ふじまき・たけし/1950年、東京都生まれ。モルガン銀行東京支店長などを務めた。主な著書に「吹けば飛ぶよな日本経済」(朝日新聞出版)、「日銀破綻」(幻冬舎)など /講演する藤巻健史さん(撮影/多田敏男) みんなのお金フォーラム2019は多くの個人投資らでにぎわった(撮影・多田敏男) 「日本の経済は世界でもダントツのビリ成長。やはり成長する国の資産を買っていかなければなりません」 【画像】個人投資らでにぎわった会場 9月7日に都内であった個人投資家向けのイベント「みんなのお金フォーラム2019」で、“伝説のディーラー”と呼ばれた藤巻健史さんはこう訴えた。 数百人の聴衆を前に講演した藤巻さんは、日本という国は安全だし自然も豊かで大好きだとしつつ、海外への投資が「リスクヘッジ」になると強調した。 「個別にどの株が上がるのかではなく、日本の経済がどうなるかを考えて投資しないといけない。全体的に強い
世界経済をどん底に突き落とし、国内でも「派遣切り」などの深刻な打撃を与えた2008年9月の「リーマンショック」。未曽有の危機の渦中で対応にあたった日銀が、当時の金融政策決定会合の議事録を公表した。「後手に回った」とも言われた当時の政策。議事録からは、苦渋の判断を迫られた様子がにじむ。(肩書きは当時) (経済部記者 峯田知幸/梶原佐里) 『尋常ならざる高い不確実性がある』《野田委員》 『まさに緊急事態』《中村委員》 『相当踏み込んだ政策対応を打ち出さざるを得なくなっている』《水野委員》 公表されたのは、2008年下半期に開かれた金融政策決定会合、11回分の議事録。1199ページに上る膨大な資料だ。 時計の針を、2008年10月6日、7日に合わせてみる。 9月15日にリーマン・ブラザーズが破綻してから、3週間がたった頃だ。すでに世界の金融市場は大混乱に陥り、日銀は、各国の中央銀行と協調して、市
年末の日経新聞で「平成の30年」が特集された。さまざまなエピソードを交えて平成を回顧したものだが、その中に「日本銀行」が見当たらなかったので、ここで補足的に取り上げたい。日銀はひたすらバブル崩壊に追いまくられた印象が強いだろうが、実際には栄光をつかみかけた瞬間もあった。残念ながら栄光は失われ、不運続きの末に金融政策運営はインパールと化したのだが…。 金融危機が起きる直前、日銀はわが世の春を謳歌する方向 平成元年はバブルのピークだった。そこから崩壊過程となったが、当初の数年間は景気過熱の調整期間と受け止められた。不良債権問題は水面下で深刻化していたが、大規模な金融危機に発展したのは1997年11月だった。その直前までは、意外に思うかもしれないが、景気は消費増税の影響を乗り越えて回復し、銀行界では利上げを見込む向きが多かったのだ。 当時の日銀内では、もちろん不良債権問題を憂慮する向きはいたが、
国の財政制度等審議会は来年度予算案に向けた提言を取りまとめました。財政が悪化の一途をたどった平成の30年間を「負担の先送りなどを求めるゆがんだ圧力にあらがいきれなかった時代」だと総括し、社会保障の改革を着実に進めるよう求めました。 この中では平成の30年間の財政や税制を振り返り、「受益の拡大と、負担の軽減・先送りを求めるゆがんだ圧力にあらがいきれなかった時代と評価せざるをえない」として財政の悪化に歯止めをかけられなかった政府などの財政運営を厳しく総括しました。 そのうえで、平成最後となる来年度の予算編成で焦点となっている、消費増税に伴う景気対策について、将来の財政の膨張につながらないようなものにすべきだと指摘しています。 また、社会保障の分野では、75歳以上の高齢者が医療機関の窓口で支払う自己負担の引き上げや、介護サービスの自己負担割合の原則2割への段階的な引き上げなど、改革を着実に進める
元京都大学教授、現大東文化大学経済研究所兼任研究員、同大学経済学部非常勤講師。著書に『現代日本の労働経済』(岩波書店)、『日本型雇用の真実』(ちくま新書)など。近刊の『平成史講義』(吉見俊哉編、ちくま新書)では第4講「会社の行方」を執筆。 DOL特別レポート 内外の政治や経済、産業、社会問題に及ぶ幅広いテーマを斬新な視点で分析する、取材レポートおよび識者・専門家による特別寄稿。 バックナンバー一覧 「経済成長」が、安倍政権では何にもまして強調されてきた。 実際、安倍長期政権を生み出したのは、成長志向の政策が経済界の利害と合致し、失業率や求人倍率など、雇用指標が“改善”したことが、就職環境に敏感にならざるを得ない若者の支持につながったからだと言われる。 だがこの間、実質賃金や労働分配率は下がり続けてきた。それでも「アベノミクス」が支持されるのは、成長に代わる新しい価値観を生み出すことができな
2018年7月20日、北アイルランドを訪問したメイ英首相。EU離脱後の経済協力構想に対する支持を、有権者に訴えた 明治維新から150年。福沢諭吉の「脱亜入欧」は明治の基本思想だったが、日本がめざした英国はいま逆に「脱欧入亜」に傾斜している。欧州連合(EU)からの離脱(BREXIT)交渉は難航を極めており、このままでは合意なき「無秩序離脱」を余儀なくされる。そのなかで英国は日本が先導する環太平洋経済連携協定(TPP)への参加を模索し、アジア太平洋に活路を開こうしている。150年後の日英逆転は、かつての「大英帝国」の漂流ぶりを浮き彫りにしている。 150年後の日英逆転 明治維新を受けて派遣された米欧使節団(岩倉具視使節団)は、米欧先進国と日本との落差を身をもって感じたはずだ。「脱亜入欧」が明治の基本思想になったのは当然だった。とりわけ産業革命さなかの英国で使節団は、ロンドン・シティーや各地の製
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2018年は、実質的に平成最後の年になる。およそ30年間続いた「平成」とはどんな時代だったのか、ここで振り返ってみたい。 1989年に昭和天皇が崩御され、平成の時代が幕を開けた。奇しくもこの89年という年は、世界的にも実に様々な出来事が起こり、大転換期にあったと言える。 同年6月4日に、中国では天安門事件が起こり、11月9日にはドイツでベルリンの壁が崩壊した。ベルリンの壁崩壊を受けて、12月2日には米国のブッシュ大統領 とソ連のゴルバチョフ書記長によるマルタ会談が行われ、米ソ冷戦の終結を宣言した。 日本では不動産バブルがピークに達し、89年12月の日経平均株価は3万8957円を記録した。 この年、僕には非常に悔しい思いをした出来事があった。当時、僕は「今の景気は泡のようなものだ。近い将来、完全に落ち込むだろう」と考えていた。日本の地価はうなぎ登りに上昇し、「日本を売れば、米国が買える」とま
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