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津波に関するu_eichiのブックマーク (3)

  • 特集ワイド:頻発する大地震 「東海・東南海・南海」3連動 足音高まる「首都直下」 - 毎日jp(毎日新聞)

    ◇「地球全体が警戒期」 マグニチュード(M)9.0と世界観測史上4番目の超巨大地震となった東日大震災。だが、ひとたび起きればこの国を根から揺さぶる大地震は、まだある。「東海」「東南海」「南海」3大地震や首都直下地震などだ。その危険度はどこまで高まっているのか。【宮田哲】 <生徒が集合し、急いで学校前にある山へかけのぼりました。山から町を見ておりますと、どろ波がおしよせて町へ舟が流れてくるやら家がなんげんともなくたおされました> 東日大震災を思わせる描写だが、実は1944(昭和19)年12月7日にあった「東南海地震」の光景を、三重県吉津村(現南伊勢町)のある国民学校児童が書いた作文の一節だ(00年刊「忘れない!あの日の大津波」より)。紀伊半島東部沖から遠州灘にかけてを震源域とするM7・9のこの地震では高さ6~9メートルの津波が起き、死者・行方不明1223人、全壊家屋数は1万7000を超

    u_eichi
    u_eichi 2011/05/09
    できる限りの備えをと思っているが、3.11から2ヶ月たった今、すでに最大限の防災モードは息が続かなくなっている。インフラでの対策はもちろんだけど、個人としてどこまでどう備えておくべきなのか。
  • 東日本大震災:「顔が水より冷たく…」 被災児童が日記 - 毎日jp(毎日新聞)

    全国から寄せられた激励メッセージへの返事を書く箱石佑太君(左手前)=岩手県山田町の町立大沢小で2011年4月4日、篠口純子撮影 「お父さんが軽トラでもどっていった姿を見ました。津波にのみ込まれませんように。そう祈っていました」。巨大地震と大津波が東日を襲ったあの日、子供たちは何を見、その後をどう生きたのか。岩手県山田町の町立大沢小学校を3月に卒業した箱石佑太君(12)が毎日小学生新聞に寄せた体験日記には震災と向き合う姿が率直につづられていた。 ◇3月11日 卒業式の歌の練習をしていました。とてもゆれの大きい地震が来ました。最初は単なる地震だと思っていました。大津波警報が出ても、どうせこないと思っていました。来たとしても10センチメートル程度の津波だと思っていました。全然違いました。ぼくが見たのは、国道45号線を水とがれきが流れているところです。お母さんとお父さんが津波が来る前に大沢小に来

    u_eichi
    u_eichi 2011/04/25
    どうか、よく生きて欲しい。
  • 震源域東側でM8級、早ければ1か月内…専門家 : 科学 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    東日大震災の震源域の東側で、マグニチュード(M)8級の巨大地震が発生する可能性が高いとして、複数の研究機関が分析を進めている。 日海溝の東側で海のプレート(岩板)が引っ張られる力が強くなっているためで、早ければ1か月以内に津波を伴う地震が再来する危険がある。 M9・0の東日大震災は、押し合っていた海のプレートと陸のプレートの境界面が破壊されて起きた。そのため周辺の地殻にかかる力が変化し、東日全体で地震が誘発されている。 京都大防災研究所の遠田晋次准教授(地震地質学)は全地球測位システム(GPS)の測定データから、海のプレート内部で引っ張られる力が強くなっていることを突き止めた。明治三陸地震(1896年)の37年後、昭和三陸地震を起こしたメカニズムと共通しているという。「今、昭和三陸規模の地震が起きると、仙台市で10メートルの津波が押し寄せる計算になる」と言う。

    u_eichi
    u_eichi 2011/04/14
    被災地は死者を極力出さないための備えはできそうだけど…原発のほうはどう備えられるんだろうか。
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