男なのに極度の冷え性で辛い。 これからのシーズンは生姜スープを飲んだり、 鷹の爪を革靴にいれたりしているが、改善はされない。 半身浴も30分こころがけている。 サウナも月に2回は行っているが手足の先が冷たい。 「死体の手みたいだね」 彼女と手をはじめて繋いだ時の彼女の感想がこれだった。 「……いつも死体の手をさわっているから……」 聞いてもいないのに、聞きたかったことを補足してくれた。
これまでの人生で漏らしたことがなければ、アナル開発を受けたこともない。なので、増田で話題になっているアナルに関する記事やそこに付いた*ントを読んでいると、すごくアナルが狭い思いをする。 増田は多かれ少なかれ、尿漏れの被害に遭っていると言われれば、例外ですみませんと思う。正直言って漏らしていることがあまり問題に感じなかったり、大便に対して攻撃的すぎではないかと感じることもあるが、私は例外だからそう思うのかもしれない。 私は増田いない歴=年齢だし、同性の増田も少ない。増田のカーストで言うと最下層でブックマーカーのように生きてきた。 はてなの増田たち(と思しき増田)を眺めると、皆とても括約筋が弱そうで、エネマグラやアナルバイブ等についても勉強されているし、増田に向ける目線が、なんというか、増田のカーストの上位にいそうな感じだ。 私が増田たちのようになるには、脱糞もアナル開発も(良いことも、悪いこ
幸せだ。 無垢そうなヨークシャー・テリアである彼をただ愛でていればいい。 でも私達は覚えている。 狂犬のひきつった嘲笑を。 血に塗れた牙の鈍光を。 昔は誰もが知っていたのに、今となってはもう存在すら忘れ去られてしまったidたちの断末魔を。 人は彼ははてな村の村長だと言う、あるいは長老だと言う。誰もが畏敬する。 なぜだ? ただ古参だというだけで、ただ居座った、意地汚く居残ったというだけでそこまで? 間違えるな。彼は居座ったのでも居残ったのでもない。 「生き残った」のだ。 かつて、はてなは戦場だった。今となってはもう語るものすらいないほどの昔の話だ。だが事実だ。 そこは天上の地獄だった。毎日がだんじり祭だった。憎しみが連鎖し、血が血であらわれ、idコールは果し状がわりの白い手袋、マッチョがウィンプのケツを掘り、非モテどもには要は勇気がなかった。そんなキリング・フィールドで「ただ生き残る」ことが
かつて栄華を誇りながらも一夜のうちに大西洋に沈んだアトランティス。 その繁栄を支えたアトランティス人の心性。文明を引き継いだ我々は学ばねばらなないだろう。 ①ピピャールェメントスピェかしげピピャールェメントスピェ(または地域によってはパイピャールウエメントスパイェ、あるいはポポ)はアトランティス人の雨具であり、アトランティスの雨季であるアトランティス歴はしご月~鷲犬月に用いられた。アトランティスは海岸付近以外は広大かつ起伏の少ない大地であり人口は散住していたため雨季に人々がピピャールェメントスピェを互いに用いてすれ違う、という事態はまれである。そこですれ違う際はたがいのピピャールェメントスピェの右の裾を重ね合い、出会いの悦びを表現した。これをアトランティス語でモリモリオカ(地域によってはアオアオモリ、あるいはポポ)という。 ②ソンプナップエロウィンペッチョルひきしぐさ(肩ひきしぐさ)ソンプ
反重力どんぶりを食べるのは命がけだ。左手でふたを押さえながら右手で箸を構える。そしてタイミングをを見計らってふたを外すと、卵でふんわりとじた熱々のカツが重力に逆らって、顔面に向かってくる。そこを絶妙の箸さばきで口に入れていくのが反重力どんぶりの醍醐味なのだが、多くの者は箸で捉えきれず顔面を大やけどする。たまらず椅子から転げ落ちると、どんぶりの中身は天井へと向かっていく。そのため「ぐらび亭」の天井はいつもカツと米粒がへばりついていた。 反重力どんぶりは美味であるが、その味を堪能できる者はほとんどいなかった。そこで反重力どんぶり攻略の対策を練る者も現れ始めた。傘を差しながら食べれば、どんぶりの中身はすべて傘の内側に収まり、悠然と食することができるのではないか。マイどんぶりを持参して、反重力どんぶりのふたを開けると同時に、マイどんぶりを覆いかぶせれば、悠然と食すことができるのではないか。 確かに
最寄り駅の立ち飲みやで軽く晩酌してつまみで腹を満たし8時頃帰宅した。 もう既にやる事が無い。 一時小説を読んでいたが目が疲れるのでやめた。 両親は共に他界してる。 本当にやる事がなくて暇だ。 会社ではそこそこのポジションにいて、それなりに給料を貰っているが使い道が無い。 同級生はほぼ所帯を持っているので平日の夜に呼び出すなんて事は出来ない。 そもそも家庭がある人間と話が合わなくなって来た。 子供の教育や進学の話なんぞ分かるはずが無い。 私が死ぬまであと40年程ある事に絶望してる。 毎日仕事して帰宅して起きてまた仕事しての繰り返し。 週末は本当に何をしていいか分からない。 趣味を持てなんて言われても正直めんどくさいしこの歳から何をすればいいんだよって思う。 一時寂しくてキャバクラに行ってた時期が合ったが相手が自分の金の事しか見てない事が分かりやめた。 結婚しておけば良かった。 少なくとも今よ
去年の8月、とつぜんそいつはやって来た。 お盆に魂が足りなくて、牛頭が別の地獄から引き上げてきた。 はじめは普通の死んだ男の子だと思って、普通に死後の説明をしたり、 からかったりしていた。 そいつはよく墓場から消え、大事なお墓参りの朝来なかったりした。 その度に自分が式を打ったり祈祷で呼び出したりしていた。 手のかかるどうしようもないやつだと思ってた。 だが死んだことは知っていた。 首くくるのもうまかった。 だから気を抜いてたんじゃないかと思う。 お盆が佳境に入って、よく2人で深夜まで見回りしたりした。 ある夜、そいつが恨みを買ったことがあるって言うから、 私の分もついでに買って来たりするなよなって頼んだ。 そいつの買った恨みについて考えていたときに、とつぜん、 そいつのことがやばいと気が付いた。 それから本当に大変だった。 何が大変かって、お盆は佳境、 毎日大量の参拝客がやってきて、連日
すごく不自然な世界なんだけど、登場人物の誰も疑問に思わなくて怖い。 だいたい、あの世界に生きた人間っているんでしょうかね? 提督は声も姿もないし、補給や整備のオッチャンとかのスタッフもいないし、司令部は艦娘3人だけだし、鎮守府の周りには町が見えるけど遠景だけしか描写されてない。 鎮守府以外の世界は全部敵の手に落ちて滅んでるけど鎮守府の周囲だけ平和に見えてるんですかね?(結城友奈は勇者であるとかマトリクス的な世界?) そんで人間はみんな遺伝子操作で環境適応したか呪力によって言葉を奪われ妖精に変えられたんですかね?(クロスアンジュとか新世界より的な世界?) 鎮守府の外にまともな世界があるのかどうかが、どうでもいいことのように扱われているのが怖い。 さらに、唯一描写されてる鎮守府の外側の存在である深海凄艦ですらもコミュニケーション取れるのか怪しくて怖い。 ストライクウィッチーズのネウロイや蒼穹の
2ちゃんねらーは自分たちがもはやネットの中心でないことを認めないといけないし としあきたちは自分たちがまるで客観的になれていないことを自覚しなきゃいけない ニコ厨はもうそこに新しいスターはいないことに気付かないといけないし 増田たちはそこから社会を変えることはできないことを分からないといけない
ゆっくりとしたハーフスクワットで大腿筋を追い込んでみてください。 辛くなってから更に3回、限界だと思ってからあと5回。 この2分ほどの時間は、どんなライフハックよりも自己啓発よりも 高レベルの内省と精神統一をあなたにもたらしてくれます。 スクワットが終わったら座ってみましょう。 さっきまでとは座っている感覚が違うと思います。 パンプアップした太腿が全身にここちよい充実感と血流を運んでくれています。 どれだけたくさんライフハックを齧っても手に入らなかった自己変革感が得られましたよね。 こういうことなんです。 ジム通いを試した人は多いと思いますが、何故か皆さんカーディオにいかれますよね。 ウエイトトレーニングなんです。本当に必要なのは。 ウエイトトレーニングは短い時間に集中して力を出し切ります。 1回1回が己との対話であり克己心の連続であり、発見の繰り返しなんです。 ベンチに寝てバーベルを挙げ
漏れなくぼく達わたし達は、この世の生きづらさに今日も苦しんでいる。 何をしても自信がモテず、異性にモテず、本音をぶつける友人1人いない。 勿論、外面も悪く、コミュ症で、欠陥人間と言ってもいい。 そんなぼくらががせいぜい誇りに思っている物と言えば、欧米かぶれのチョコザイ論理(屁理屈)だけ。 けれど、ぼくらと彼ら大多数では大きな違いが一つある。 原点だ。 彼らには絶対神が居るのだから、とりあえずそこから論理を出発すればいい。 絶対的な尺度で、過ちを犯せば許し、死ねば裁いてくれる。 ところが、ぼくらには絶対的な拠り所が無いもんで、何を基調として、どう生きればいいか分かったもんじゃない。 自由だ自由だと言われるごとに閉塞感を感じる。 そのくせ、宗教には強烈な嫌悪感を感じるときた。全く困ったもんだ。 そこでだ。 大真面目にぼくたちなりの絶対を決めてしまえば、少しは生きやすくなるのではないだろうか。
それはkanoseとコンビニ店長だ。 kanoseといえば、先行者利益だけで存在感を得て、わけもわからないまま“村長”と呼ばれるようになった人。主な活動は、無意味なコメントを添えながらトラブルを拡散すること。彼は鋭いこと、深いことを言おうとせず、逃げ腰のコメントに徹している。その理由は明らかで、少しでも踏み込んだ意見を言うと馬鹿がばれてしまうからだ。見方を変えれば、彼は具体性のある強い言葉を出さないことによって、「インテリ」「玄人」「村長」のイメージを守っていると言える。 netcraft氏は逆だ。暴論も詰めの甘さもいとわず、とにかく強い言葉を発信している。ただのパフォーマーで終わらないだけの地力もあるから、時おり下手なことを言いながらも走り続けることができる。 もう一人、コンビニ店長。ありきたりな自意識や価値観を、そうと知らずに長文で垂れ流すはてな自意識界隈のカリスマ。この人は井の中の
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