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正義論に関するdeadwoodmanのブックマーク (5)

  • マイケル・サンデルの指摘 「能力主義社会の“勝者”たちが手際よく成果を残したとは言えない」 | 「テクノクラシー化」への警告

    理想的な能力主義が実現しても“ダークサイド”はある ──著書『実力も運のうち 能力主義は正義か?』では、私たちが暮らす民主的な社会に取り入れられてきた能力や功績(メリット)という概念が凝結し、それが社会的敬意を根っこから蝕んでいると論じています。 具体的には、能力主義によって「勝者は自分たちの成功をみずからの手柄と考え、敗者はエリートから見下されていると感じるようになった」と主張されています。能力主義社会ではどうすれば勝者になれるのでしょうか。逆に言えば、能力主義社会における敗者とはどういう状態、どういう人なのでしょうか。 重要なのは、有能という(望ましい)意味の「メリット」と、「メリトクラシー(能力主義)」を区別することです。能力主義とはルールからなるシステムであり、人が何に値するかに基づいて所得や資産、影響力を分配する手段です。 まずは、きわめて常識的で反論の余地がない有能さとしてのメ

    マイケル・サンデルの指摘 「能力主義社会の“勝者”たちが手際よく成果を残したとは言えない」 | 「テクノクラシー化」への警告
    deadwoodman
    deadwoodman 2022/01/10
    “伝統的に見ると、優れた統治力に必要なのはテクノクラート的な知識や科学的な知識だけではありません…論理的に考える力、市民と協議する力、市民を説得する力を必要とし、さらには共通善への配慮も欠かせません”
  • マイケル・サンデル「能力主義から離れ、仕事の尊厳について考えてほしい」 | 格差と分断を助長する「能力主義」

    能力主義にはダークサイドがある ベトナム戦争真っただ中の1971年、2400人のカリフォルニアの学生を前にロナルド・レーガンとの討論に挑んだ18歳のマイケル・サンデルは、早くも敗北から教訓を得た。現在ハーバード大学で政治哲学を教えるサンデルは、そのときの様子をこう振り返る。 「私は高校時代に培った最高のディベートスタイルでレーガンに容赦なく質問を浴びせましたが、まるで暖簾に腕押しでした。レーガンはどんな質問も軽くかわし、ユーモアたっぷりに自分の見解を披露しつつも、長髪の若造に敬意を払うことを忘れませんでした。 そのときの経験から学んだのは、政治的なディベートは議論の中身で勝つことが主眼ではないということです。ディベートの核心はレトリックであり、耳を傾けることであり、人間的なレベルで相手とつながることなのです」 以来、その教訓がサンデルのディベート手法を形成している。サンデルはそのキャリアの

    マイケル・サンデル「能力主義から離れ、仕事の尊厳について考えてほしい」 | 格差と分断を助長する「能力主義」
    deadwoodman
    deadwoodman 2021/10/24
    “ディベートは議論の中身で勝つことが主眼ではない…耳を傾けることであり、人間的なレベルで相手とつながること”“能力主義には共通善を損なう弊害…仕事の尊厳や、より広い社会貢献の意味について考えてほしい”
  • 道徳教育にブチ切れマン on Twitter: "DaiGoの例のグロテスクなヘイト発言について小中学校の道徳を専門とする先生方と話す機会があったのだが、その際に大変驚いたことがあったので報告したい。どうやら彼らの感覚としては、憲法で人権が保障されるということは道徳科においては重要すべきことではないっぽい。"

    DaiGoの例のグロテスクなヘイト発言について小中学校の道徳を専門とする先生方と話す機会があったのだが、その際に大変驚いたことがあったので報告したい。どうやら彼らの感覚としては、憲法で人権が保障されるということは道徳科においては重要すべきことではないっぽい。

    道徳教育にブチ切れマン on Twitter: "DaiGoの例のグロテスクなヘイト発言について小中学校の道徳を専門とする先生方と話す機会があったのだが、その際に大変驚いたことがあったので報告したい。どうやら彼らの感覚としては、憲法で人権が保障されるということは道徳科においては重要すべきことではないっぽい。"
    deadwoodman
    deadwoodman 2021/09/12
    道徳に対する人権の優先というのは要は「善に対する正義の優先」で、ロールズ的には人権を保障してもいかなる善の構想も強制されるべきでないという立場になる ただ共同体主義的には共同体が教える善の価値観も大事
  • Amazon.co.jp:カスタマーレビュー: ヒーローと正義 (寺子屋新書 2)

    著者は平成仮面ライダーシリーズの生みの親であるTVプロデューサー。 そんな著者が、日曜日朝八時の子供たちの正義のヒーローを通して世の中に対し問いかけていたことは現代における正義の在り方でした。 私が書を読んで興味深く思ったことは、「正義の在り方」とそれに伴なう「正義の化身たるライダー自身のレゾンデートルの揺らぎ」という著者の存在論的視点です。 製作者及び作品間の正義の描き方の視点の違い、とりわけ「絶対的かつ普遍的な正義」と「相対的にして多元的な正義」という製作者間の正義に対する考え方の違いは、それ自身極めて現在的な問題の問いかけであり考えさせられましたし、後者の立場に立ちあくまでも問いかけ続けるというスタンスをとる作者の姿勢に私は良心を感じました。 また、時に異邦人でしか有り得ないライダーの存在の不条理さに、ともすれば根無し草になりうる現代人のエレジーを見た気がしました。 某アイビーリー

    deadwoodman
    deadwoodman 2020/05/19
    “秩序は確かに大切だ。でも、人間社会に混沌がなくなり、すべて秩序だてようとする社会は、 つまりは、ナチスドイツの相互監視社会、排他的社会であるし、実はそこには、ヒーローが存在する隙間がなくなっていく”
  • 正義のロボットって怖くね

    ある程度ランダムに決まる人間の性格としての「正義感が強い」はまあいいじゃん そうなったんだから仕方ないし、そうである以上正義の味方として頑張ってもらえばいい でもアトムみたいな「正義感が強い(ようにプログラムされた)ロボット」ってイヤじゃない?なんつうか完全に搾取じゃん なんならアンパンマンもそんな感じなんだよな 正義の心を持った人造物、それ自体に罪はないけど産み出した人間の邪悪さみたいなところにもスポットライトを当てるべきだと思う (追記:アトムは完全にエアプです ごめんようごめんよう)

    正義のロボットって怖くね
    deadwoodman
    deadwoodman 2020/04/26
    自称「正義の味方」はいいけど自称「正義そのもの」は信用できないみたいな感じか
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