国有林で最長50年間の伐採権を民間業者に与える改正国有林野管理経営法が、4月に施行される。安倍政権は林業の活性化を掲げるが、国有林の大規模開放による荒廃の懸念も消えていない。毎日新聞は、林野庁などが2018年末に法改正の詳細を検討した会合の記録文書を、情報公開請求で入手。辞任した元官房長官補佐官が議論に参加するなどの不可解な構図や、政権内の綱引きが浮かんだ。【杉本修作、寺田剛】
国有林で最長50年間の伐採権を民間業者に与える改正国有林野管理経営法が、4月に施行される。安倍政権は林業の活性化を掲げるが、国有林の大規模開放による荒廃の懸念も消えていない。毎日新聞は、林野庁などが2018年末に法改正の詳細を検討した会合の記録文書を、情報公開請求で入手。辞任した元官房長官補佐官が議論に参加するなどの不可解な構図や、政権内の綱引きが浮かんだ。【杉本修作、寺田剛】
借金で木を育て、売った収益で返済する。そんな青写真で事業を続けてきた都道府県の外郭団体「林業公社」の廃止が近年相次いでいる。これまで公社を抱えていた39都道府県に朝日新聞がアンケートしたところ14府県が公社を廃止し、うち11県が森林資産の実際の価値を回答。計2200億円の債務に対し、時価評価額は100億円弱だった。差額の多くは税金での穴埋めになる。 ほかに廃止した岩手、大分、京都の3府県は時価評価していないか時価を答えなかった。公社を維持している25都道県は帳簿上、森林資産の価値の合計額が債務を上回っているが、実際に木材の売却や、公社の廃止で時価評価した場合、損失が生じる可能性が高い。 日本は国土の約7割(約2500万ヘクタール)を森林が占め、うち約3割は国有林。その他の民有林を対象に、1960年代に多くの公社が設立された。借金で民有地に木を育てた後、伐採して土地のオーナーと収益を山分けし
林業や林野制度の歴史といった方面に偏りがちだった従来の研究を、環境問題まで見据えた“森林管理・活用の歴史”としてとらえ直す。徳川300年における森林政策の流れ、江戸時代の… 森林の江戸学 [編]徳川林政史研究所 戦後の復興期から高度経済成長時代には、目の前の利益だけを考えた量産、拡大政策が推進された。その結果、原子力のみならず多くのものが問題を抱えている。そのひとつが「森林崩壊」である。 森林の過剰伐採が起こり、奥地の開発と人工造林が進められ、広葉樹林からスギ、ヒノキなど針葉樹林へ転換した。雪で倒れてしまうスギやカラマツが豪雪地帯に植えられた。金儲(もう)けが先に立つと自然の摂理が分からなくなる。そして輸入木材の時代が来た。今度は手入れをしなくなり、森林崩壊が始まっている。 そういう時代だからこそ、と刊行されたのが、徳川林政史研究所の長年の蓄積を集めた本書である。戦国時代から江戸時代のはじ
見分ルート[編集] 加賀藩御定書によれば奥山は新川郡立山と白山渓谷より奥の地域を指している。黒部奥山に限ると後立山(鹿島槍ヶ岳)を境に北部を下奥山、南部を上奥山と呼んでいる。見分ルートの主な変遷を下に記す。 『上新川郡奥山巡廻道筋之内見取絵圖』 天保10年(1839)以降、原作者不明 富山県立図書館蔵 下奥山[編集] 越中と信濃、越後との国境をなす。 延宝6年(1678年)、大平村(現在の富山県下新川郡朝日町)から境川沿いに下駒ヶ嶽を往復。 享保11年(1726年)、大平村から下駒ヶ嶽へ登って越後との境目を見分し、次に黒部川から上駒ヶ嶽へ登り、鑓ヶ嶽へ登って信濃との境目見分。 寛政年間(1789年から1800年)に祖母谷に明礬が発見されるとルートが拡大した。 天保14年(1843年)、大平村からソヨナギノ丸山。蛭谷村(同)から北又谷、猫又谷、スノコ峰、祖母谷から餓鬼谷、後立山谷、猫又谷、蓮
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