「ホント、誤読もいいところ。程度の低いバカですね。」 ※この呪文は精神安定剤として機能しますが、使用には細心の注意が必要です。 2chなりブログなりSNSなりに書き込んでいる人なら、自分が書いた文章を誤解された挙句に罵倒された経験をお持ちなんじゃないでしょうか。または、文章の主旨・文脈を全く無視して、本当にどうでも良い重箱の隅を突いて勝利宣言している人にうんざりしたこともあるんじゃないでしょうか。自分の文章がネット上で読まれる際、“どうにもならないおバカさん”や“電波”がレスポンスを返してくる確率が必ず存在していますから*1、確率論の帰結として、あなたの書いた文章が目に付けば目に付くほど、困った人の襲撃に遭遇することも増える筈です。 そして、いかに頓珍漢なレスポンスといえども、罵詈雑言を直に受け取り続けていてはあなたの神経がもちません。とりわけ、何事にも誠実でありたいと思い込む処世術を採用
200X年の、恋愛相談を思い出して。 「僕じゃ、彼女に迷惑をかけるから」 だったら迷惑にならない、有益な男になればいいじゃないか。 「僕じゃ、彼女を守ってあげられないから」 守りきれるような男になってしまえばいい。 「僕じゃ、彼女と釣り合わないから」 釣り合うように、男をあげればいい。 「僕はキモメンだから」 キモいという短所を軽減する方法論を研究したのかね?キモさを上回る長所を伸ばしたのかね? 「根性無いから、努力できません。そのうえ才能もルックスもないからダメなんです。」 そりゃダメだわ。 そんな風にガタガタ言い訳する暇があるなら、強くなっては如何でしょうか。モテるモテないなんて喚いてないで、自分を限界まで強化したほうがいいんではないでしょうか。駄目なものは駄目というのは同意しますけど、ホントに全部、隅から隅まであなたは駄目なんですか?確かに今日日の男女交際で高値取引されやすいスペック
このテキストは、文字数が多すぎて四部作のうち一つを後回しに - シロクマの屑籠に書ききれなかったオマケです。治療薬としての『惑星開発委員会』を色々考えていた際の副産物です。幾らか9/24の書き込みと重複があるかもしれません。ご了承ください。 今回の考察の副産物として、『惑星開発委員会』ならびに善良な市民さんと議論を交えてみたいと思った幾つかアイデアが浮かんだので、アップしてみる事にする。『惑星開発委員会』と論戦してみたいと思っている人達に問いかけて欲しいことだし、出来れば善良な市民さんに直接会ったおりに質問してみたい点でもある。ひょっとしたら、以下を真面目に考えることは、『惑星開発委員会』の議論を促進するか、主張の有効範囲を減殺するか、『惑星開発委員会』を手に取る人達に先入観を植え付けるかする可能性を秘めている、かもしれない。 ・動員をかけるかけない問題 善良な市民さんは、「動員をかけるか
こちらのテキストでは、治療薬としての『惑星開発委員会』が、標的オタクの中枢神経に適切にdeliveryされにくいであろう要因や、副作用について考察してみる。また、可能な範囲で、それらの弱点に対してどのような対策が可能なのかも提案してみる。 1.中学二年生のオタクが読むには難しすぎる 彼らの想定する“中学二年生”とは、どのような人達なのだろうか?豊富な注釈があるから大丈夫、というわけにはいくまい。あの内容で果たしてどれだけの中学二年生が読みこなすことが出来るのか?エリート中学生ならともかく、並みの中学二年生はもちろん、凡百の動物化した大人のオタク達にとって『惑星開発委員会』は読みやすい読み物だろうか?(後述する)優越感ゲームの材料として誤読消費される可能性云々以前として、『惑星開発委員会』の挑発は本当に“中二並みの脳みその大衆”に飲みこなせる難度設定なのか、私は疑問に感じている。どうなんでし
↑このテキストは、『惑星開発委員会』の善良な市民さんは、極めて強大である - シロクマの屑籠の続きです。 一つ前のテキストでは、『惑星開発委員会』、とりわけ主催者の善良な市民さんがいかに重武装の論者なのかについて記述してみた。以下そこの所を踏まえた上で、『惑星開発委員会』という“オタにつける薬”が医薬品としてどの程度有用なものなのか順を追って考察してみたいと思う*1。このテキストでは、『惑星開発委員会』の治療薬としての作用機序と、呼びかけの届かぬオタク達の姿について描写してみたいと思う。 なお、『惑星開発委員会』は、オタク/サブカル信者達の痛々しい優越感ゲームや防衛機制に依った迂回に対して手厳しいほどの挑発を行っているだけでなく、オタク文化/サブカル文化の評論・新しい歴史観の呈示・現状の考察といった分野において(1970年代後半生まれという出自・経験も含めた)重要な視点を提供している事は断
私の手元に、『惑星開発委員会』の同人誌が二冊ある。『http://www.geocities.jp/wakusei2nd/p01.html』『第二次惑星開発委員会 PLANETS Vol.2』。オタク作品評論が好きなオタク達にとって、この二冊の挑発はとても手強いんじゃないかと思う。副題として『大衆を挑発するお茶の間襲撃マガジン』と書いてあるが、内容を読んでみると『安いオタ/サブカル野郎を挑発するオタ部屋襲撃マガジン』と表現するのが適切そうにみえる。だが、少し読んでみれば分かる通り、『惑星開発委員会』のメンバーは強力で、彼らと正面から議論するのは非常に困難である。まず、このテキストでは、『惑星開発委員会』の中心人物と目される善良な市民さんがいかに手強いのかに焦点をあててみる。 【善良な市民さんの手強さをご紹介】 善良な市民さんの“挑発”にトサカに来ちゃったオタクはどうすればいいのか。議論に参
僕は好きな人にトラックバックするのが大好きだ。 そして何より、うまいことdisるのは最高だ。 だけど、僕が好きな人達は大抵ガードが堅い。 いや、そんなところもいんだろうけど。 でもね、チャンスがあったら絶対に見逃すもんか。 好きな人をdisって、ネチネチと絡んで、反応をみて楽しむんだ。 好きな人が何も反応しなくったっていいのさ。こっちの文章を読んだ事さえ確認できれば、「読んだけど反応が無かった」って所見が代わりに得られるんだから、それを僕のカルテに書き込むだけのことだ。僕はただ、disればいい。反応があろうが無かろうが、好きなアン畜生がちゃんと読んでくれてさえいれば、反応の有無に関わらず(ボクの大好きなひとの)所見を得ることが出来るし、その人の反応に反応する僕自身の心の動きも観測することが出来る。観測すれば、きっと僕とアン畜生との相違とか相似とか、色んなことがみえたりわかったりすると思う*
http://d.hatena.ne.jp/vr6ubqg/20060818/p6 悪いことはいいません。五日間ほど、はてなを、ネットを離れましょう。 vr6ubqgさんの言質は、客観的にみてはてなカラス共を喜ばせるに足るだけの必死さと前後文脈の不鮮明さとデリカシーの無さを確保していると思います。 気になった心配点としては、 ・凄い勢いで記事を書き、ブックマークにも言及している [関連:自分が「ああ、この人って余裕ないなあ」と思ってしまうネット上の振る舞い - ARTIFACT@ハテナ系] ・どうも、首尾一貫性を「家畜」「男性二次創作」に関する指摘に感じることが出来ない。もし、どうしても自分の意見が妥当と思えば、全はてなやkanoseさんと相容れないところがあってでも持論を展開すべきでは。kanoseさんは、意見の反対、によって個人を貶めるようなくだらない人物ではない筈。 ・自分の気持ちが
はてなデビューおめでとうございます。我が愚かな妹ことウニリン(仮称)ちゃん、これからのあなたには、過剰なまでの情報・快楽・怒り・嫉妬などに揉まれた、虚飾の前途が開けています。益々精進し、一層堕落していきましょう。兄は、その姿勢を応援するものであります。 ですが、このはてな界隈は魔物の巣でもあり、六道輪廻を具現化したような恐ろしくも危なっかしい側面も持ち合わせています。この文章は、我が妹個人向けに、はてなブックマークの導入と注意点について愚兄なりにアドバイスしてみたものです。 【はてなブックマークをやってみよう】 ・気に入った記事をブックマーク まず、あなたが気に入った記事をブックマークしてみましょう。邪悪で非モテマインドなあなたのことです、 サイコドクターぶらり旅 - ジェファーソン高校恋愛構造図やYouTubeや℃-uteイベントで公共の場にもかかわらず騒ぐロリコン基地外達は定めしお好き
「貴女が僕を愛している?」 「冗談じゃない」 「貴女は、僕の持っている色んな資源を欲しがっているだけじゃないか!」 「僕の、潜在的資本力を、僕の、潜在的健康性を、僕の、社会適応能力を、」 「それらは僕の服であって、僕の道具であって、僕の方便であって」 「いつもそうやって貴女は、僕を選り好む。目に映った好ましい所だけを貪る」 「…そんなのはもう沢山なんだ!」 そう言って高志は押し入れの扉を開けた。 どたどたどた。 寿司詰めになっていたエロゲー箱がたまらず転がり落ちて、部屋の中に散乱した。 「ひっ!」 足元に転がったエロゲ箱をみて悲鳴をあげる麻衣。 『幼女監禁』『メイド調教』『皇女陵辱』の文字に気が遠のく。 「貴女は、僕を愛している、と言ったね」 「確かにフェラーリも僕の一部かもしれないけれどさ、こういうのも僕の一部として 喜んでくれるんだよね?麻衣?」 高志は、呆然と立ちつくす麻衣のうなじに
そういうことか エントリー所有することへのトラックバックより 所有「物」に価値がなくなったのではなく「所有」に価値がなくなった 所有物は他人に移る。移ると同時に自分の「have」に対して認められていた価値も他人に移る。それは自分の価値ではなく所有物の価値である。「物」には厳然として価値はある。価値がなくなったのは「所有」である。 「have」に変わる価値は何か? もちろん「be」だと考える。「自分が『何』であるか」そのものが価値として問われる時代が、ようやく始まったのではないかと。(確かそんなことを書いた本もあったと思う。タイトル失念) 「be」の時代が始まったとする根拠は? 「have」ではなく「be」の時代が始まったのだと仮定すれば、最近始まった、既存の価値観では到底理解不可能な数々の出来事(オープンソース活動とか、情報の隠蔽でなく公開&共有とか、実際に会ったこともない人を信頼する力と
【注意!】 以下のテキストは面白くありません。また、文章力が無い癖に誤解を少なくすべく頑張っているせいもあって、大変読みにくい文章に仕上がっています。娯楽を求めて読んでも、何も良いことはありません!ネタも仕込んでありません!お勧めタグは[後で読む]ではなく[長いから読まない]です!なにせ、書いた私自身が読み返すのを躊躇うぐらいですからね! はてなグループ 「人間の全行動は利己的動機・意図」を含んでいるという前提で考える方法論 - シロクマの屑籠 私は、(自分は勿論のこと)全ての人間の行動は何らかの利己的動機・インセンティブによって選択される行動だという前提でいつも思考実験を進めている。しばしば議論となる「利他的行動」もまた、様々なレイヤーの少なくともどこかにおいて利己的メリットの期待値を向上させる(またはデメリットを被る期待値を低下させる)意図のもとに実行されると私は前提づける。それゆえ「
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