胸を切り裂かれたチアガールレスラーが号泣ファイト!泣きながらうずくまり「もう試合が続けられないかもしれない」
木村忠正によると、在日コリアンなどを「ゴキブリ死ね」などと侮蔑するネット投稿の「主旋律」は、「弱者利権」批判だという〈1〉。ここでの「弱者」には、「生活保護」「沖縄」「LGBT」「障害者」「ベビーカー」なども含まれる…
「上から目線で来る京都」や「いかつい大阪」といった独断と偏見で、近畿地方7府県を擬人化した漫画がTwitterで話題です。 自分は別格の存在だとさらりと言ってのける京都に、対抗心を燃やす大阪と、それを紳士的になだめる兵庫。滋賀は「琵琶湖の水を使ってるくせに」といった県民あるあるや、延暦寺が京都のもの扱いされている件を持ち出して、京都に食ってかかります。 京都の態度にイラッとする大阪や滋賀、そしてこっそりいじられる千葉 和歌山に話を振ると、マイペースに「みかんうまい」と言うだけで、争いには関心がない様子。一方奈良は仏像のような笑顔をたたえていますが、リニア新幹線のルート論争を思い出し京都にブチ切れています。 アドベンチャーワールド感あふれる和歌山と、静かに怒る奈良 こうしたやり取りを見ても京都はひょうひょうと構え、「自慢の琵琶湖ほどの器はない」と滋賀をチクリ。滋賀は泣き出してしまい、見るに見
熱を込めて用意してしまったコメント原稿熊本市で被災の現場・被災者支援の現場を訪ね歩いていたとき、毎日新聞の記者さんから 「NHKの番組で紹介された『貧困女子高生』が、実は貧困ではない、というバッシングの対象になっている」 という件で、コメント依頼を受けました。私のコメントは、 毎日新聞;NHK「貧困女子高生」に批判・中傷 人権侵害の懸念も に掲載されています。 取材と取材の合間を縫ってのやりとりを、端的にまとめてくださった記者さんに、感謝申し上げます。 コトがコト、巻き込まれたのが高校生女子であるゆえに、私は移動の合間に、熱の入ったコメント原稿を用意してしまいました。それは、新聞記事のコメントに収まるようなサイズではありませんでした。 本記事では、そのコメント原稿の再編集という形で、この「ホントに貧困女子高生?」問題についての私見を述べます。 「炎上」するネット社会のありようについて積極的
(撮影/写真部・慎芝賢) 普及したことにより、生活を大きく変化させた、IT技術。ITを上手に使い、人生を変えた人もいる。 昨年10月、ある区議が社民党党首選に出馬した。東京都豊島区議の石川大我さん(39)。区議が立候補したことに加え、石川さんが自身を「ゲイ」だと公言したことでも話題になった。 「ITはマイノリティーの武器なのです」 小学5年生のとき学年がひとつ上の男子を好きになった。後から思うとそれが、初恋。以来、好きになるのは男性ばかり。なぜ自分は同性が好きなのか――。誰にも本音を打ち明けられず孤立していたという。25歳のときに家に来たパソコン。ネットに繋ぎ、同性愛者が作るサイトにたどり着いた。翌月に、自分以外のゲイに初めて会えた。ひとりではないことを実感した。 自身でホームページを作ったときは、出身中学の後輩、それも2人から、「自分もゲイです」とのメールが来た。 「同じ中学の後輩など、
「チョンは差別されて当然。殺されて当然。だって人間じゃないんだもの^_^」「チョンの本性を知ってる日本人は、シナチョンにはらわたが煮えくりかえってる事に、気づいた方がいい。図に乗るのも大概にしろ」「チョンは母国へ荷物まとめて帰れ!」「朝鮮人を一人ずつ追い込んでやる」「寄生虫」「朝鮮人には産まれながらにして人権なんかないって笑」 ツイッターをやっていると、ときどき私のメンション欄は見ず知らずの方からのこのような書き込みで埋まる。殺人予告や嫌がらせも多発しているので、警察への相談は何度もしている。ネットだけではなく、リアルな街かどで「朝鮮人を殺しに来た」と叫ばれたこともある。在日コリアンで、民族名を名乗って生きるということはこういうことだ。 とある週末も、ある外国人の女性タレントの発言に関連し、私のメンション欄は罵詈雑言で埋まった。よっぽどだとブロックするが、たいていはその罵詈雑言のひとつひと
わたし的棚ぼた一万円選書 急に千葉さんに手渡された封筒、開けてみたら1万円札が1枚。何ごとかと思えば、同期の出張を代わったお礼をもらったらしい。 「葵はワンオペで育児してくれたから」と半分わけてくれました。 泡銭の1万円 これはもう、わたし的1万円選書をしろという思し召しなのでは……
僕は悲しい。とても悲しい。 インターネットで生じている事実が事実として伝えられない。 岡田有花なる人物の手により、全ての記憶が改変されてゆく。努力とか継続とかいう些細で美しい自己啓発と、インターネットという未来が生んだ魔法のブラックボックスにより、全ての事実は抹殺されてゆく。歴史は書き換えられ、僕達1人1人が真実の心を持って懸命に生きてきたインターネットが汚されてゆく。いや、浄化されて行く。美しいものへと。素晴らしいものへと。小さく儚い、それでいて強い美談へと改変されてゆく。 僕はそういった行為を許すことが出来ない。そういった言葉を許すことが出来ない。インターネットは血で有り、肉であり、尚かつ魂である。インターネットは人間の全てである。痛みを悲しみを欲望を絶望を感動を興奮を全ての感情と汗と涙を飲み込んで降り積もった真っ白で真っ黒な九龍城である。混沌である。魔窟である。昨日もそうだったし、今
「神待ちサイト」にアメーバピグ......セーフティー教室は無意味!? 女子中学生も憤慨のIT教育 サイゾー 10月28日(金)22時25分配信 子どものネット利用が当然になった今、学校側は情報教育に力を入れているが、号令ばかりで追い付いていないのが現状だ。子どもたちを取り巻くIT事情は今どうなっているのか? そして、今後あるべきIT教育とはどんなものだろうか。 幼少の頃からPCやインターネットが普及している環境で育った世代を「デジタルネイティブ」と呼ぶ。この語の定義には諸説あるが、 Windows95発売年の1995年が日本のネット元年であることから、その頃物心がついた92年以降生まれの子どもたちはもれなくここに包摂されるだろう。彼らにとってネットがどれほど身近な存在なのかは総務省の発表に詳しい。「平成23年版情報通信白書」によれば、10年末時点でのインターネットの利用状況は、6〜12
昨日、ウチからテレビが無くなりました。もちろんブラウン管式の受像機は今も部屋に鎮座ましましており、消えたのはアナログ放送のコンテンツです。深夜のバラエティー番組が好きな私がいつまでテレビ無し生活に耐えられるか試しつつ、何故私はネットに満足せずテレビを欲するのか、砂嵐の画面を見ながら考えてみました。 ◆ テレビがネットより優れているトコロ。それは「テレビは私の怠惰を許してくれる」事でしょう。 ネットには無限のコンテンツがあり、意思をもって何か調べたい時にはテレビには不可能な事を可能にしてくれてとても便利です。が、ただ退屈をしのぎたい時にも、何を見るか自分で考えて、検索して、選ばなければなりません。これが面倒です。苦痛です。 テレビは私に何も要求しません。ただスイッチを入れれば、勝手に一方的にコンテンツを垂れ流してきます。この怠惰、この愚鈍への寛容、この安逸がテレビの素晴らしさです。またコンテ
イギリス南部に住む42歳の女性が自殺した。彼女は自殺前、ソーシャルネットワーキングサービス『』でそのことをほのめかしたのだが、それに対する1000人以上もの『友達』からの反応は、冷たいものばかりであったという。 発端は、この女性が上の自分のページに、『私はもう、睡眠薬を全部飲み干したの。もうすぐ死ぬよ。バイバイ、みんな』と、自殺をほのめかすコメントを書いたことだった。 彼女のには1048人もの『友達』が登録されていたのだが、この書き込みに対し、誰一人として彼女を心配したり、自殺を思いとどまらせようとコメントする者はいなかった。 それどころか、彼女のことを嘘つき呼ばわりしたり、意地の悪いコメントを返す『友達』ばかりであったという。 書き込みから17時間後、女性の書き込みを見た誰かにそのことを伝えられた女性の母親が、警察に通報した。 だが警察が女性の家を訪ねた時には、女性は既に自殺していた。
Togetter - 「高校世界史レベルの知識を即成でインストールする方法」 http://togetter.com/li/69858 ここに書かれた学習法が絶賛を受けているが、ちょっと待てよと言いたい。 まず、総論。「高校レベルの世界史に通暁するとはどういうことか?」という問いに応えましょう。教材研究した結果から言えば、これは三段階の学習を行ったかどうか、になります。レベル1:〈通史〉。レベル2:〈テーマ史〉。レベル3:〈論述〉。この段階で世界史を頭にインストールすればよい。 とあるが、このレベル1からしてすごいものだ。 【課題その1】「『山川世界史B』を通読する。回数は最低二周。」これができれば、Lv1〈通史〉は難なくクリアできます。 教科書を最低二周通読するって、どれだけの人間ができるのか。 「善くできた新書のように」読めというが、実際の山川教科書はこのような感じだ。 ナイル下流域の
中国・北京(Beijing)で、PCで作業をする女性(2010年2月4日撮影、資料写真)。(c)AFP/Frederic J. BROWN 【9月22日 AFP】米国立衛生研究所(National Institutes of Health)は21日、「ネットいじめ」の被害にあった生徒は、従来型のいじめを受けた生徒よりもうつに陥る可能性が高いとした研究結果を発表した。 近年、子どもたちの間では言葉で相手をなじったり、暴力を加えるなど、いじめる側といじめられる側が実際に対峙(たいじ)する従来型のいじめに加えて、Eメールやインターネットのチャットルームなど、互いに顔の見えない状態での「ネットいじめ」が増えている。 これについて米国立衛生研究所の研究チームが、米国内の小学校6年から高校1年までの生徒を対象に統計をとったところ、「ネットいじめ」の被害にあった生徒の間で高いうつ傾向が見られたという。そ
先日、Twitterにこのようなことを書いた。 特にネットでは、ぼくは意見の正否「だけ」で相手を判断するつもりはもはや全くない。下品な人間の相手をすることはいやだし、ひとの悪口を安全なところから吐く人間にかかわるのもいやだ。しらないひとと不毛な議論をする意欲もない。それで当然だと思っている。そうすべきでない理由はあるだろうか? 「意見と人格は切り離して考えるべき」「嫌なやつのいうことでも正論は正論」という考え方があることはわかるけれど、逆にいうと「いくら正論をいっていても嫌なやつは嫌なやつ」であるわけで、そういう人間は遠ざけたい。遠ざけることが逃げだとは思わないし、閉塞だとも感じない。精神衛生上の問題。 まあ、「意見だけはとりあえず受け入れて、その人物は遠ざける」というのがいちばん適切な対応かな……。「批判は受け容れるべき」という言葉には条件付きで賛成できるけれど、「批判は無条件で受け容れ
押し寄せてはくりかえす無断〇〇禁止 - ペンギンは飛行機雲を見上げて。セカイイチ怖いセカイカメラ - こころ世代のテンノーゲーム ぼくはどちらかというと極端に振ればセカイカメラに代表されるような「一部のツールを持ってる人間だけ見ることができるレイヤーでやりとりされるような情報を扱うサービス」は賛成派でして だってだいたいいままでずっと 世の中ではぼくの知らないところでぼくの知ってるだれかに対するメタ情報やぼくの知らない暗黙の了解みたいなものが授業中に回される紙みたいなもので流通していて でもそれがぼくのところに回ってくることはなくいつまでもそのメタ情報にぼくは気づくこともなく毎日生きていてレギュレーション変更に気がつかないまま じゃあツールさえあればそれが見えるようになるなんてこんな親切なことはないでしょう、と思うんですが どうでしょうか どうでしょうね。 学校でも会社でも なぜかぼくは常
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