タグ

モンゴルに関するkachihayaのブックマーク (2)

  • 秀逸なネーミングで日本に定着、モンゴル生まれの鍋料理「しゃぶしゃぶ」 | JBpress (ジェイビープレス)

    鍋ものは古くから日にある料理のように思われるが、その歴史が花開いたのは江戸後期と意外に浅い。湯豆腐やシャモ鍋、ドジョウ鍋――1700年代後半頃から、江戸では七輪や火鉢を用いて鍋を火にかけ、煮ながらにしてべる「小鍋立て」の料理がブームになる。背景には、農村で囲炉裏の鍋ものを取り分けてべる風習があった。 明治期になると、牛鍋の流行も一役買って、鍋料理はさらに普及する。牛鍋はご存じ、すき焼きのことである。 つらつらと鍋の歴史を眺めているうちに、ふと疑問が湧いてきた。 同じく牛肉を使った「しゃぶしゃぶ」は一体いつ登場したのだろう。 牛肉の鍋といえば、すき焼きとしゃぶしゃぶが2大巨頭である。醤油と砂糖で味付けしたこってり系のすき焼き。対して、さっと肉を湯にくぐらせてポン酢やごまだれにつけてべるさっぱり系のしゃぶしゃぶ。 どっちかを選べと言われたら(そんな機会はまずないと思うが)、私は正直悩む

    秀逸なネーミングで日本に定着、モンゴル生まれの鍋料理「しゃぶしゃぶ」 | JBpress (ジェイビープレス)
    kachihaya
    kachihaya 2011/11/12
    スエヒロの店主が命名したのか。
  • 「李成桂の家系はモンゴル軍閥」 | Chosun Online | 朝鮮日報

    【新刊】バタル・内モンゴル大教授著『パックス・モンゴリカと高麗』(ヘアン刊) 「モンゴル軍が江華島に遷都した高麗を攻略できなかったのは主力部隊ではなかったからだ」 「元は高麗で経済的な略奪は行わなかった」 「李成桂(イ・ソンゲ)は100年にわたり元の官吏として勢力を伸ばした家門の力を基に朝鮮を建国できた」 中国内モンゴル大学のボルジギダイ・エルデニ・バタル教授(モンゴル史)は、電話取材に対し、ややたどたどしくもはっきりとした韓国語でそう話した。バタル教授は最近韓国で出版した『パックス・モンゴリカと高麗』(ヘアン刊)で13世紀の元と高麗の関係について、韓国学界の通説とは異なる観点を提示した。1998年に韓国に留学し、2006年に江原大史学科で博士号を取得したバタル教授は、自分はチンギス・ハンの弟、ジョチ・カサルの子孫だと自己紹介した。 ■高麗に侵入したモンゴル軍は主力部隊ではなかっ

  • 1