●撮影を開始します 「多数のご遺体を見てしまうということで、精神的にまいってしまう方もいたという話を聞いて、ちょっと自分もまずいかなという思いはあった」 「ご遺体の洗浄を手伝ってくれと言われて行った。 警察が遺体を拭いて、その布を私がバケツで洗う。泥だらけの布を洗って、バケツが泥だらけになったら、外に出て水を捨てる。自衛隊の給水車だと思うんですけど、そこから水を汲んで、また持って行く、そのような作業をしていました」 永谷拓也、40歳。当時、宮城県で農地整備などの担当職員。 震災発生からおよそ2週間後、名取市の増田体育館に設置された遺体安置所に派遣された。 「最も印象に残っていたのは、自分のテーブルのところで見た小学校何年だろうな、3~4年生くらいかな。あまり大きくない女の子。こんな津波がなければ、生きていたんだろうなと思うような子が運ばれてきて。それがちょっと今でも忘れられないですね」 遺