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$タグ考慮要に関するFTTHのブックマーク (8)

  • まゆたんブログ:思うこと。

    最近、雷句先生の訴訟問題で、編集者と漫画家の問題が浮上していますが 新條もフリーになったいきさつで思うところがあって 普段はこういう話をブログでは絶対にしないようにと思っているのですが 一言、書こうと思います。(一言じゃないですが・・・むしろ長いです。) やはり、編集者と漫画家は対等な立場でありたいと思っています。 気持ち的には、漫画家は編集者に対して「お仕事をもらっている」と思っていたいし、 編集者は漫画家に対して「漫画を描いてくれている」と思っていてもらいたい。 そんな気持ちでずっとお仕事をさせていただいていました。 どんなに忙しくても、「この雑誌に描いてほしい」と言われれば寝ないで描いていました。 「こういうものを描いてほしい」と言われれば、出来る範囲で描ける漫画を。 新條が漫画というお仕事でご飯をべていけるようになったのは 育ててくれた編集者のおかげだし、掲載してくれる雑誌のおか

  • A-WING::Frog is not Blog::どこから来るのか

    少し前までの「水伝」批判批判は、科学側も実験して否定しろとか、いい話の部分だけ見ろとかであったけれど、最近は、弱いものいじめだという話を見かけるようになりました。ニセ科学批判を弱いものいじめだと解釈する人の文章から感じるのは、なんとなく「知識がない、科学的思考ができない=負け」という価値観を持っているような印象なんですよね。来勝ち負けとは関係ないことでも、勝ち負けの枠で考えてしまう、みたいな。また、どうやら「勉強する=負けを認める」ということにもなっているようで、よって「負けないために勉強しない」という選択を取っているようにも見えるんですよね。ちょっと前にはやった「働いたら負けかな」みたいな。なんだろう、始めないことで、くじけたり失敗したりすることから逃れるというか、できない自分を見出したくないというか、そんな心理があるんでしょうか。ちょっと前にはやった「おれはやるぜ」「なにを?」「何か

  • Latest topics > 自分のする行為の価値 - outsider reflex

    Latest topics > 自分のする行為の価値 宣伝。日経LinuxにてLinuxの基礎?を紹介する漫画「シス管系女子」を連載させていただいています。 以下の特設サイトにて、単行まんがでわかるLinux シス管系女子の試し読みが可能! « おこがましい という思考停止 Main ぐちゃぐちゃ考えるのは余裕があるからだ、余裕があるのは気じゃないからだ » 自分のする行為の価値 - Dec 19, 2006 white_cake氏のエントリのコメント欄で出張チラシの裏してしまったのでこちらに移しておくというかちゃんと書き直しておこうと思った。 成功の保証がなければ努力する気になれない、などとほざくやつは下司だ。 必ず報われることがわかっているのならば、それは努力などではなく、ただの手続きに過ぎない。報われぬかもしれない、という恐怖に耐え、それでも歯をい縛って前に進もうとするからこそ

  • 北朝鮮制裁 国連安保理決議は可決したが - Munchener Brucke

    国連安全保障理事会で対北朝鮮北朝鮮制裁決議案が可決された。とりあえず中国ロシア韓国も含めて北朝鮮の暴挙を看過できないという状況となり、当然の結果と言えよう。 ただ北朝鮮問題に対する出口戦略がないということも改めて露呈した結果となった。「北朝鮮を追い詰めた」とは決して言えないと思う。 一般に独裁国家の軍事的脅威を解決する方法は 独裁者を懐柔する。 独裁国家内での革命やクーデターを誘発し、独裁政権を崩壊させる。 独裁政権を武力で制圧する。 の3種類がある。経済制裁というのは1や2のケースを期待して行われるもので、武力制圧は最終手段として滅多に使うものではないといというのは常識なのだが、どうも北朝鮮に関しては1や2のケースはありえないということは大方の味方であろう。 しかし武力制圧というのは非常にコストがかかる。攻撃するための軍事コスト以上に、平定後の民政費、難民対策コストが非常に重くのしか

    北朝鮮制裁 国連安保理決議は可決したが - Munchener Brucke
    FTTH
    FTTH 2006/10/15
    北鮮向けのタグがなんか居るな……。
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  • 大文字として使われるカテゴライズの前に存在するもの - 砂上のバラック

    記憶のメモ帖 - 世代で語れない世代 http://d.hatena.ne.jp/kir_royal/20061001/p1 を読んで、ブックマークコメントで多少の皮肉を込めて 単に外部からひとくくりにされると内部の側は違和感を持つという類の話に過ぎないが、一方で「上の世代は世代としての同質性を保ってられるから」などと平然と言う鈍感さはある意味で示唆的。 というコメントを残したところ、 記憶のメモ帖 - 反論してもいいですよね? http://d.hatena.ne.jp/kir_royal/20061004/p1 で反応があったので、それを読んだ上でざっくりと反応します。当はコメント欄に書こうと思ったけど、長くなりすぎたのでこちらで。 まず、ブックマークコメントに対する真摯な反応ありがとうございます。あのコメントに関して補足するならば、恐らくあなたから見て上の世代にあたるであろう、75

    大文字として使われるカテゴライズの前に存在するもの - 砂上のバラック
  • 404 Blog Not Found:"Crowds"は「みんな」じゃない

    2006年08月11日17:30 カテゴリ書評/画評/品評Value 2.0 "Crowds"は「みんな」じゃない - 書評 - 「みんなの意見」は案外正しい 両方読んでみてはっきりわかった。 The Wisdom of Crowds James Surowiecki 「みんなの意見」は案外正しい 小高 尚子 訳 「みんな」と"Crowds"は似て非なる概念であることに。 面白いことに、"The Wisdom of Crowds"の直訳、「群衆の叡智」というのはかなりいい線をついている。ポイントは、それが「群衆」、すなわち「群れている」だけの「衆」であることだ。 これは、実は「みんな」とはだいぶ違う概念だ。「みんな」と我々が言う場合、そこに「みんなの敵」は入らない。我々が指す「みんな」は単に「群れている」だけではなく、「ある程度共通の思考や指向を持つ」ということを暗示している。すなわち、「

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  • ギャラリークラフト - 最近の子供はBダッシュを知らない?

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