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道徳と社会に関するobsvのブックマーク (14)

  • 冤罪から陰謀論まで 〈道徳感情〉で世界を読み解く【管賀江留郎×橘玲 特別対談】|Hayakawa Books & Magazines(β)

    冤罪、殺人、戦争、テロ、大恐慌――すべての悲劇の根原因は、私たちの〈道徳感情〉にあった! 冤罪事件の考察を通じて人間性を抉る話題作、管賀江留郎『冤罪と人類――道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)。書の刊行を記念し、著者の管賀氏と、『言ってはいけない』『上級国民/下級国民』などの著作をもつ作家・橘玲氏との特別対談を公開します。 冤罪と道徳感情橘 『冤罪と人類』を読ませて頂きましたが、よくここまで調べたものだと驚きました。なかでも目から鱗だったのは、〈二俣事件〉最高裁の判事の話。一審二審とも死刑判決だったのを破棄して差し戻すというリベラルな判断ができたのは、実は自分たちが過去に同じような「冤罪体験」をしていたからだという。 管賀 道徳感情を掻き立てられると人々は真実が見えなくなり、無実の人を犯人だと思い込んで非難したりすることがあると理解するには、自分が体験

    冤罪から陰謀論まで 〈道徳感情〉で世界を読み解く【管賀江留郎×橘玲 特別対談】|Hayakawa Books & Magazines(β)
    obsv
    obsv 2021/05/14
    “すべての人がやっているのはつまるところ自分の「評判(自尊心)管理」だということです。自分の評判を守るためなら、他人の生命や正義ですらどうでもよくなってしまう”
  • 「共通善」で問題が解決できるなら苦労はしないよ(読書メモ:『実力も運のうち』①) - 道徳的動物日記

    実力も運のうち 能力主義は正義か? 作者:マイケル サンデル 発売日: 2021/04/14 メディア: Kindle版 「能力主義」に対する批判には、二つのパターンが考えられる。「不徹底な能力主義」に対する批判と、「能力主義」そのものに対する批判だ。 学問的なものにせよインターネットなどにおける世俗的なものにせよ、能力主義に関する昨今の議論でなされている批判の大半は、「不徹底な能力主義」に対する批判である。 この批判は、「能力主義は出自や属性に縛られずに自分の意志と努力と才能で自分の人生を決定するチャンスを人々に与えるのであり、機会の平等を保証して、社会の流動性を高めるものだ」という主張に対して、「実際には能力主義の社会でも人々は出自や属性に縛られており、生まれ落ちた環境や場所によって人々の人生はあらかた決定されている」、という事実を突きつけるものだ。 たとえば、アメリカでは大学受験は階

    「共通善」で問題が解決できるなら苦労はしないよ(読書メモ:『実力も運のうち』①) - 道徳的動物日記
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    obsv 2021/04/25
    “もし仮に能力社会は公正や正義などの観点では問題ないものだとしても、人々の間に分断を招いて社会の連帯を破壊するために、とうてい受け入れることはできない。”
  • 「ナオミ・クライン的なるもの」に対するジョセフ・ヒースの解毒剤 - 道徳的動物日記

    経済学101」では、政治や経済について論じるカナダの哲学者、ジョセフ・ヒースのブログも訳されている。 econ101.jp econ101.jp 上記の記事ではどちらもかなり重要なことが書かれていると思うが、その一方で(特に日の読者にとっては)さして重要でないことや時節が過ぎたことも書かれていたりするし、なにしろ長い。というわけで、残念ながら、訳者(わたしや青野さん)が期待したほどには読まれていないようだ。 どちらの記事も訳してから数年経過していることだし、「有益であるな」と特にわたしが思う部分を、こちらのブログに引用してしまおう(読みやすくなるように改行も加えている)。 私が最終的に辿り着いた答えは、価格付けシステムは大半の人々が持っている道徳的直感に反するということであり、そしてクラインはその道徳的直感を物事に対して徹底的に当てはめているということだ。 彼女は「汚染者支払い」の原則

    「ナオミ・クライン的なるもの」に対するジョセフ・ヒースの解毒剤 - 道徳的動物日記
    obsv
    obsv 2020/12/03
    “正当な経済学の理論を参照しながら問題について地道かつ合理的に分析していくということは行わず、その代わりにラディカルなお題目をぶちあげることで、(左派の)読者の支持を得ている。”
  • 「安楽死」をめぐる議論のおかしな構造 - 道徳的動物日記

    7月23日に京都のALS嘱託殺人が発覚して医師二人が逮捕された事件を受けて、メディアやネット上でも安楽死に関する議論が盛んにおこなわれた。当初は、事件の特異性から「この事件をきっかけに安楽死についての議論を行うこと自体を、避けるべきである」という意見もよく目にしたが、けっきょく、賛成派も反対派もいつも通りの主張をおこなう展開に終始した感がある。 どちらかの側が「いまは議論をするべきではない」と思っていても、別の側が自分たちの主張を唱え出したら、それに応答して議論を行わざるを得ない……というが、議論というものの厄介なところではある。「いまは議論をするべきではない」と思っていても、相手の側の主張を反論せずに野放しにしてしまうと、相手の主張ばかりが拡散されて自分たちの側の主張の影響力や説得力を相対的に弱まってしまうからだ。 また、「いまは議論をするべきではない」という主張自体が、「いまこそ議論を

    「安楽死」をめぐる議論のおかしな構造 - 道徳的動物日記
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    obsv 2020/09/12
    Cの立場を正しいとするならば自殺も違法化、犯罪化しなければならなくなると思うが、そのあたりの整合性を考えるとやはりCの主張には理解できる部分がありつつも無理筋に思える。
  • 若者はなぜネオリベ化するのか? - 道徳的動物日記

    社会はなぜ左と右にわかれるのか――対立を超えるための道徳心理学 作者: ジョナサン・ハイト,高橋洋 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店 発売日: 2014/04/24 メディア: 単行 この商品を含むブログ (27件) を見る 突然だが、現代の若者はネオリベ化している。 この主張に特に根拠はなく、統計的データなども示せないが、自分と同世代(30歳前後)からその下の年齢の若者たち(20代)と喋っていると「ネオリベ的な発想を持っているなあ」「自己責任論的な考え方をするものだなあ」と思わされてしまうことが多い。特にここ数年は、以前よりもその傾向が強く感じられる(ただし、これは、私が京都から東京に引っ越したことによる観測範囲の変化も影響しているかもしれない。地方から上京しており、自分で家賃などを稼いでサバイブしなければならない人が多い東京では、競争的で自己責任論的な考え方をする人の数は地方より増え

    若者はなぜネオリベ化するのか? - 道徳的動物日記
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    obsv 2020/09/11
    “綺麗事であったり優しいことを言ってはいるが大して成功しておらずぱっとしない人に憧れる人はそうそういない”
  • 「神の罰」を信じる宗教は人口が急激に増加した後に登場していることが明らかに

    「宗教」について考えた時、悪い人間には神の罰が下るといったイメージを浮かべる人も多いはず。しかし、実際に偉大な存在が人間の道徳心を監視するという要素はそれほど普遍的ではないそうで、オックスフォード大学や慶應義塾大学の研究者らが「神の罰を信じる宗教が現れるタイミング」について研究しています。 Complex societies precede moralizing gods throughout world history | Nature https://www.nature.com/articles/s41586-019-1043-4 Big gods came after the rise of civilisations, not before, finds study using huge historical database https://theconversation.co

    「神の罰」を信じる宗教は人口が急激に増加した後に登場していることが明らかに
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    obsv 2020/04/20
    “社会的な複雑さが低いうちは儀式的な要素が強い宗教のままですが、社会的な複雑さが急激に上昇した後のタイミングでのみ、「道徳的であることを求める神」が登場している”
  • 左翼の問題点―過剰社会化 - 齟齬

    左翼は奴隷道徳か? テッド・カジンスキーは、左翼の心理学的特徴として「劣等感」と「過剰社会化oversocialized」をあげました。 「劣等感」の項目については以前訳したのですが、今回「過剰社会化」について公開してみます。 左翼は過剰社会化されている ワシントン・ポストに公開されている「ユニボマーマニフェスト」より(原文:washingtonpost.com: Unabomber Special Report) 24.心理学者が「社会化」というとき、子どもたちが社会の要求するように考え、行動するようになるプロセスを指している。ある個人は、社会の道徳規範を信じ、服従して、社会の一員として適応したときに社会化されたと言われる。左翼が過剰社会化されていると言うことは支離滅裂に思われるだろう。左翼は反逆者rebelと受け入れられているからだ。しかし、この見方は擁護されうる。多くの左翼は見た目ほ

    左翼の問題点―過剰社会化 - 齟齬
  • 左翼は偽善者のマゾヒストか - 齟齬

    「みんなが嫌いな左翼」はどのようにして生まれるか? 私はいちおう極左の人間だが、いわゆる「左翼」には強い嫌悪感を抱いていた。ネット上を見ても、左翼が嫌いな人は多いように思われる。 例えば、私は大江健三郎や坂龍一が嫌いである。 年齢に見合わない精神的な幼稚さ 社会的弱者を代表する正義のボク、という自己顕示欲 質的な問題解決には関心がなく、盛り上がればよいというような態度 また、いわゆる「反安倍」な人々やメディアにも辟易とする。問題の核は安倍という個人にあるのではないことは明らかだ。安倍首相が辞任したところで、何もかもがよくなるわけではないし、より一層悪くなる可能性だってある。 端的に言って、左翼は口ばかり動かしているが、目は閉ざしている。 これらの傾向は「左翼」全般に共通している、というのがテッド・カジンスキーの論である。 テッド・カジンスキーは、「左翼主義leftism」に強烈な嫌悪感

    左翼は偽善者のマゾヒストか - 齟齬
  • なぜ忖度はなされるのか。 - Everything you've ever Dreamed

    森友文書書き換え問題で、忖度の有無が話題になっている。忖度なのか、具体的な指示があったのか、今後の調査で明らかになることを切に願うばかりだ。ただ、忖度についていえば、今、僕らが生きている社会は、忖度を奨励しすぎてきたのではないか。忖度とは「相手のことを想って配慮すること」。ちょっと子供の頃を振り返ってみるだけで、道徳のエピソードはそんな忖度を持ち上げるものばかりだった記憶があるし、社会人になってからも、いちいち上司の指示を受けずに行動して成果を出すのが吉とされていた。秀吉が信長のために草履を温めておいた有名なアノ話も忖度といえば忖度。これらにはペナルティもセットされており、たとえば、今あげた道徳のエピソードなら、相手の気持ちを考えない子は悪い子とされたり、上司の指示がないと動けない人は「指示待ちニンゲン」と揶揄されたり。秀吉の話は、内容そのものよりも話自体が江戸時代の作り話らしいのがすべて

    なぜ忖度はなされるのか。 - Everything you've ever Dreamed
    obsv
    obsv 2018/03/13
    日本では相手の意を察することを家庭から学校、会社に至るまで延々と推奨して来た一方でルールや領分を守る大切さはあまり聞いたことがない。労働制や少子化等も、この部分の改革から始めないと実を結ばないのでは?
  • 森友学園に問う、本当に必要な道徳教育とは?

    国有地の安過ぎる払い下げが発覚したことに端を発して、森友学園という学校にさまざまな疑惑が持ち上がっている。大阪府も設置認可を先送りする方針だ。建築費に関して3カ所に異なる報告を出し、建築費を不正に受け取った疑いや、理事長自身の経歴詐称まで報じられている。 さらに今回の不祥事に加えて、この学校が外国人に対するヘイトスピーチと思われても仕方のないような文書を保護者に配布していたことや、幼稚園児に「安倍首相がんばれ、安保法制国会通過よかったです」などと連呼させていたことなど、教育方針上の問題も指摘されている。 補助金をつける、よい学校の基準とは? 私自身、よい教育をする学校に対し、国が補助金をつけること自体は問題だとは考えていない。ただ、よい教育の基準は難しい。例えば、2021年春からの入試改革で中央教育審議会(中教審)は、学校の調査書や面接、自己推薦書などを加味した入試を行った大学は予算的に優

    森友学園に問う、本当に必要な道徳教育とは?
  • 教育勅語はどこがダメか - 読む・考える・書く

    というか、こんな簡単な問題すら理解できない者たちが政治家をやり、しかも政権中枢で政策決定に関与しているのだから、まったくお話にならない。 たとえば下村博文文科相はこんなことを言っている。[1] 「(教育勅語には)至極まっとうなことが書かれており、当時、英語などに翻訳されて他国が参考にした事例もある。ただしその後、軍国主義教育の推進の象徴のように使われたことが問題だ」 下村博文文科相は8日、教育勅語の原が確認されたことと絡めてこう述べ、内容そのものには問題がないとの認識を示した。 教育行政のトップからしてこの体たらくである。 この下村の認識は二重三重に間違っているのだが、どこがどうおかしいのか、具体的に見ていくことにしよう。 まず教育勅語の全文を見てみる。リンク先の画像が示すように、各学校に「下賜」され、行事のたびに「奉読」が義務付けられたこの勅語には句読点も何もなく、べったりとした文語体

    教育勅語はどこがダメか - 読む・考える・書く
  • 池上彰「昔の日本は街中ゴミだらけで、国民は不潔で臭くてマナーも悪かった。民度が高かったとか大嘘」 : 哲学ニュースnwk

    2015年08月18日08:00 池上彰「昔の日は街中ゴミだらけで、国民は不潔で臭くてマナーも悪かった。民度が高かったとか大嘘」 Tweet 1: 名無し募集中。。。@\(^o^)/ 2015/08/16(日) 09:08:42.54 0.net 池上彰: 「昔はよかった」とか「取り戻そう」というのも、その「昔」とは何なでしょうか。 日はいま街にゴミを捨てる人もいないけれど、一九六四年の東京オリンピックの前に 一大キャンペーンが行われるまでは当にゴミだらけで、青山通りから渋谷は、風が吹くとゴミが舞っていた。 昔から日は清潔好きで、行列はちゃんとつくる優等民族だという発想がこわいですね。 民族の問題じゃない。発展段階や政治体制の問題なのに。 http://news.livedoor.com/article/detail/9474893/ 転載元:http://hayabusa3.2c

    池上彰「昔の日本は街中ゴミだらけで、国民は不潔で臭くてマナーも悪かった。民度が高かったとか大嘘」 : 哲学ニュースnwk
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    obsv 2015/08/19
    まさかとは思いますが、この『美しい日本』とは、あなたの想像上の存在にすぎないのではないでしょうか。
  • 法と道徳の区別がつかない人々 - 読む・考える・書く

    前回記事で、教育勅語が説教する「徳目」(ただし最後の1個は除く)について、「時代背景を考えればまあ常識的な内容で、当時の感覚では当たり前の道徳」だと書いた。 これは、当時の人々はそれらを「当たり前の道徳」と感じたであろう、ということであって、その内容が普遍的に通用するという意味ではない。また、人々が自発的に何らかの「徳目」を尊重することと、国家に命令されてそれを守らされることとは、やっていることは同じように見えても、意味はまったく違う。 それが分からない、法と道徳の区別がつかない人々がこの国には多すぎる。これは、この社会の未熟さの表われの一つであり、またこの国を蝕む宿痾の一つとも言えるだろう。以下、渡辺洋三『法とは何か』(岩波新書 1979年)から引用する。 わが国では、法と道徳との分離が徹底せず、しばしば、法的正義と道徳的正義とが同一の「正義」の言葉で呼ばれ、混同して使われてきた。このた

    法と道徳の区別がつかない人々 - 読む・考える・書く
    obsv
    obsv 2014/05/12
    法と道徳の分離は西欧型近代社会の根本概念だと思うが、残念なことに日本の歴史には生まれなかった概念だ。多くの日本人は受け入れたがらないと思う。21世紀でも世間様は御健在だ。
  • 暴力的な馬鹿は物語に肯定されながら育った

    世の中には様々な物語が有る。出版されたフィクションや、ニュースが作る世論、酒の席での武勇伝。種類は様々だ。 その中でも「俺は昔ヤンチャだった」という物語は人気がある。 最近はその人気も下火なのかもしれないが、少なくとも昔は大いに人気があったと思う。 昔はヤンチャだったという物語の中では「暴力的な馬鹿」は主人公や愉快な仲間の一人として肯定される。 男らしく、あるいは女の意地を守るために、彼ら彼女らは欲望や勢いのままに生きる。 そしてそれらは「人間味に溢れている」などと持て囃される。 仇役は「大人しい賢人」や「普通っぽい人間」だ。 物語の中で彼らは人間味がない、裏で何してるか分からない、人の目を気にしていると好き放題の言葉でけなされまくる。 子供向けの物語の中でも主人公が「暴力的な馬鹿」で有ることは少なくない。 伸び伸びとした健康的な子どもとして描かれ、ルールを守るガリ勉野郎を次々蹴散らすヒー

    暴力的な馬鹿は物語に肯定されながら育った
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