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文化と文学に関するumetenのブックマーク (94)

  • 第一回文学フリマ京都 - 2017/1/22(日) [開催終了]

    文学フリマ百都市構想の新たな開催地は、日文化的拠点である京都です。 これまでの大阪府堺市での開催とあわせ、待望の「関西圏での年二回開催」が実現することになります。 ぜひみなさまの予定表に2017年1月22日(日)「第一回文学フリマ京都」を加えて下さい! 当日企画公開! 【第一回文学フリマ京都】では特別企画を併催いたします。お時間が許す方は、メインである即売会々場の第一展示場のほか、大会議室、第二・第三会議室、ウェルカムホール&ロビーもぜひお楽しみ下さい。 《大会議室》記念シンポジウム「地域と文化をめぐる問いを明晰にする〜地域”の”アートの現場から」 (1)11:30 – 13:30 [登壇者] 藤田 直哉 氏 (評論家/「地域アート 美学/制度/日」「シン・ゴジラ論」) 浦岡 雄介 氏 (いさざ会館用務員/舞鶴市) イシワタ マリ 氏 (山山アートセンター/福知山市) ※臨月のためS

    第一回文学フリマ京都 - 2017/1/22(日) [開催終了]
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    umeten 2017/01/10
    めどい。市内ですら、こう思うの。
  • 学長のブログに中国故事「小人閑居して不善をなす」が引用されており、この使われ方が誤りではないかとの声... | レファレンス協同データベース

    学長のブログに中国故事「小人閑居して不善をなす」が引用されており、この使われ方が誤りではないかとの声があった。誤りであるなら、それを示せる権威ある辞典はないか 正式には「小人閒居(間居)して不善をなす」 閒居の意味は独居、つまり独りぐらし、ひとりでいること 「閑=ひま」という意味はないので、正式には間違っているといえるが、実際には"小人閑居"として広まっているので、まったく間違っているとも言えない 以下の資料を提示 ①『中国故事成語大辞典』 和泉新, 佐藤保編 東京堂出版 1992 <当館請求記号 R813.4/Izu> →P623 「小人間居して不善を為す」 小人が独り住まいをすると… ②『故事成語名言大辞典』 鎌田正, 米山寅太郎著 大修館書店 1988 <当館請求記号 R813.4/Kam> →P588 「小人間居して不善を為す」 修養のある人は人目に立たずひとりでいること 間居=人

    学長のブログに中国故事「小人閑居して不善をなす」が引用されており、この使われ方が誤りではないかとの声... | レファレンス協同データベース
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    umeten 2016/06/08
    「小人閑居して不善をなす」の使われ方が誤りではないか、との問いについて。
  • 石田衣良氏 「右傾エンタメ作品」ばかりが売れる社会を分析

    NEWSポストセブンの年始恒例企画、直木賞作家石田衣良氏へのインタビューをお届けする。「文化が寡占化する日」。(取材・構成=フリーライター神田憲行) * * * 今の日で嫌なのは文化的に寡占傾向が進んだということです。小説の世界でもアイドル、ドラマでも同じだと思います。誰かが何かを「面白い」と言えば、すぐ行列が出来ちゃう。行列の先になにがあるかわからないけれどとにかく並んでおくか、という貧しい時代のソ連のようですね。 たとえば僕がいる小説の世界で言うと、フロー(新刊)は売れてもストック(古典)が全く売れないんです。いま生きている作家でも死んだら途端に売れなくなります。あまり表に出てないですが、リーマンショック以降、作家の3分の1は厳しい状況ですよ。でも出版界全体の売り上げはピーク時の3分の1が落ちたところ。音楽CDのように半減していませんから、これからもっと落ちるかもしれない。 原因み

    石田衣良氏 「右傾エンタメ作品」ばかりが売れる社会を分析
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    umeten 2014/01/03
    >リアルがあまりにも辛いので、本当に痛みを描いたドラマとかダメなんですよ。
  • 五島勉 - Wikipedia

    五島 勉(ごとう べん、1929年(昭和4年)11月17日 - 2020年(令和2年)6月16日)[1]は、日の作家・ルポライター。1973年に社会不安とメディアの作品への扱い方を背景として、1960年代生まれから以降の幼少世代を中心に「1999年7月に世界滅亡」を信じる者が続出し、日国内に未来への悲観的影響を与えた『ノストラダムスの大予言』を書いたことで知られる[2]。 人物・来歴[編集] 北海道函館市出身。正教徒の家庭に生まれる。名は後藤 力[3](ごとう つとむ)。旧制函館中学校(現・北海道函館中部高等学校)から第二高等学校へ進み、後の弁護士・遠藤誠と知り合う。東北大学法学部卒業。大学在学中、小遣い稼ぎにポルノ小説を書いて雑誌に投稿し、文筆家の道に入る。大学卒業後は『微笑』『女性自身』など女性週刊誌でアンカーマンとして活動。体力の問題から走り回る取材が難しくなったため大衆小説

  • 官能小説は女性に毒?「誤ったセックスに駆り立てる」と専門家

    ブラジル・リオデジャネイロ(Rio de Janeiro)の景勝地レブロンビーチ(Mirante do Leblon)でキスをするカップル(2011年5月30日撮影)。(c)AFP/VANDERLEI ALMEIDA 【7月8日 AFP】18世紀に生まれ、お決まりのストーリー展開ながら、今も大量に売れている女性向けの官能小説。しかし、官能小説はセックスやオルガスムについて誤った認識を与え、女性たちの性的・精神的な健康に有害だと、男女関係に関する専門家が警告している。 英国の作家でカウンセラーのスーザン・キリアム(Susan Quilliam)さんは「官能小説のストーリーを読者が信じてしまうのは問題だ」と断言する。カウンセリングの現場では、依頼者に対して「を捨てて、現実を見ましょう」と言うことが、最も親切で賢いアドバイスである場合もしばしばあると言う。 6日の専門誌「家族計画と生殖医療」に

    官能小説は女性に毒?「誤ったセックスに駆り立てる」と専門家
    umeten
    umeten 2011/07/10
    >官能小説のうちコンドームの使用が登場するものは、11.5%しかない/小説全体の売上げのうち官能小説はほぼ半分を占めており/これだけ人気のあるジャンルにも関わらず読者への影響が調査されることはほとんどない
  • フィクションにおけるナイフ格闘のリアリティとリアル - 火薬と鋼

    肩の調子が悪くてトレーニングに行けないので時間ができた。 以前から書こうと思っていたフィクションのナイフ戦闘について、簡単な解説と現実の技術を取り入れる可能性を書いておこう。 戦闘シーンのナイフ アニメやゲーム漫画小説と様々なフィクションでナイフが登場する。 しかし実際のナイフ格闘の技法が使われる事は少なく、リアリティを詰める方向性の作品でもなかなかちゃんとした技術は登場しない。理由は色々あるだろうが、他の格闘技・武術と比べて他の創作に登場する機会も現実の世界で見る機会も限られているからだろう。 単純に出番が少ないというのもあるかもしれない。また、フィクションにおけるナイフと言えばチンピラ、ゴロツキの武器か、兵士、殺し屋の武器であり、他の格闘技や武術のように丹念に技を描写するのに向いていないこともある。 しかし例えば兵士・元兵士、殺し屋といったプロフェッショナルの描写として、フィクショ

    フィクションにおけるナイフ格闘のリアリティとリアル - 火薬と鋼
  • やなせたかし氏 日本人の正義とは困った人にパン差し出すこと (NEWS ポストセブン) - Yahoo!ニュース

    コラムニストの石原壮一郎氏は、震災直後、事務所で付けっぱなしにしていたラジオから『アンパンマンのマーチ』が流れてきたのを聞き、思わず落涙した。そして自分がレギュラーを務めているラジオ番組の企画で「被災者を元気づける曲」として、この曲を躊躇わずイチ押ししたという。なぜそれほどまでに心を揺さぶられたのか。 「震災で被災地の悲惨な状況を見て心を痛めたり、原発事故で不安を感じたり、モヤモヤとした複雑な感情が入り交じっていたと思うんです。その中でこの歌が、たとえいろいろなことがあっても人は生きて行かなくてはならないんだということを教えてくれました。漠然とした生きる事への不安に対して、それでも生きていけと励ましてくれたのです」 人々を勇気づけるこの歌はどのように誕生したのか、どのような想いが込められているのか。自ら作詞を手がけた「アンパンマン」作者で今年92歳、漫画界の大御所やなせたかし氏に、ノン

  • 秋の古本まつり 今月の行事 京都の観光情報案内 どこいこ

    秋深まる頃に、毎年知恩寺で開かれている「秋の古まつり」。 約17店舗の古書店が出店し、文庫・雑誌・学術書・仏教書・美術書などが境内ところ狭しと並べられます。 膨大な数の古の中から興味を惹く一冊を選び出すのは、まるで宝探しのよう。

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    umeten 2010/11/01
    【日時】 2010年10月30日~11月3日 9:00~16:30頃
  • 創造性のダークサイド:心理学研究 | WIRED VISION

    前の記事 アウディ『e-tron Spyder』のデザイン・プロセス 創造性のダークサイド:心理学研究 2010年10月26日 サイエンス・テクノロジー コメント: トラックバック (0) フィードサイエンス・テクノロジー Jonah Lehrer 画像はWikimedia 人間の創造性は、「不幸」となんらかの関係があるようだ。ゴッホやバージニア・ウルフといった人たちは、幸せとはいえない人生を辿ったが創造的だったし、アリストテレスは紀元前4世紀に、「哲学や詩、芸術や政治にすぐれた人はみな(ソクラテスやプラトンを含めて)、憂質的な気質があるし、病に悩んだ者もいる」という意味の記述を行なっている。[19世紀の英国の詩人]キーツも、苦悩や障害が知性を導き、魂を育む、と述べた。 コロンビア大学ビジネススクール教授のModupe Akinola氏は、このことを裏付けるような実験を行なっている。2

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    umeten 2010/10/26
    >アリストテレスは紀元前4世紀に、「哲学や詩、芸術や政治にすぐれた人はみな(ソクラテスやプラトンを含めて)、憂鬱質的な気質があるし、鬱病に悩んだ者もいる」という意味の記述を行なっている
  • Engadget | Technology News & Reviews

    How to watch NASA's first Boeing Starliner crewed flight launch today (scrubbed)

    Engadget | Technology News & Reviews
  • どうしても寝ようとしない息子(6歳)に、ベッドでこんな話をしました。

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    umeten 2010/10/19
    時事ネタと古典文学映画の超絶コラボレートバロスw
  • 知里幸惠編訳 アイヌ神謡集

    序 その昔この広い北海道は,私たちの先祖の自由の天地でありました.天真爛漫な稚児の様に,美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は,真に自然の寵児,なんという幸福な人だちであったでしょう. 冬の陸には林野をおおう深雪を蹴って,天地を凍らす寒気を物ともせず山又山をふみ越えて熊を狩り,夏の海には涼風泳ぐみどりの波,白い鴎の歌を友に木の葉の様な小舟を浮べてひねもす魚を漁り,花咲く春は軟らかな陽の光を浴びて,永久に囀(さえ)ずる小鳥と共に歌い暮して蕗(ふき)とり蓬(よもぎ)摘み,紅葉の秋は野分に穂揃うすすきをわけて,宵まで鮭とる篝(かがり)も消え,谷間に友呼ぶ鹿の音を外に,円(まど)かな月に夢を結ぶ.嗚呼なんという楽しい生活でしょう.平和の境,それも今は昔,夢は破れて幾十年,この地は急速な変転をなし,山野は村に,村は町にと次第々々に開けてゆく. 太古ながらの自然の姿も何時の間にか影

  • 男の魔女、女の魔道師 - 火星の月の下で

    アニメ『とある魔術の禁書目録』を見てて、いつもちょっとひっかかってることがあって、それは、 「科学と魔術が交差するとき、物語は始まる」といういつも予告で言ってるセリフというか、文言。 魔術、呪術って、広義の科学じゃないの?・・・というのがいつも頭をよぎってしまうのだ。 そもそもここで言う魔術は、Zauberなのか、Hexenschaftなのか、いったいどっちなんだ。 以下、アニメ、ラノベに全然関係ないことをグダグダ書いておくので、タグは一応「民俗」扱いにしておく。厳密には民俗でもないけど。(笑) 元来、非英語圏・欧州では、呪術と妖術というのはかなり厳密に区別されていて、魔術、呪術、錬金術、魔道といった類は、体系をもった科学以前の科学だった。 近代科学によってそのほとんどは否定されてしまっているけど、そこには科学につながるであろう、合理的な考えの萌芽があって、原因、結果、予測、といったものが

    男の魔女、女の魔道師 - 火星の月の下で
  • ラノベ魔法は魔法にあらず - 火星の月の下で

    隣人さんのところの魔法ものっぽいという記事を読んで、幻文畑として、少し。 ラノベの魔法、広義のラノベ、Fate関連も含めて、魔法を欧州文学的な意味での「魔法」として消化している作品、ていうのはほとんど見たことない。 大半が、魔法=理屈のいらない(もしくは俺理論な)サイキックになってることが大半で、ああいうのは幻文畑からは魔法とは言わない。 そもそも魔法というとき、「妖術」と「呪術」*1は明確に区別されるべきだし、それをしないと泰西魔法文学はちゃんと読めない。 資料を調べて、というか適当に「自分読み」をやって、固有名詞のストックだけはバカみたいに増えて、そういったレトリックでいかにも物っぽくやってはいても、項目や固有名詞を脈絡なく並べすぎてしまう。 そしてかえって「魔法」に対する、著述家としての無知が露見してしまっているわけだ。あ、これは例に挙げられている『禁書目録』とか、特定の小説をさし

    ラノベ魔法は魔法にあらず - 火星の月の下で
  • 作曲家の友人がいた : 2chコピペ保存道場

  • 近年の児童書に見られる「主人公のお姫さま化」について - 児童書・YAブックレビュー [ティーンズブックス.jp]

    以前、ゆーずー無碍さんのブログで「ライトノベル化する児童文学」という記事が立てられ、話題になりました。  新書サイズ児童書の分野で、マンガ・アニメ系のイラストを起用した「ライトノベル風」の作品が数多く刊行され出したといった内容のものです。  近年では完全に定着したように思われるこの流れですが、記事のなかで問題とされていたのは、下記の三点。 ・一体いつ頃からこの変化がはじまったのか?  ・この傾向は、単にイラストを今風に合わせただけなのか?内容は? ・どういった出版社が動いているのか? そのうち上下の疑問に関しては2004年ごろを契機に「青い鳥文庫」や「フォア文庫」といった老舗レーベルが牽引役となり、他の出版社がその流れに追随したと記事でまとめられています。 が、作品内容については、「皆様が実際に読んでみて判断してください」という記述に留められていました。 では実際、作品内容に変化はあったの

  • ジャンヌ・ダルクと任侠 - 熊田一雄の日記

    1.新渡戸稲造とジャンヌ・ダルク 「武士道」(1900年)で知られる新渡戸稲造(1862-1933)が生涯ジャンヌ・ダルクを崇拝していたことは案外知られていないと思います。 祖父のジャンヌ・ダルクに対する崇敬の思いは、明治十一年、札幌にいた十六歳頃に始まり、当時のノートによれば、彼はキリスト、ジャンヌ・ダルク、仏陀、モハメッドを精神の糧にしていた。ジャンヌの神と国王への献身は、祖父の心奥にあった武士の忠誠心と呼応して相通じるものがあったに違いない、と後年祖母はしみじみと語っている。しかも祖父自身若いときから、神秘的な体験をしていたそうである(加藤武子「新渡戸稲造とジャンヌ・ダルク」YANASE LIFE編集室(編)『とっておきのものとっておきの話』第3巻、芸神出版社、1997年)。 要するに、新渡戸は実は西欧の騎士道的な「女性の男性性」に自己同一化していたのです。新渡戸自身、自分が「神経質

    ジャンヌ・ダルクと任侠 - 熊田一雄の日記
    umeten
    umeten 2010/05/16
    >「武士道」(1900年)で知られる新渡戸稲造(1862-1933)が生涯ジャンヌ・ダルクを崇拝していた/要するに、新渡戸は実は西欧の騎士道的な「女性の男性性」に自己同一化していた
  • 『日本語は亡びない』 と『日本語が亡びるとき』: 試稿錯誤

    金谷武洋『日語は亡びない』(ちくま新書)が出版されたので中味も見ずに購入した。2008年に出版された『日語が亡びるとき』(水村美苗著、筑摩書房)を批判するために書かれたである。しかし読んで忽ち失望した。まるで批判になっていないからである。批判といえる部分は全八章のうち第一章だけ。しかし、これは全面的に金谷の責任ではあるまい。もともと、批判に足る論点が少ないし、水村の文章もきわめて分かりにくい。金谷さんは持論である日語論(日語に主語はない)をこの書物で再説してお茶を濁している。 『日語が亡びるとき』は出版されてすぐに私は購入した(初版第一刷)。しかし、あまりに著者の独りよがりの発想が多く閉口した。ほとんど投げ出した、といってもいい読み方しかできなかった。このの帯にはこうある: <「「西洋の衝撃」を全身に浴び、豊かな近代文学を生み出した日語が、いま「英語の世紀」の中で「亡びる」

    『日本語は亡びない』 と『日本語が亡びるとき』: 試稿錯誤
  • Amazon.co.jp: 私説・教育社会学 (世界思想ゼミナール) (SEKAISHISO SEMINAR): 渡部真: 本

  • “自分の表現法”と出会う - Chikirinの日記

    「日一のニート」を標榜する phaさんとの対談 からは、いろんな“気づき”がありました。 対談の後、phaさんと一緒に地下鉄に乗ったのですが、たまたま最初に来たのが各駅止まりでした。 それに乗った後、「もしかして急行のほうがよかったですか?」と聞いたら、phaさんの答えは「いや、いいんです。急行は混むし」というもの。それを聞いて、「あ〜、違う世界だなあ」って思いました。 私がいま働いている業界では、急行に乗るか各駅停車に乗るかという命題にたいして、判断基準は時間、つまり「どちらが早く着くか」しかありません。 でも、「早く着く」などということは pha さんにとっては余り意味がないのでしょう。大事なのは「混まないこと」なわけです。 中学受験などで、「A駅に急行が止まってて、その時速は 40キロ、10キロ離れてる B駅に各駅が止まってて・・どっちが D駅に先に着くでしょう?」みたいな問題があ

    “自分の表現法”と出会う - Chikirinの日記