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文章に関するiteauのブックマーク (5)

  • 池内恵とインターネット。人生は誰かを悲しませない為にあるんじゃない。

    今日も今日とてインターネットをしていると、池内恵がインターネットと戦っているのを目にしてしまい、とても悲しい気分になった。ぼくたちは、その人生の全てをインターネットに費やし極めた、インターネットの名人だから、インターネットと戦うことが、どれほどまでに不毛であるかを知っている。知り尽くしている。知り尽くした上で、インターネットと戦って負けたり、インターネットと戦って消耗したり、そんな毎日を過ごしている。それが自分の人生なんだと、自分の人生を受け入れている。そんな人生が存在するのは仕方が無いし、そんな人生があったって、別にいいじゃないかって思っている。だって、インターネットはそれ程までに、最高にたのしいものだから。インターネットは人生に値する。けれども、同じ事を池内恵がやっているのを見てしまうと、とても悲しい気分に陥る。僕は池内恵じゃない。池内恵なんだから、もっと他にやることがあるだろって思っ

    iteau
    iteau 2018/05/16
    久し振りに読んだけど相変わらず日本史に残るレベルの文章力。池内恵に何が起きているのかは全く知らないけど。
  • 「旅番組で全くボケない又吉直樹は芸人を放棄してしまったのか」というWEBコラムに能町みね子さんが超絶鬼添削

    リンク gooニュース 旅番組で全くボケない又吉直樹は芸人を放棄してしまったのか(NEWSポストセブン) - goo ニュース 芸人が街歩きや旅をテーマとした番組に出演する場合、そこに期待されるのはやはり「面白い」ことだろう。イラストレーターでコラムニストのヨシムラヒロム氏が、Amazonプラ... 1 monacat @monacattle 面白い記事だけど微妙。「芸人」と「お笑い芸人」の定義の違いかな…と思う。 旅番組で全くボケない又吉直樹は芸人を放棄してしまったのか(NEWSポストセブン) - goo ニュース news.goo.ne.jp/article/postse… 2018-02-25 14:37:51 経済は好奇心で回っている🏠 @okaimono_rarara 旅番組で全くボケない又吉直樹は芸人を放棄してしまったのか(NEWSポストセブン) - goo ニュース new

    「旅番組で全くボケない又吉直樹は芸人を放棄してしまったのか」というWEBコラムに能町みね子さんが超絶鬼添削
    iteau
    iteau 2018/02/26
    下品な女だな。
  • 政治と英語 - Wikisource

    少しでもこの問題に悩まされている者のほとんどが、英語が悪化しつつあることを認めているであろうが、我々がそれに対して意識してできることは何もないと、普通は思われている。我らの文明は退廃の途上にあり、我らの言語も――その論旨によれば――必然的にその全体的な崩壊を共有せねばならない。これを受けてあらゆる言語の濫用に対する抵抗は、さながら電灯よりも蝋燭が、飛行機よりも二輪馬車が好まれるような、感傷的な懐古主義扱いされる。この根底には、言語とは我らがその目的に応じて形作る道具ではなく、自然な成長物であるという、ぼんやりとした信念が横たわっている。 現在、言語の衰退の究極的な原因が、政治と経済にあることは明白であり、それは単純にあちらこちらの個々の書き手の悪影響によりもたらされたものではない。しかし、結果は原因となることもあり、来の原因を強化し、増大された形で同じ結果を生み出し、それは際限なく繰り返

  • 政治と英語 - Wikipedia

    政治英語』(せいじとえいご、Politics and the English Language)は、1946年に発表された、ジョージ・オーウェルの随筆である。この随筆の中で、オーウェルは執筆当時の醜悪で不正確な英語の書き言葉を批判し、それは愚劣な思考と不誠実な政治の結果であると同時に原因であり、曖昧さと全くの無能さが当時の英語の文章、特に当時の政治的な文章の最も顕著な特徴であると主張している[1]。明晰な思考を妨げる、具体性よりも抽象性を好む当時の書き手の傾向が批判され、不誠実さは明確な文章の敵であり、当時の政治的な文章の大半が擁護不可能な事物の擁護に使われていることに加えて、それらの政治的議論は見た目に不快で不誠実であることを注記し、悪文とは道徳的な誤りであると主張される。ジョージ・オーウェルは作家として、「自分が出来た限りの努力を自分の文章に捧げたという点については(道徳的な)境界

  • 寺田寅彦 茶わんの湯

    ここに茶わんが一つあります。中には熱い湯がいっぱいはいっております。ただそれだけではなんのおもしろみもなく不思議もないようですが、よく気をつけて見ていると、だんだんにいろいろの微細なことが目につき、さまざまの疑問が起こって来るはずです。ただ一ぱいのこの湯でも、自然の現象を観察し研究することの好きな人には、なかなかおもしろい見物(みもの)です。 第一に、湯の面からは白い湯げが立っています。これはいうまでもなく、熱い水蒸気が冷えて、小さな滴になったのが無数に群がっているので、ちょうど雲や霧と同じようなものです。この茶わんを、縁側の日向(ひなた)へ持ち出して、日光を湯げにあて、向こう側に黒い布でもおいてすかして見ると、滴の、粒の大きいのはちらちらと目に見えます。場合により、粒があまり大きくないときには、日光にすかして見ると、湯げの中に、虹(にじ)のような、赤や青の色がついています。これは白い薄雲

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