(梅原猛さんの語録) 「21世紀にはこの科学技術の信仰に対する厳しい批判が起こるに違いない。脳死を人の死とする今回の衆院の決定は、科学技術万能思想に対する人類の英知の闘いの外堀を埋めることになると思う」(1997年、朝日新聞への寄稿で) 「美なるもの、真なるものを求め続けるのが哲学者の精神」「デカルトからは通説を疑うことを学んだ。長い疑いの末に直観的に仮説が生まれる。ニーチェからは心の奥深い闇を見つめることを学んだ」(2013年、京都市での講演で) 「生きとし生けるものと共生…
「デカルトの『方法序説』によって私は学問の方法を学んだ。学問にはまず『疑い』がある。その疑いは、それまでの通説に対する深い疑いである。そのような長い疑いの末、直観的に一つの仮説を思いつく」 12日に93歳で亡くなった梅原猛さんは米寿(88歳)の時の講演で、こう述べた。自らを哲学者と呼び、「すべてを疑い、権威に対して戦うことが哲学者の任務」と公言した。 奈良・法隆寺は聖徳太子一族の怨霊を鎮める寺だと説いた「隠された十字架」(1972年)、柿本人麻呂は刑死したと主張した「水底(みなそこ)の歌―柿本人麿論」(73年)などは、まさに従来の常識や通説を疑い、覆すもので、代表的な著作となった。だが、たとえば怨霊という実証不可能なものに基づいて論じていく方法は、専門家からの批判、反論を盛んに浴びた。 縄文論では、縄文文化が「日本固有のものでアイヌ文化と共通する」とした。日本文化を稲作とその上に成立した権
独自の理論で日本古代史に大胆な仮説を展開した哲学者で、国際日本文化研究センター(日文研、京都市西京区)の初代所長を務めた文化勲章受章者の梅原猛(うめはら・たけし)さんが12日、死去した。93歳だった。 1925年、仙台市生まれ。京都大学哲学科卒業後、立命館大学教授や京都市立芸術大学長などを歴任した。 60年代から日本文化研究に傾倒し、72年に奈良・法隆寺は聖徳太子の怨霊を鎮めるために建てられたとする「隠された十字架―法隆寺論」を出すと、73年には万葉歌人の柿本人麻呂は流刑死したとする「水底(みなそこ)の歌―柿本人麿論」を刊行。通説を覆す独創的な論は「梅原古代学」と呼ばれ、大きな反響を呼んだ。 80年代前半には、日本文化を総合的に研究する中心機関の必要性を訴え、当時の中曽根康弘首相に直談判するなど政府関係者を説得。日文研の創設にこぎ着け、87年に初代所長に就任した。 社会的発言も多く、日本人
『ヘーゲルを越えるヘーゲル』目次 序──ヘーゲルの何が重要なのか? マルクスとセットで語られたヘーゲル/新しい「ヘーゲル像」の出現/現代思想の文脈でこその参照 第一章 「歴史の終わり」と「人間」 「歴史の終わり」 「冷戦の終焉」と哲学的テーゼ/マルクス主義の敗北という「終わり」/ヘーゲルの歴史哲学のポイント コジェーヴの見たヘーゲル:「精神」とは何か 「歴史の終わり」をめぐる解釈/「精神」の発展の運動と自己反省の図式/理性の「普遍性」の問題と「進歩」の絡み/「歴史」には手を出さなかった哲学者たち/経験的社会科学の方法論との繋がり 「自由」を求める闘争 「共同体」と自己実現/「絶対精神」への見方/「自由」における自己実現の可能性/ホッブズとルソーの「自由」/「市民社会」に近代的意味を与える/「一般的理念」と「法」「人倫」「国家」/現実の闘争や消耗戦も肯定 「歴史」の終わりとナポレオン 啓蒙思
しかし、近代哲学(史)を総括する特別な存在としての「ヘーゲル」が参照されることが少なくなった一方で、専門分野や取り組んでいるテーマからするとヘーゲルとあまり縁がなさそうに見える思想家が自らの着想の源泉としてヘーゲルのテクストに言及し、独自のヘーゲル解釈を呈示するのをしばしば見かけるようになった。 「哲学」そのもののような巨大な「ヘーゲル」像が崩壊したことがある意味幸いし、文脈ごとに全く別人であるかのようなヘーゲルたちが出現してきたような様相を呈している。 現代の意外なヘーゲル派として特に際立っているのは、コミュニタリアニズム(共同体主義)の代表的論客の一人で多文化主義を擁護するカナダの哲学者チャールズ・テイラー(1931-)、ラカン派精神分析を資本主義批判や映画批評に応用することで知られるスラヴォイ・ジジェク(1949-)、分析哲学の中のネオ・プラグマティズムと呼ばれる潮流を代表するロバー
大学で歴史の教員をしていた際に開設した「史論家練習帳」を、この原稿をもって閉じることにしました。まずは長年更新できなかったことでご心配をおかけした(かもしれない)読者のみなさま、また本稿の掲載にあたって懇切なサポートをいただいたYahoo!ニュース個人のスタッフのみなさまに、ふかくお詫び申し上げます。 昨秋に、開設時の勤務先を離職しましたので、職業的な意味での「歴史学者」を廃業しているのは自明のことです。それにいたる経緯は、本日刊行となる『知性は死なない 平成の鬱をこえて』(文藝春秋)にまとめたので、ご関心のある方はそちらをご参照いただくとして、最後にこの場をお借りして、より本質的な意味での、私にとっての「歴史」の喪失について記したいと思います。 歴史を語らなくなった識者たち歴史学者という肩書で、雑誌に連載を持たせていただいたとき(2012年)、初回の一行目に「歴史というものは、人間の社会
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