こちらは林ナツミさんの「本日の浮遊」というセルフ・ポートレート作品で、ご本人がジャンプした瞬間を撮影した写真シリーズです。日記形式でウェブサイトに掲載する、という方法で発表されました。林さんが浮遊しているのですが、すべて合成ではなく、時には300回も実際にジャンプして力の抜けている瞬間を撮影したそうです。※1
久しぶりに埼玉県立近代美術館へ 本日の展覧会は『戦後日本住宅伝説 - 挑発する家・内省する家 - 』 2014.7.5 - 8.31 戦後日本住宅伝説—挑発する家・内省する家 - 埼玉県立近代美術館 16人の建築家による、戦後(1953年から1978年まで)の名住宅を写真図面模型映像で、丁寧に紹介していく展覧会。丹下健三の、迎賓館の役割も果たしていたような立派な住居もあれば、わずか7坪の空間に5階建てを造り上げた狭小住宅、東孝光の『搭の家』もあるし 中銀カプセルタワービルのような空間もある。しかし、総じて、パーソナルな空間の作り方がどうあるべきか、建築家の哲学にひたすら向き合う展覧会だった。会場内、基本的に撮影は禁止なのだけれど、丹下健三のそれ以外の各ブースには撮影可能な大判の写真が一枚あり、それは撮影することができる。この展覧会、自分はどの家に住みたいか、と考えながら見ていくと、自分のも
被爆二世、独学で音楽を学んだ全聾の天才作曲家と謳われた佐村河内守氏のほぼ全作品が、実際には桐朋学園大学の講師を勤める現代音楽作曲家・新垣隆氏の手になるものだった、という衝撃的な事件が世間を賑わせている。これに関連して、少し自分の思うところを書いておきたい。 メディアや音楽出版社のあり方、またはポリティカル・コレクトネスについての議論はほかに譲るとして、音楽そのものについての話になる。今回の事件はかなり根源的な問題まで浮き彫りにした、というのがもっぱらの認識のようだ。人は音楽にいったい何を聴き、何を根拠に評価しているのかということ。また純粋に音楽を聴くのはいかに難しいかということ。そんな問題についてだ。ここで私は、純粋に音楽を聴くことなど不可能であるのは当然として、そんなことを目指す必要さえない、という主張を述べたいと思う。 私が初めて佐村河内氏の名前を知ったのは昨年、おそらく例のNHKスペ
1 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2012/10/07(日) 08:08:13.64 ID:UQr33T/x0 A. B. 4 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2012/10/07(日) 08:09:38.16 ID:p3v8gVw50 B? 5 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2012/10/07(日) 08:09:39.40 ID:VhD/h8/P0 コンセントみたいな方 6 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2012/10/07(日) 08:09:49.25 ID:MnBJyHyD0 ピカソの絵の良さがわかる俺はAだと思う 7 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2012/10/07(日) 08:09:59.33 ID:WuEU+qCo0 両方ともやる気がないのは分かった 10 :以下、名
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