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ブックマーク / pixy10.org (2)

  • テクノロジーに関する未来予測が当たらないのはなぜ?/ミチオ・カク「穴居人の原理」

    テクノロジーに関する未来予測が当たらないのはなぜか? 物理学者ミチオ・カクは「2100年の科学ライフ」(2011)のなかで、 その原因を「穴居人の原理」と呼び、原始的な欲求に答えを求めた。 「現代のテクノロジーと原始的な祖先の欲求との軋轢があるところでは必ず、原子の欲求が勝利を収めている。」 具体例としては、 オフィスのペーパーレス化が進まないのは、獲物の証拠を手にしたい欲求の縛り オンラインではなく直接会いたがるのは、言語が生まれる以前のコミュニケーションの縛り 「太古の祖先はつねに自分で物を見たがり、伝聞に頼らなかったという事情がある。森のなかで生き延びるには、噂でなく物証に頼る必要があった。」 そう考えていくと、COVID-19の襲来でZoom等が普及したのは画期的なのかも。 平時に戻った時にどうなるのか、気になるところではあるが、 小さな箱にギュウギュウ詰めにされてオフィスまで運ば

    テクノロジーに関する未来予測が当たらないのはなぜ?/ミチオ・カク「穴居人の原理」
  • 貧困救済に対する冷たさは日本の歴史的特徴/木下光生「貧困と自己責任の近世日本史」

    歴史は時に残酷な事実を突きつけることがある。 木下光生「貧困と自己責任の近世日史」がその代表例と言え、 「21世紀の日は、なぜ、かほどまでに生活困窮者の公的救済に冷たい社会となり、異常なまでに「自己責任」を追求する社会となってしまったのか。」P9 という問題意識から、 主に江戸時代の村社会の史料を読み解くことで、歴史的な考察を試みるのだが…。 浮かび上がったのは、過去の日は助け合いの社会というイメージを覆すものだった。 「各家の自己責任が前提とされていた以上、村の公的救済も臨時的なもので良しとされ、ゆえにそれが「ダダで救う」ような施行という形式をとった場合、受給者は村に迷惑をかけた者としてあつかわれ、屈辱的な日常生活を強いるような厳しい制裁がくだされていったのである。近世日社会は、自己責任観を強烈に内面化していたがために、公権力も含めて社会全体として、生活困窮者の公的救済は臨時的、

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