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エヴァと映画に関するhiruneyaのブックマーク (2)

  • ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q 【レビュー後編】

    『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』は紛れも無く、アニメーションの歴史に名を留めるだろう、稀有な作品である。 前回に引き続き、場面の解説を進めながら、その理由を明らかにしていきたい。 渚カヲルは、「償えない罪はない、希望は残っているよ」とシンジに言った。それが「もう一度エヴァに乗る」という選択肢だった。 当然、シンジはこれを拒否するが、DSSチョーカーをシンジの首からはずし、代わりにそれを自分の首に巻くカヲル。 死のリスクを代わりに引き受けるという犠牲的な行為を見て、閉じこもったシンジの心がやわらぐ。 カヲルの提案は、ふたりでエヴァに乗り、ターミナル・ドグマまで降下、そこにあるカシウスの槍とロンギヌスの槍を手にし、ふたりが新たな世界の創造主として、世界を修復するというものだった。そしてそれは、ゲンドウの思惑とは異なったものであるらしい。 「カシウスの槍」は、新劇場版で初出したアイテム(初号機を

    ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q 【レビュー後編】
  • ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q 【レビュー前編】

    「神を殺した俺達は、どんな贖罪の祭り、どんな聖なる劇を考案しなければならないか? この儀式は、俺達にとって手に余るのではないか? 俺達がそれを行うには、自らが神になる必要があるのではないか? これより偉大な所業は、未だかつてないのだ。」 -フリードリヒ・ニーチェ「悦ばしき知識」- 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』は、近年つくられた、アニメーションを含む映画作品全体の中でも、最も野心的で、反権力的で、豊かでありながらストイックに、重要で普遍的なテーマを扱った、稀有な傑作だった。 私は「破」公開時に、このブログ記事にて同作を批判し、それに対し一部ファンから反発的なコメントも少なからず頂いた経緯があるのだが、そのような当時感じた私の不満が、「Q」単体においては、ほぼ全て解決され、旧劇場版と同様に、現代の多くの観客たち、とくに新しい世代の若者が鑑賞する価値のある、はるかに志の高い作品に変貌していた

    ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q 【レビュー前編】
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