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歴史に関するdeadwoodmanのブックマーク (347)

  • 平安時代でも「先」と言えば「未来」を指していた

    これ面白くて、未来が自分の後ろ側にあった時代には矛盾がなかったんですよ 我々現代人は普通「未来が前、過去が後ろ」なのが当たり前だと思ってますが、昔は過去が前、未来が後ろにあったんです 全く日独自のことではなく、古代ギリシャやソマリ語など世界の地域/言語であった/あることらしいですが https://t.co/3iG9Uaqgae pic.twitter.com/hkoAEAJjB0— 重藤小藤太 (@Kotouta_Sige1) February 18, 2024 この言説は正しいのだろうか。この場合、過去に書かれた文学などにおいてどのような用法があったかを確認すればいいだろう。というわけで『源氏物語』から「先」が未来をあらわしている箇所を引用する。 わが御世もいと定めなきを、ただ人にて朝廷の御後見をするなむ行く先も頼もしげなめることと思し定めて、いよいよ道々の才を習はさせ給ふ。 「私の

    平安時代でも「先」と言えば「未来」を指していた
    deadwoodman
    deadwoodman 2024/02/26
    勝俣氏の論文は未見だけれど、感想辿ると室町時代までは「さき」は時間用語として「過去」を示すという話があるらしい。これは「行く先」のように空間概念を時間に敷衍したものは含まないということなのだろうか。
  • 《博覧強記の人》南方熊楠の死後、牧野富太郎が彼について「大なる植物学者ではなかった」と手厳しく評した理由(堀井 憲一郎) @gendai_biz

    結局、何がどうすごいのか? 南方熊楠という人は、とてもわかりにくい存在である。 その名は有名であるが、「何をした人なのか」というのがいまいち、わかりにくい。 講談社現代新書『未完の天才 南方熊楠』(志村真幸・著)は、その「なぜわかりにくいのか」に迫っておもしろい。 わかりにくさの原因を知るだけで、南方熊楠が近くに感じられる。 南方熊楠の形容は「知の巨人」と紹介されることが多い。 すごい人だ、という意味だが、かなり漠然としている。 何がどうすごいのかはなかなか説明されない。 南方熊楠は博覧強記の人として知られている。何か国語も操り、海外の雑誌にも論文をいくつも掲載された研究者である。 知の巨人というイメージは明治時代からあり、「海外から高く評価されている日の学者」というのが世間一般での理解であったようだ。 博覧強記ということは、つまり「知識のインプット」に対して異様な熱量を持っていたという

    《博覧強記の人》南方熊楠の死後、牧野富太郎が彼について「大なる植物学者ではなかった」と手厳しく評した理由(堀井 憲一郎) @gendai_biz
    deadwoodman
    deadwoodman 2023/10/02
    “南方熊楠の植物学研究について、牧野は当然、知っていた…発表しない姿勢に、大きく疑問を持っていたのである。大なる植物学者といえない理由として、書籍や論文をほとんど発表していないからだ、と指摘している”
  • 「遠野物語と呪術」展から『呪術廻戦』を考える

    1992年東京生まれ。普段は商品についてくるオマケとかを考えている会社員。好きなべ物はちくわです。最近子どもが生まれたので「人間ってすごい」と気で感じています。(動画インタビュー) 前の記事:山形には勝手にげそ天パーティーを開催できるスーパーがある > 個人サイト 日和見びより 古くは湖だった町、遠野 遠野は岩手県の内陸に位置する人口2.4万人ほどの街で、花巻と釜石をつなぐJR釜石線の真ん中くらいに位置している。 『遠野物語』を片手にやってきた。 駅名のフォントがふるさと感をバチバチに放っている。これはいい街だ。 どのくらいいい街かというと街中に無料ピーマンが置かれているくらいいい街(ありがたくいただいて家でべたがすごく美味しかった) 今回の目的である「遠野物語と呪術」展が開かれているのは遠野駅から歩いて8分ほどの遠野市立博物館。展覧会は9月24日まででもうすぐ終わってしまうので気に

    「遠野物語と呪術」展から『呪術廻戦』を考える
    deadwoodman
    deadwoodman 2023/09/18
    “遠野の素晴らしいところは博物館を出たすぐそこに『遠野物語』の舞台が広がっているということだ…呪物が単なるびっくり資料ではなく、当時の生活に根付いたリアルなものとして、ひしひしと実感することができる”
  • この本がスゴい!2022: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる

    「いつか読もう」はいつまでも読まない。 「あとで読む」は後で読まない。 積読をこじらせ、「積読も読書のうち」と開き直るのも虚しい。人生は有限であり、が読める時間は、残りの人生よりもっと少ない。「いつか」「そのうち」と言ってるうちに人生が暮れる。 だから「いま」読む。 10分でいい、1ページだっていい。できないなら、「そういう出会いだった」というだけだ。「いま」読まないなら、「いつか」「そのうち」もない。 に限らず情報が多すぎるとか、まとまった時間が取れないとか、疲れて集中できないとごまかすのは止めろ。新刊を「新しい」というだけの理由で読むな。積読は悪ではないが、自分への嘘であることを自覚せよ。「いま」読むためにどうしたらいいか考えろ。「」にこだわらず読まずに済む方法(レジュメ、論文、Audible)を探せ。難解&長大なら分割してルーティン化しろ。こちとら遊びで読書してるんだから、仕事

    この本がスゴい!2022: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる
    deadwoodman
    deadwoodman 2022/12/02
    “過去の出来事を選び取り、つなぎ合わせ、合理的な解釈を導くモデルを作り上げ…行動の指針として役立ちそうな結論を引き出す…カーが擁護する「歴史家が作るモデル」は、カーが批判する「客観的な歴史」と相反”
  • 「写すときに視線が合う…」被爆者のむごい姿、強いられた撮影 #戦争の記憶(中国新聞デジタル) - Yahoo!ニュース

    米軍による広島、長崎への原爆投下から今年で77年。核兵器の非人道性を証言してきた被爆者が高齢化し減少する中、その惨禍を記録した写真の役割は増している。撮影者の「あの日」の体験や、写された街や人の被害をたどり、その意味を見つめ直す。 【写真】顔にやけど 被爆者の姿 「こんなのを写真に写さにゃいけんのかな、思いまして。命令とはいえあんまり残酷じゃないかと」。尾糠政美さん(2011年に89歳で死去)は自らも被爆した翌日、被爆者のむごたらしい姿を記録に残した。決して自ら望んだわけではない。軍の命令による苦渋の撮影だった。 23歳だった尾糠さんは、陸軍船舶司令部の写真班員だった。1945年8月6日、広島湾に面した宇品町(現広島市南区)の司令部で朝礼中に被爆した。帰宅命令を受けていったんは司令部を離れたが、市内に住む母マキノさん=当時(60)=は見つけられず、より市中心部に近い姉宅には猛火で近づけない

    「写すときに視線が合う…」被爆者のむごい姿、強いられた撮影 #戦争の記憶(中国新聞デジタル) - Yahoo!ニュース
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    deadwoodman 2022/08/06
    “尾糠さんは11年に亡くなり、郷里の写真館は19年に解体された。残されたプリントや関連書籍などの資料は清司さんが受け継いだ後…東京都北区の私立聖学院…図書館には、尾糠さんの写真や関連記事の展示スペース”
  • 呪術のためではない…? 奈良時代の桃の種の穴、ネズミの仕業か | 毎日新聞

    奈良市の西大寺で大量に出土し、古代の呪術跡と考えられてきた奈良時代の桃の種(核)の穴が、実はネズミがかじった跡だった可能性が高いことが奈良文化財研究所の調査で分かった。一緒に8匹分の骨が見つかったネズミのうち、小型のアカネズミがクルミなどをかじった際にできる傷と大きさや形が酷似していたという。 西大寺で当時僧侶が事を取った堂(じきどう)院跡では、井戸から魚の骨や器などが大量…

    呪術のためではない…? 奈良時代の桃の種の穴、ネズミの仕業か | 毎日新聞
  • 関東平野北部の農家の納屋の中にボロボロな川舟が置いてあり、川も湖も海もない土地になぜ舟があるか聞いたら「若い人はやっぱ知らんか」と言われた

    道民の人(廃墟・ひなびた風景) @North_ern2 関東平野北部の広大な畑作地帯をふらついていると、納屋の中にボロボロだけどかなり大きな川舟が置かれた農家さんがあった。こんな周りに川も湖も海もない土地で、なんで舟があるのかどうしても気になり、横で農作業をしていたお爺さんに聞いた。すると、「やっぱり知らんかあ」という顔をなされた。 2022-03-25 12:01:46 道民の人(廃墟・ひなびた風景) @North_ern2 お爺さんは語る。 「このあたりは戦争終わったくらいまでは何年かに一回、向こうの利根川から水が溢れて大洪水になるのが当たり前だったんだ。だからここらの家は舟を置いて、洪水になったら家財道具と家族を乗せてやり過せるようにしていた。うちの先祖の命があったのはこういう舟のおかげなんだ」 2022-03-25 12:05:16 道民の人(廃墟・ひなびた風景) @North_e

    関東平野北部の農家の納屋の中にボロボロな川舟が置いてあり、川も湖も海もない土地になぜ舟があるか聞いたら「若い人はやっぱ知らんか」と言われた
    deadwoodman
    deadwoodman 2022/03/26
    “戦争終わったくらいまでは何年かに一回、向こうの利根川から水が溢れて大洪水になるのが当たり前だったんだ。だからここらの家は舟を置いて、洪水になったら家財道具と家族を乗せてやり過せるようにしていた”
  • 『メタルギアソリッドV』世界に拡散する「言語への報復心」に私達はどう相対するべきか―ウクライナ侵攻に寄せて【ゲームで英語漬け/世界を観る:特別編】 | Game*Spark - 国内・海外ゲーム情報サイト

    『メタルギアソリッドV』世界に拡散する「言語への報復心」に私達はどう相対するべきか―ウクライナ侵攻に寄せて【ゲームで英語漬け/世界を観る:特別編】 | Game*Spark - 国内・海外ゲーム情報サイト
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    deadwoodman 2022/03/21
    “ロシアに関わるあらゆるものの使用が「敵性視」…言葉もまたロシア語表記をウクライナ語表記へ変えようとする動きが出て、かつて日本で起きた「敵性語」の排除…「言語への報復心」が世界に撒かれつつあります”
  • 『鎌倉殿の13人』大泉洋演じる源頼朝が、あんなにも「エラそう」な理由(野口 実) @gendai_biz

    開始早々から賛否両論が飛び交っている今年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』。大泉洋が演じるやけに軽いノリで威張り散らす源頼朝や、北条政子をはじめ自己主張の強い女性たち…。当時の人々は、当に“あんな感じ”だったのでしょうか? 講談社学術文庫の新刊『源氏の血脈―武家の棟梁への道』の著者である中世史研究者の野口実氏が、歴史学者の視点から『鎌倉殿』を読み解きます。 『鎌倉殿の13人』を考える 今年の大河ドラマはおもしろい。一部の研究者からは「ここまで品格のない大河は見たことがない」などという批判も聞こえるが、それは演出上の問題で、ストーリーや社会風俗の考証は相対的にはよく出来ていると思う。 だいたい日史研究者の中には、歴史に興味をもつきっかけが大河ドラマだったという人が多い。織田信長は高橋幸治、平清盛は仲代達矢、といった具合に、彼ら彼女らの脳裏にある研究対象とする人物や社会の「情景」は、けっこうか

    『鎌倉殿の13人』大泉洋演じる源頼朝が、あんなにも「エラそう」な理由(野口 実) @gendai_biz
    deadwoodman
    deadwoodman 2022/03/15
    “ 中世前期の「武士」の概念については、長く学界で議論が重ねられた末に、「国家・王権の守護をアイデンティティーとする武芸(騎射―うまゆみ)のプロ」ということで落ち着いている。”
  • 日系アメリカ人一家の秘密だった強制収容、物置で発見された着物から明らかに - BBCニュース

    80年前、米政府は日系アメリカ人を呼び集め、第2次世界大戦の終わりまで収容所で暮らすよう強制した。この暗黒の歴史が忘れ去られないよう、いま若い世代が奮闘している。イレイン・チョン氏がBBCに文章を寄せた。 シェイン・「シェイシェイ」・コンノさんの祖父が2013年に死去した時、家族は祖父が残した物を整理するため、彼の家に集まった。庭の収納庫はいっぱいで、一度に1人が入るのがやっとだった。身のこなしが軽かったコンノさんに、中に入って大きな物を取り出す役目が回ってきた。家族がそれを受け取り、家の中へと運んだ。 一番の奥の棚に、ベージュ色の厚紙でできた衣装ケースがあった。ふたには「ミシガン大学」のステッカーが貼ってあった。ケースを開けると、織物があるのに気づいた。「おや、すてきなテーブルクロス」とコンノさんは思った。

    日系アメリカ人一家の秘密だった強制収容、物置で発見された着物から明らかに - BBCニュース
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    deadwoodman 2022/03/02
    “日系アメリカ人の日本文化の破壊は、何世代にもわたって影響を及ぼした。コンノさんの祖父母は日本語を話したが、収容所を経験し、子どもたちに日本語を教えないと決めた…日本語を話せばアメリカで成功できない”
  • 「実は最近定着したもの」を知りたい

    ・週休二日 週休二日が当たり前になったのは1990年代以降。 ・電話 一家に一台普及したのは1980年代半ば。それまでは隣近所に借りるのが普通。 ・一人暮らし 若者がひとりで暮らすのが当たり前になったのは1980年ごろから。 ・ペットボトル 飲み物に使われるようになったのは1995年。 ほかになにかない?

    「実は最近定着したもの」を知りたい
    deadwoodman
    deadwoodman 2021/11/10
    ブコメ見て思い出したけど、コンビニおにぎりの包装がパラシュート式でなく一回開いて巻き直す方式だった時代があった。調べたらおにぎりの販売開始が80年でパラシュート式が始まるのが85年だから意外と期間は短い。
  • 農家の蔵に眠る行李、出てきた文書に国立公文書館が「大変なもの」:朝日新聞デジタル

    長野県中野市で果樹農家を営む男性が、自宅の蔵の整理をしていて見慣れぬ行李(こうり)を見つけた。入っていたのは、大量の文書と1枚の写真。専門機関に相談すると、「大変なもの」だった。 資料を見つけたのは田中武徳さん(67)。3年ほど前、大切な文書などを火災などから守るために堅牢につくられた文庫蔵を整理していた際、2階の棚に黒っぽい行李が置いてあるのに気づいた。手の込んだつくりに思え、貴重なものがはいっている予感がした。開けると、濃紺の風呂敷がかぶせられ、中からは大量の文書と、建物を写した写真が出てきた。写真の裏に「枢密院の建屋」と手書きされていた。 どんな価値があるものなのか分からず、国立公文書館(東京都千代田区)に持ち込んでみた田中さん。その場で「貴重なもの」と驚かれた。 公文書館が数カ月かけて作成した目録によると、見つかったのは、明治憲法下における天皇の最高諮問機関だった「枢密院」の関係文

    農家の蔵に眠る行李、出てきた文書に国立公文書館が「大変なもの」:朝日新聞デジタル
    deadwoodman
    deadwoodman 2021/10/18
    “家系をさかのぼっても国家の中枢機関とのつながりは見つからない。敗戦直後、日本の各地で多くの公文書が焼却処分された。「貴重な記録を残そうと、誰かが持ち帰ったものなのかもしれない」と田中さんは想像する”
  • 植民地の歴史に消えた、アフリカ・ベナンの世界唯一の「女だけの最強軍隊」 | 孫たちの証言を通じ、女戦士たちの記憶を現代に留める

    近世、現在の西アフリカ・ベナンを支配したダホメ王国には、世界でも珍しく、女性だけで構成される軍隊があった。同国の植民地化で同軍も歴史から消え去ったが、女戦士たちの生きざまについて記録するプロジェクトが現在進んでいる。 女戦士たちに関するわずかな記録 彼女の祖母は、人の頭をカーブした刃で切り落とすことができ、とげだらけの壁を越えることもできた。そして祖母は王を守るために一生を捧げた。 年老いた女性の語ったこれらの証言は、外国人探検家のメモにも記された。しかし、近代史唯一の女性だけの軍隊であるダホメ王国の女戦士たちについて、全体像を捉えることはできていなかった。 研究者たちは何十年もかけてヨーロッパや西アフリカの古文書を調べ上げ、フランスの将校、イギリスの商人、イタリアの宣教師の手記から、その姿を明らかにしようとしてきた。

    植民地の歴史に消えた、アフリカ・ベナンの世界唯一の「女だけの最強軍隊」 | 孫たちの証言を通じ、女戦士たちの記憶を現代に留める
    deadwoodman
    deadwoodman 2021/09/20
    “1894年のフランスによる同国占領後、植民地将校たちは、同地域に特徴的だった女性戦士の部隊を解散させた… 西アフリカの人々は世代間で物語を語り継ぐ口伝を好んだ。そのため…あまり多くは記録に残っていない”
  • なぜ若狭地方は滋賀県だったのか – 別冊びびび

    若狭地方が滋賀県だった時期 滋賀県庁に何度か行ったことがある。お役所の常として、館に新館にそのまた新館に、といくつかの建物に分かれているのだが、そのうちの「新館」の入口には、滋賀県が福井県南部――嶺南地方を編入していたときの地図がでかでかと掲示されていた。滋賀県の歴史を伝える貴重な資料ということのようなのだが、どうにも心がざわついてしまう。言うなれば首相官邸の入口に、朝鮮半島や台湾を占領していた時代の地図を掲示しているようなもので、福井の人間が怒らないだろうか、と心配になってしまう。 嶺南というのは、文字通り山嶺の南側という意味で、具体的には敦賀市と南越前町とを隔てる木ノ芽峠の南側である。令国制でいう若狭国――現在でいう小浜市、三方郡、大飯郡、三方上中郡はすっぽりこの嶺南に収まるが、同じく嶺南である敦賀市は越前国となるため、嶺南すなわち若狭というのは正確ではない。ちなみに、残る木ノ芽峠の

    なぜ若狭地方は滋賀県だったのか – 別冊びびび
    deadwoodman
    deadwoodman 2021/09/19
    “福井県設置は…石川県内部の紛糾が原因であり、直接には県統治、議会運営に自信を失った石川県令が、窮余の策として嶺北七郡の分離を建言した結果であって、敦賀・若狭の人びとがみずから望んだわけではなかった”
  • 十二支が合体した最強に縁起が良さそうな浮世絵「家内安全ヲ守十二支之図」が信頼のフェリシモさんによってぬいぐるみ化

    リンク 太田記念美術館 江戸時代のポケモン?のルーツを探ってみた|太田記念美術館 歌川芳虎が描いた「家内安全ヲ守 十二支之図」という浮世絵。おうちの安全を守るため、なんと十二支が合体したという作品です。たくさんの動物が一つになりましたので、さぞかしパワーアップしたのかと思いきや… 前足と後足をそろえ、ちょこんと立っている可愛らしい姿に。顔がネズミのためか、頼もしさはまったく感じられません。はたして、おうちの安全をしっかりと守ってくれるのか…。とっても心配になります。 こちらの作品、以前、ツイッターで紹介したところ、かなりの反響がありました。ジャンボキングやタイラント、あるいはポケモンみ リンク note(ノート) 一生使える干支飾り!? 家内安全を守ってくれる十二支【太田記念美術館コラボレーション】|フェリシモミュージアム部™|note 1匹で12匹分ありがたい? 絵師・歌川芳虎が浮世絵に

    十二支が合体した最強に縁起が良さそうな浮世絵「家内安全ヲ守十二支之図」が信頼のフェリシモさんによってぬいぐるみ化
    deadwoodman
    deadwoodman 2021/09/19
    “ 歌川芳虎の「家内安全ヲ守十二支之図」。家の安全を守るため、何と十二支が合体しました。… 太田記念美術館(@ukiyoeota)監修!江戸時代の浮世絵にえがかれたフシギな生き物が、手のひらサイズのマスコットに”
  • 日本人の「完成」は古墳時代だった? DNAを分析、ルーツに新説:朝日新聞デジタル

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    日本人の「完成」は古墳時代だった? DNAを分析、ルーツに新説:朝日新聞デジタル
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    deadwoodman 2021/09/18
    “弥生人は、中国東北部の遼河流域など北東アジアで多く見られる遺伝的な特徴を持ち…古墳人は、弥生人が持っていない東アジア人に多く見られる特徴を持っていた。さらに、現代日本人と遺伝的な特徴がほぼ一致する“
  • “原爆漫才”の挑戦 | NHK | WEB特集

    8月9日の新聞のテレビ欄、NHK「ニュースウオッチ9」の予告です。 「長崎原爆を『笑い』で語り継ぐ」 この予告、あなたはどう感じますか? 「原爆をお笑いにするなんて不謹慎だ」などと反発を感じる方もいるかもしれません。私も取材するまでは正直不安でした。 でも、いざ取材を始めると不安はすぐに解消しました。76年前の原爆の悲惨な記憶を決して風化させることなく、お笑いを通じて無関心な若者たちに知ってもらいたいという真剣なチャレンジ精神があふれていたからです。 (長崎放送局記者 小島萌衣) 「原爆漫才」の仕掛け人は被爆者の子ども=被爆2世で作る団体「長崎被災協・被爆2世の会・長崎」の会長、山崎和幸さんでした。 被爆者の平均年齢は84歳に迫り被爆者が語り部となって被爆体験を伝える活動は難しさを増しています。 「被爆者がいない時代」が将来到来したとき、どうやって今の子どもたちに被爆体験を伝えるのか。 悩

    “原爆漫才”の挑戦 | NHK | WEB特集
    deadwoodman
    deadwoodman 2021/08/29
    “ 長崎側からは学校の平和学習で披露できる作品を作ってほしいという要望…2人は思案の末「漫才」の笑いのパッケージにシリアスな被爆体験をくるむ全体構成を思いつきます。”
  • 魔女・産婆・看護婦 | 法政大学出版局

    四六判 / 230ページ / 上製 / 価格 2,860円 (消費税 260円) ISBN978-4-588-35231-7 C0036 [2015年09月 刊行] 豊かな知恵と経験で身近な人々を治療していた女たちを、資格や免許がないという理由で迫害し、排除し、閉じ込めてきた歴史を明らかにする。1970年代にアメリカでパンフレットとして出版され、フェミニズムの古典となった「魔女・産婆・看護婦」と「女のやまい」を収めた初版に、その後の社会の変化を詳しく解説した序文を加え、訳文も全面的に改めた。 バーバラ・エーレンライク(エーレンライク,B.)(Barbara Ehrenreich) 1941年モンタナ州生まれ。邦訳のある『われらの生涯の最悪の年』、『「中流」という階級』(ともに晶文社)、『ニッケル・アンド・ダイムド』(東洋経済新報社)、『スーパーリッチとスーパープアの国、アメリカ』(河出書房

    魔女・産婆・看護婦 | 法政大学出版局
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    deadwoodman 2021/08/24
    “ 豊かな知恵と経験で身近な人々を治療していた女たちを、資格や免許がないという理由で迫害し、排除し、閉じ込めてきた歴史を明らかにする。”
  • あの日、列車は走っていた | NHK | WEB特集

    「街が壊滅したあの日、確かに私は列車を走らせました。乗客が元気になってなんとかおうちに帰れればいいなと」 76年前の8月6日。 原爆で傷ついた人々を乗せて北へ北へと向かった列車。 公的資料には列車の全面的な運転再開は原爆投下から3日後と記されていますが、あの日、列車は動いていたのです。 当事者の取材から浮かび上がってきた76年目の真実です。 (広島放送局記者 石川拳太朗)

    あの日、列車は走っていた | NHK | WEB特集
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    deadwoodman 2021/08/06
    “8月6日の原爆投下直後から走っていた芸備線…身元がわからないまま運ばれて、そのまま亡くなり、火葬された人も少なくありません。そうした人を悼むため、爆心地から遠く離れた各地に慰霊碑が点在している”
  • 日本考古学史上最大の謎「土偶の正体」がついに解明 「土偶は女性モチーフ」の認識が覆った!驚きの新説(前編) | JBpress (ジェイビープレス)

    縄文時代に作られた土偶は、女性や妊婦をかたどったものだ、というのが多くの人の認識だろう。「そうではない」という驚きの新説を提唱したのが、人類学者の竹倉史人氏だ。では、土偶は何をかたどっているのか? その結論に至った過程と具体的な土偶の解読内容を前後編でお送りする。(JBpress) ※土偶(どぐう)とは:縄文時代に作られた素焼きの人形。1万年以上前から制作が始まり、2000年前に姿を消した。現在までに2万点近い土偶が発見されている。なお、埴輪(はにわ)は、古墳にならべるための土製の焼き物。4世紀から7世紀ごろに作られたもので、土偶とは時代が異なる。 (※)稿は2021年4月に発行された『土偶を読む 130年間解かれなかった縄文神話の謎』(竹倉史人著、晶文社)より一部抜粋・再編集したものです。 ついに土偶の正体を解明しました。 こういっても、多くの人は信じないだろう。というのも、明治時代に

    日本考古学史上最大の謎「土偶の正体」がついに解明 「土偶は女性モチーフ」の認識が覆った!驚きの新説(前編) | JBpress (ジェイビープレス)
    deadwoodman
    deadwoodman 2021/04/25
    “ハート形土偶は東北地方南部から関東地方北部にかけて多く見つかり、分布の中心は福島県の阿武隈山地…縄文後期、阿武隈山地周辺にオニグルミが繁茂する植物相があったことは花粉分析からもすでに明らか”