「往古うはなり打の図」女たちが双方に別れ、箒や擂り粉木など日用の道具を持って争う。歌川広重画。 後妻打ち(うわなりうち)とは、日本の中世から江戸時代にかけて行われた風習のこと。夫がそれまでの妻を離縁して後妻と結婚するとき、先妻が予告した上で後妻の家を襲うというものである。騒動打とも称する[1]。時代ごとに様式は異なるが『宝物集』巻第2では、庶民の間で掴み合いが行われていたことが記されている[2]。 解説[編集] 「うはなり」(うわなり)とは後妻のことで、かつては妻がいる上にさらに迎えた女性(妾など)を「うはなり」といったが、のちに先後妻と離婚して新たにむかえた女性を「うはなり」といった。この「うはなり」を先妻が打擲することを古くは「うはなりうち」と云い、最古の記述は寛弘7年(1010年)2月に、藤原道長の侍女が夫の愛人の屋敷を約30人の下女と共に襲撃した記述が『権記』に存在するが、この侍女