目読んでみていただければわかる通り、田氏が言うような「他人のせい」とか「政治のせい」とかそういった内容についての記述がある記事ではない。これを読んであのような書き込みをするということは、彼が「自殺」という問題を考えるうえでのある種の思い込み、「自殺者は自分の苦境を「他人や政治のせい」にして自死したのだろう」といった類の思い込みがあるからだろうと思う。若者に対して強く生きるように鼓舞したいという彼の気持ちはわからなくもないが、この文脈で使うべき言葉、そして言葉遣いだとは到底思えなかった。 平凡な、物言いでは

    自己責任を求める成功者たちにつけるクスリ - 望月優大のブログ